薄暗い路地裏を駆け抜けていく、ひとつの影。
後ろから追ってくる隻眼の騎士を撒くために、時折振り向き、道端にある箱を落としたり、細い路地を潜ったりしながら、男は一人、逃亡を続けていた。
彼は、先刻街外れで行われていた違法取引の主犯の一人。
捕らえた騎士の隙間を縫って、この男だけ逃げ出してきたのだった。
無論、すぐにその騎士は追いかけてきた。
しかし正直、あまり脅威とは思っていなかった。
というのも、彼を追いかけるのは隻眼隻腕の騎士。
かなり体格も華奢で、戦闘員には見えなかった。
そんな彼を撒くくらい容易いはずだ。
そう思いながら、男は走り抜けていた。
あと少しで街を抜けて、森に飛び込む。
そうしてしまえば、騎士も自分を探すことは難しくなるだろう。
万が一来たとしても……
そう思いながら、男は腰の短剣に手をかけた。
街を抜けて、駆け抜ける。
あと少しで、森だ。
そう思った瞬間、不意に冷たい風が吹いた。
「な……っ」
思わず、足を止める。
というのも、突然男の眼前に影が現れたからだった。
「行き止まりだぜ。あんまり"アイツ"の手を煩わせるんじゃねぇよ」
面倒くさそうにそう言う、長い黒髪の青年。
その長い黒髪は、風もないのに微かに揺れていた。
感じる雰囲気は、異様で。
男はちっと舌打ちをすると、腰の短剣を抜いて、その青年に飛びかかった。
「邪魔だぁあ!」
そんな叫び声と同時に青年に切りかかる男。
彼の様子を見つめていた青年……エビルはふっと息を吐き出すや否や、姿を消した。
「な、なんだ!?」
一瞬。
ほんの、一瞬だった。
いったい、どこにいったんだ。
動揺する男。
刹那、その首筋にひやりとしたものが突きつけられた。
「おイタが過ぎるな、悪魔相手に喧嘩売るもんじゃあないぜ」
すぐ近くで聞こえる声。
男は驚いて短剣を振り回した。
"おぉっと"と声をあげて、エビルは慌てて飛びのく。
そんな彼の姿を見て、男は更に目を見開いた。
眼前にいる青年の背には、大きな赤い翼が開いていた。
ばさりとそれが羽ばたく度に、赤い羽根が舞った。
エビルは目を見開く男を見つめながら、溜め息混じりに言う。
「だからやめとけっていっただろ?」
「っ、黙れこの化け物が!」
青年は近づくエビルに向かって短剣を振るいながら、そう叫んだ。
エビルはその言葉にはっとしたように目を見開く。
化け物。
その発言に、少なからず動揺した。
その隙を見て男は逃げようとする。
しかしそんな彼の首筋に、冷たい銃口が突きつけられていた。
「幾ら悪魔相手でもいっていいことと悪いことがあるだろう」
低い、声。
その声は、男の首にマスケットを突きつけている少年……シュタウフェンベルクの声だった。
元々、これは彼の任務だった。
しかし万が一の場合、エビルも協力するといっていたのだ。
その言葉通り、エビルは彼のサポートをしていたのである。
追いかけて来た男はまんまとエビルのいる場所を通り、彼に足止めされた。
しかしその結果……
動揺した男は、シュタウフェンベルクにとって許しがたい発言をしてのけたのだ。
エビルのことを、"化け物"といった。
別にそれでエビルが気にしていない様子ならここまで怒りはしなかっただろうが……
あのエビルが、確かに動揺した表情を浮かべた。
それだけでも、許せないことで。
しかし悪魔はシュタウフェンベルクの発言に眉を寄せる。
そして"何をいっているんだ"と小さく呟いた。
「そいつが化け物なのは事実だろう!?こんな姿で、こんなあり得ない早さで動いて……」
いつ武器を……鉤爪を抜いたのかもわからなかった。
いつの間に自分のすぐ近くにやってきたのかも、わからなかった。
そんな彼の戦闘スタイルは、恐ろしかったのだろう。
しかし……
恐ろしい、ただそれだけで"化け物"というのは、シュタウフェンベルクにとって許しがたいことだった。
「それだけの理由で化け物と罵るのか」
「当人悪魔だっていったじゃねぇか!悪魔ってのは化け物と同義だろう?」
そう言い出す男。
シュタウフェンベルクはぐっと唇を噛む。
引き金を引きたくはないのだけれど……
そう思うと同時。
不意にその男の体がその場に崩れ落ちた。
「っ、な……」
「殺してねぇから安心しろ」
聞こえた声に、安堵する。
どうやら当然男が倒れた原因は、エビルがなにかをしたから、らしい。
殺した訳ではないといっているし、傷がついている様子もないから魔術だろう。
とりあえずその事にほっとした。
と、エビルがふぅと息を吐き出すのが見える。
シュタウフェンベルクはそんな彼の方へ歩み寄りながら、"どうした"と問いかける。
エビルは彼の方を見て小さく肩を竦めて、いった。
「いや……やっぱり、人間にとっては俺の戦い方は怖いのかな、と」
そう思ってな、とエビルは言う。
シュタウフェンベルクはそれを聞いて、目を見開いた。
エビルは、言う。
自分のような戦い方は、容姿は、やはり怖いか、と。
エビルはスピードタイプの悪魔だ。
攻撃力はさして高くないが、攻撃数が多い。
そして、素早い攻撃で一瞬で相手に的確な一撃を与えることにもなる。
そんな彼の戦い方は、人間にとっては恐怖だろうか、とエビルは呟く。
やはり、気にしているのか。
そう思いながら、シュタウフェンベルクは小さく息を吐き出す。
それから、エビルの顔を覗き込んで、いった。
「私は好きだぞ……勇ましくて格好いい……」
シュタウフェンベルクはそう言う。
エビルはそれを聞いて少し微笑みながら、"そりゃどうも"といおうとした。
しかし、それより先にシュタウフェンベルクは付け足すようにいった。
「だが、その戦いからをしてなにか言われて嫌なら無理はするな」
彼は、そう気遣う。
彼の戦い方は格好いいと思う。
そして確かに戦力になると思う。
けれど、もしそれで彼が誰かに傷つけられるなら。
さきほどのようになるのなら。
無理は、しないでほしい。
シュタウフェンベルクはそう思いながら、言う。
エビルはそれを聞いて幾度もまばたきを繰り返した。
それから、エビルは嬉しそうに笑いながら、ぎゅっとシュタウフェンベルクを抱き締める。
そして"ありがとアンタがそういってくれるならうれしいよ"と照れ臭そうに微笑んで見せたのだった。
―― The word… ――
(その言葉がお前の心を傷つけるなら。
その戦い方をすることでお前が傷つくのなら)
(無理をしてそれを続ける必要はないのだと、彼は言う。
ありがとう、俺はその言葉だけで嬉しいんだ)