いつも通りの、放課後。
リトは何処かわくわくした様子で、部屋の片づけをしていた。
元からあまり散らかっている部屋ではないのだけれど、少しでも綺麗にしておきたくて。
瀬々と部屋を片付けていれば玄関のチャイムが鳴った。
「あ、来た!」
嬉しそうにそう声を上げて、リトはぱたたっと玄関に向かって走っていく。
そうしてドアを開けると、背の高い緑髪の青年が立っていた。
「こんばんは、リトさん」
「こんばんは、アルトゥール先生!」
明るい笑顔でそういうリト。
そんな彼に軽く会釈を返した青年……ザイス=インクヴァルトは少し顔を顰め、言った。
「でも、チャイムを鳴らしてすぐに確認もなしに開けるというのは感心できませんね。
もしも知らない人間だったらどうするのですか?」
「あー……ごめんなさい」
リトは彼に素直にそう詫びた。
確かに昔からそういわれてきたのだけれど、つい癖でこうして開けてしまう。
何より……こうして訪ねてきてくれるザイス=インクヴァルトのことを心待ちにしているから。
ザイス=インクヴァルトはしょんぼりと俯いたリトを見て少し困った顔をする。
それからその頭を軽く叩いて、言った。
「ほら、此処で項垂れていても仕方ないです。
私も怒っているわけではありませんから……」
早く勉強を始めましょう。
ザイス=インクヴァルトがそういうと、リトは顔を上げる。
そして嬉しそうに頷きながら、言った。
「うん、今日は宿題も出てるしもうすぐテストだから色々見てほしいんだ!」
頑張るよ!と声を上げるリト。
ザイス=インクヴァルトはそんな彼を連れて部屋に向かったのだった。
***
リトは机に向かって、問題を解き始める。
ザイス=インクヴァルトはそんな彼の様子をみていた。
彼が此処でリトの家庭教師をやり始めてから、数週間。
大分、彼の性格や勉強の出来はわかり始めた。
彼は大分一生懸命なのだけれど、何処かずれていて、成績が伸びきらないようなのだ。
教えてやれば理解はするし、頑張り屋ではある。
だから、教えるのが苦痛ということはなかった。
一生懸命に問題を解いているリトの横顔をザイス=インクヴァルトは眺める。
そうしている間に、意識がふわふわし始めた。
流石に生徒の前で欠伸は駄目だと、彼は欠伸をかみ殺す。
しかし、その実彼は疲れていた。
ここ数日はレポートの作成や課題に追われていて、しかもこうして家庭教師の仕事もある。
ゆっくり休む時間というのは、あまりないのだった。
せめてリトがわからないなりなんなりと声をかけてくれれば良いのだが、今日は調子が良いようで、すらすらと問題を解いている。
そのために一層眠気が増してくるのだった。
それから、少しして。
リトはふぅっと息を吐き出した。
そして、ザイス=インクヴァルトの方を見手、声をかけた。
「せんせーここでき……あれ、寝てる?」
リトは目を見開く。
というのも、隣で勉強を見てくれていたザイス=インクヴァルトが机に突っ伏する形で眠ってしまっていたから。
その姿を見てリトはぱちぱちと瞬きをする。
それから小さめの声で"先生"と声をかける。
しかし、彼はやはり目を覚まさない。
「……疲れてんだな」
リトはそう呟いて目を細める。
そして静かに立ち上がると、ベッドにあった毛布を持ってきて、そっと彼の肩にかけた。
眼鏡をかけたままぐっすりと寝入っているその姿を見て、リトは目を細める。
「綺麗な人、だよなぁ……」
そう呟きながら、リトは眠っているザイス=インクヴァルトを見つめる。
静かに寝入っている彼。
こうしてまじまじと彼の顔を眺めることはあまりない。
そうしていると一体どうしたのかと訊ねられてしまうし、そうなると流石にじっと彼を見つめていることも出来ないわけで……
「……普通にこうやって見つめられればいいのになぁ」
そう呟いて、リトは目を細める。
そんな彼の金の瞳には、恋情の色が点っていた。
こうして自分の面倒を見てくれる家庭教師。
その優しさと綺麗さに、リトは惚れ込んでいた。
……その感情を上手く彼に伝えることは、出来ずにいたけれど。
そもそも……
彼は、真面目だし、自分が思いを打ち明けたところで受け入れてくれるか、わからない。
……まださして関係も深くないのにこんなことを考えている自分が何だかおかしくて、リトは小さく笑った。
とりあえずは、ザイス=インクヴァルトが起きるまでまとう。
そう思いながら、リトはおとなしく椅子に戻り、教科書を開いたのだった。
***
それから、少しして。
すっかり日も暮れはじめた、頃……
「ん……」
ザイス=インクヴァルトが小さく声を漏らして、目を覚ました。
ゆっくりと瞬く瞳。
彼は驚いたように体を起こした。
「あ、先生起きた」
そういって、リトは笑う。
やはり自分は眠っていたのか……
ザイス=インクヴァルトはそう思いながら、リトにすまなそうに言った。
「すみません寝てしまって……」
そう詫びるザイス=インクヴァルト。
リトは彼に向かって首を振りながら、"気にしなくていいって"という。
それから、何かを思いついたような顔をして、ザイス=インクヴァルトにいった。
「あ。そうだ!
ごめんって思ってるなら今度デートしてよ!
行きたいところあるんだけどさ」
そういって明るく笑うリト。
ザイス=インクヴァルトはそれを聞いて幾度か瞬きをしてから、ふっと溜め息を吐き出して、首を振った。
「どうせ甘いものでしょう、でも駄目です生徒と休日に会うことは出来ませんよ」
リトが甘い物好きなのはザイス=インクヴァルトも知っている。
どうせ行きたい場所というのはカフェか何かだろう。
そもそも……あくまで家庭教師である自分と生徒が、休みの日にあうなんておかしい。
ザイス=インクヴァルトはそういって、"駄目だ"といった。
リトはそれを聞いて瞬きをした。
それから、少ししょんぼりした表情で"やっぱりダメかぁ"と呟くように言った。
予想は、していた。
けれど……やはり少なからずショックで。
しかしすぐに気を取り直したようにザイス=インクヴァルトの方を見た。
そして、ねぇ先生?と彼に問いかける。
「先生は、好きな人居る?
俺は、最近出来たんだけどさぁ……」
ちょっとした、探りのつもりだった。
それを聞いて、ザイス=インクヴァルトは幾度か瞬きをする。
それから、"好きな人……ですか"と呟いてから、黙り込んだ。
「特には、いませんね。
女性に興味はありませんし、勉強も忙しいですし」
そういいながら、目を伏せる彼。
リトはそれを聞いて"そっかぁ"と呟く。
好きな人は、居ない。
それがわかってほっとするのと同時に、恋愛自体に興味がないこともわかってしまった。
それは、素直に喜べることではなくて。
「でも」
「ん?」
ザイス=インクヴァルトは言葉を続ける。
リトが顔を上げると、彼は少し視線を外しながら、言った。
「でも……今は、一緒に居て楽しいと思う人はいますよ」
そういいながら、ザイス=インクヴァルトは少し表情を緩めた。
リトはそんな彼を見て目を見開く。
そして、少し表情を明るくしながら"そっか"と笑った。
少しは、期待してもいいだろうか。
そう思いながら、もう一度ノートを開く。
そして、"此処出来たから見て?"とザイス=インクヴァルトに言ったのだった。
―― 伝えたい思いと… ――
(伝えたいと、そう思う。けれどそれは叶わない。
なら、せめて…出来る限り近くにいる時間が欲しいと、そう願うのは駄目なのかな)
(私を見据える、まっすぐで無邪気な瞳。
それは、どうにも私には眩しすぎて、でも傍にいると心地よい…)