長い、ディアロ城の廊下。
そこを歩いていくのは隻眼の騎士、シュタウフェンベルク。
彼が今向かっているのは、彼の上官に当たるフロムの部屋。
シュタウフェンベルクの隣を歩いている彼の副官であるヘフテンは、
やや心配そうな顔をしつつ、彼を見上げて言った。
「本当に、一人で行くんですか、大佐」
彼が心配そうに一人で行くのか、というのには理由がある。
シュタウフェンベルクのことを極端に嫌っているフロムは、
無闇矢鱈と彼を傷つけるような行動に出るのだ。
時には身体的に、時には精神的に……
今のところ"事故"と片付けられてしまっているが、
どれも彼の仕業であることはヘフテンもよく知っている。
もちろん、シュタウフェンベルクも。
しかし、それを摘発したところで立場が下の彼らには勝ち目がないし、
何よりフロムがやったという証拠もない。
本当に、事故で片付いてしまうレベルのことなのだ。
だからこそ。
ヘフテンはまたそんな事態にシュタウフェンベルクが巻き込まれるのではないかと、
彼が一人でフロムの部屋にいくことを心配しているのだけれど……
シュタウフェンベルクはそんな彼を安心させるように微笑むと、こくりと頷いた。
「大丈夫だ。だから、先に行って馬を用意しておいてくれ。
届け物の仕事、と聞いている……」
フロムのことだ。
現在滞在中のイリュジア国内での話ではなく、
カルフィナに届けにいけと言いつけるに決まっている。
その場合、歩きでは無理。
無闇に空間移動術を使うのも賢明とは言いがたい。
だから、馬を使うのがベストだろう。
シュタウフェンベルクがそういうと、ヘフテンは渋々と言った様子で頷いた。
本当は付いて行きたいところなのだが、
ついていったところで追い出されるのは目に見えているし、
またこのくらいのことで副官を振り回して、と、
シュタウフェンベルクがイヤミを言われるのも嫌である。
おとなしく頷いたヘフテンを見て表情を緩めると、
シュタウフェンベルクはそっとその頭を撫でながら、言った。
「……もし、私があまりに遅いようだったら、様子を見に来てくれ」
やはり少しだけ不安だから。
シュタウフェンベルクがそういうと、ヘフテンは何度か瞬きをした。
そののち、しっかりと頷いて、いう。
「了解しました。
……お気をつけて、なんていうのもおかしいですけど……お気をつけて。
僕は先に馬を準備しておきます」
ヘフテンはそういうと、踵を返して厩の方へ向かった。
その背中を見送って、シュタウフェンベルクは小さく息を吐き出す。
そしていつの間にか辿り着いていたフロムの部屋のドアをノックした。
***
ドアを開ければ、当然のことながらフロムは居て、机に向かっていた。
そこには積み重なっている書類。
それを一瞥してからシュタウフェンベルクが軽く挨拶をすると、彼はそっけなく"遅かったな"と言った。
どうせどれだけ早く来ようが言われる嫌味だ、とシュタウフェンベルクは流す。
そしてフロムの方を見つつ、小さく首を傾げて、問うた。
「任務、とは何でしょうか」
「あぁ、これだ。これを届けてほしい」
そう言って、フロムは机の上の書類の幾つかをシュタウフェンベルクに寄越す。
案の定、彼に言いつけられた仕事はカルフィナへの書類の運搬。
書類は複数あるようだ。
順番などをおかしく入れなおしたらまたそこでなにか言われそうだ。
そう思いつつシュタウフェンベルクは溜め息を吐き出す。
もっとも、どんなに機嫌を取ろうとしたところで無駄であることは知っているし、
何より彼自身フロムの機嫌を取ろうなどとは思わないのだけれど。
そうして書類を鞄に入れているシュタウフェンベルクを見て、フロムは言った。
「急ぎの用件のものもあるのだから、遅れずに届けてくれ給えよ」
フロムはそういう。
シュタウフェンベルクは心の中で溜め息を吐き出した。
遅れるなというのなら、もう少し早く言いつければ良い。
そうすれば、別に急がなくたって問題はないわけなのだから。
しかしそんなことを彼に言ったところで無駄であることは、シュタウフェンベルクもよくわかっているところ。
書類を入れ終わった鞄の留め具を止め、シュタウフェンベルクは小さく"了解しました"と返した。
そのまま、歩き出そうとする。
フロムはそんな彼の態度に顔を顰めて、叱り飛ばす口調で言った。
「大佐!聞こえなかったぞ、それに敬礼をしろ」
彼の言葉を聞いて、歩き出しかけていたシュタウフェンベルクはピタリと足を止めた。
そして、一つ溜め息を吐き出してから振り向く。
そして、自分を睨んでいるフロムを見つめ、軽く"右腕"を上げつつ、言った。
「すみません、大将……右手がないもので」
右手がない以上敬礼はできない。
そう返すと、シュタウフェンベルクはそれ以上何か言うことなく、踵を返した。
先に行っているであろう副官がまた心配しかねない。
事実、遅くなったら様子を見に来てくれと頼んでいる。
彼が"遅い"と感じる基準が何処にあるかはよくわからないけれど、急ぐことに越したことはないだろう。
シュタウフェンベルクはそう思いながら少し早足で、
フロムの部屋から離れて行ったのだった。
***
そうして先にヘフテンが向かった厩に行けば、ちょうど彼も馬の用意を終えたところだった。
小走りに駆け寄ってくるシュタウフェンベルクの姿を見て、彼はぱぁっと顔を輝かせる。
「大佐!おかえりなさい」
大丈夫でしたか。と小さく訊ねてくる彼。
シュタウフェンベルクは小さく頷いて、そんなヘフテンの言葉に応じた。
「あぁ、待たせて済まなかったな、ヘフテン」
じっと彼の表情を見つめていたヘフテンだったが、
無理をした様子はないと判断して、にこりと笑った。
そして、頷きながら、いう。
「いえ。じゃあ、行きましょう?」
遅れたらまずいとでも言われたのでしょう、と見事に言い当てて見せつつ、
ヘフテンは先に馬にまたがった。
そんな彼を見て、シュタウフェンベルクはまばたきをする。
「行きましょう、って……」
周囲を見たが、馬は一頭だ。
否、予想はできていたというか、これがおそらく当然の状況なのだけれど……
シュタウフェンベルクが固まっていると、
ヘフテンが馬の上から彼を見て、小さく首をかしげた。
「大佐?早く乗らないと、遅くなってしまいますよ」
「……、そうだな」
そう言いつつ、シュタウフェンベルクもヘフテンと同じ馬に乗る。
片腕を失くしているシュタウフェンベルク。
彼は自力で馬を操ることは出来ない。
よって、こうしてヘフテンと一緒に馬に乗ることが多いのだけれど……
此処最近そんな機会もあまりなかったために、少し躊躇った。
馬に乗る以上、ヘフテンの腰に腕を回さなければいけなくなる。
なんだかそれが気恥ずかしくて、シュタウフェンベルクは視線を彷徨わせた。
一向に自分の腰に腕を回そうとしない彼に、ヘフテンは思わず小さく笑った。
「なんで今更恥ずかしがるんですか、大佐……
ちゃんと掴まってないと落ちちゃいますよ?」
僕そんなの嫌ですからね、とヘフテンはいう。
そんな彼の言葉を聞いて覚悟を決めたかのように、
シュタウフェンベルクはぎゅっと彼に抱きつくような体勢をとった。
そうでもしないと危険であることは彼もよく知っている。
ヘフテンは決して操縦が下手な方でも荒い方でもないけれど、それでも危険なものは危険。気をつけるに越したことはない。
とはいえ……
やはり、こうして密着しているのはなんだか変な感じがする。
そう思っているうちに頬が熱くなるのを感じた。
ヘフテンは首だけで振り向いて、くすっと笑う。
顔を真っ赤にして自分の後ろに乗っている彼が何だか可愛らしくて。
「よし、じゃあ行きますよ大佐!
ちゃんと掴まっていてくださいね」
そういって、ヘフテンは軽く馬の脇腹を蹴る。
高く嘶いた馬は駆け出して、シュタウフェンベルクは思わずヘフテンにしっかりと抱きついていた。
「っ急に、走らせるなヘフテン……っ」
「あ、ごめんなさい大佐……
一応、行くとは言ったのですけれど」
ほんの少しむくれたような顔をしているシュタウフェンベルクが可愛らしく思えて、ヘフテンは小さく笑う。
そして、少しだけ馬のペースを落としながら、彼の方を見つつ、言った。
「久しぶりですよね。
こうして大佐と一緒に馬に乗るの」
「そう、だな……というか、前を見てくれヘフテン、怖い……」
事故を起こすなよ、と案じるようにいうシュタウフェンベルク。
ヘフテンはそんな彼の言葉に頷きながら、前を向き直す。
姿は見えなくても、自分の背にいる彼のぬくもりを確かに感じる。
それが少しくすぐったいような、嬉しいような……――
そんな感情を抱きつつ、ヘフテンは小さく笑う。
「……何がおかしいんだ、ヘフテン」
「え?」
唐突にシュタウフェンベルクに問われて、ヘフテンは少しきょとんとした顔をした。
シュタウフェンベルクは彼のリアクションに小さく溜め息を吐き出して、いう。
「笑ったように、感じたから」
こうして体をくっつけている以上、相手の振動は伝わってくる。
笑えば当然、それも伝わるわけで。ああなるほど、とヘフテンは笑った。
「いえ、大佐とこうして一緒に馬に乗れるの楽しいな、と思いまして」
「……そうか」
少し照れくさそうな声色で、彼はいう。
それを感じて目を細めながら、ヘフテンは軽く馬を蹴る。
少しだけ上がるスピード。
シュタウフェンベルクはやはり少し強く自分にしがみついて来て……
急がなければいけないのは知っているけれど、
できるだけ長くこうして彼と馬に乗っている時間が続いてほしいな……――
ヘフテンはそう思いつつ、馬を操ってカルフィナを目指していたのだった。
―― Double riding ――
(いつもは貴方が僕を頼もしく導いてくれるけれど
今日は少しだけ、立場が違っていて……)
(伝わってくる体温。笑った時の振動。
それは心地よいと同時、少しだけ照れくさかったんだ)