ある静かな午後……
暫し自宅療養のかたちをとっていたシュタウフェンベルクは仕事に復帰した。
体調はまだ万全とは言いがたいかもしれないが、
一応武器を握っても拒絶反応がないことは確認できている。
そのまま戦えと言われたらやや不安があるが……
そこまで長く休みをとるわけにはいかない。
もっとも、兄たちや副官であるヘフテンには、
もう大丈夫なのかと不安そうな顔をしていたけれど。
そうして、シュタウフェンベルクは片付けなければならない書類を抱えて、
職場の自室に戻ろうとしていた。
やはり少しこなさなければならない仕事は溜まっていて、
家ででも少しこなしておくべきだっただろうか、と苦笑する。
と、そのとき。
「クラウス」
後ろから、聞きなれた声で呼ばれた。
彼が振り向けば、そこには見慣れた友人……クヴィルンハイムの姿があって。
「あ……メルツ」
久しぶりだな、とシュタウフェンベルクは彼に言う。
彼は小さく頷くと、やや心配そうな表情を浮かべつつ、首をかしげた。
「もう、大丈夫なのですか?」
彼も、シュタウフェンベルクが休暇をとるに至った原因、理由は知っている。
もっと言うなれば、その原因となったあの幻覚のなかに彼も出てきていたのだけれど……
あまりその事は思い出さないようにしつつ、
シュタウフェンベルクは頷いてみせた。
「あぁ……心配かけたな」
「無理は、するんじゃありませんよ」
念を押すように、クヴィルンハイムは言う。
そんな彼の言葉に、シュタウフェンベルクはふっと苦笑を浮かべつつ、いった。
「わかっている……
兄さんたちにもヘフテンにも散々言われた」
復帰するのは構わないけれど無理はするな。
やっぱり無理そうだと思ったら帰ってきていいんだからね。
ここまでは兄たちの言葉。
やはりしんどいと思ったらちゃんと声をかけてくださいよ……これはヘフテン。
クヴィルンハイムで四人目だ。
無理をするなと言ってきたのは。
そんなシュタウフェンベルクの返答を聞いて、クヴィルンハイムも苦笑を浮かべる。
「あぁ……私が言うまでもありませんでしたね」
貴方の周りには他にも気遣う人がたくさんいますから、とクヴィルンハイムは言う。
彼が周囲にどれ程慕われているか、彼を慕う人間がどれ程いるか。
その事を友人である彼はよく知っている。
シュタウフェンベルクはそんな友人の言葉にゆっくりと首を振った。
そして、やや照れたような口調で言う。
「いや、でもそうして心配してくれるのは……ありがたい、から」
ありがとう、と礼を言う彼を見て、クヴィルンハイムは小さく息を吐いた。
そして、彼が抱えている書類が滑り落ちないように整えてやりつつ、言う。
「……当然のことでしょう。
ともあれ、何かあったら言いなさい……隠さず、無理せず」
殊更後半をはっきりと、念押しするようにクヴィルンハイムはいう。
そして、ふぅと息を吐き出すと、彼は呟くような声でいった。
「貴方は一人で何でもこなしすぎる」
なまじ器用で、なまじ不器用で。
それ故に彼は、一人ですべてを片付けようとする。
一人で背負うにはそれが重荷過ぎるとしても。
昔から変わらない気質だと、そう思うけれど……
それが心配なのだとクヴィルンハイムは言うのだ。
シュタウフェンベルクは彼の言葉に少し表情を緩めた。
自分を案じる友人の言葉。
それが純粋に嬉しくて。
「わかった。ありがとう、メルツ」
シュタウフェンベルクは再び礼を言う。
クヴィルンハイムはそんな彼にゆっくりと首を振りつつ、訊ねた。
「いえ。……今から、もう仕事ですか?」
「あぁ……とりあえず、暫くは書類仕事になるかもしれないけれど」
これを片付けないといけないしなとシュタウフェンベルクは腕に抱えた書類を示す。
休みの間に溜まったそれを地道に片付けるのが最初の仕事だろう。
先に部屋に戻っているはずのヘフテンが手伝いに来てくれるはずだから、
そんなに長い時間はかからないとは思うが……
シュタウフェンベルクはそういう。
クヴィルンハイムは彼の言葉に小さく頷きつつ、言った。
「それくらいの方が良いでしょう。
下手に無理をして魔獣討伐何てやめてくださいよ」
心臓に悪い、と言いつつクヴィルンハイムは歩き出す。
わかった、と彼に返しながら、シュタウフェンベルクも自室に戻ることにした。
***
そうして自室に戻れば、すでに手伝いに来ていたヘフテンの姿があった。
大量の書類を抱えている彼にかけよって、その仕分けを手伝う。
シュタウフェンベルクでないと出来ないものも多々あったが、
そうでないものは自分もやるからといってヘフテンはそれを受け取り、
机のひとつを使って作業を開始する。
シュタウフェンベルクも自分の仕事を始めながら、ふと彼の方を見た。
黙々とペンを走らせている彼。
また迷惑をかけてしまったな、と思う。
一番近くにいて、いつも自分をサポートしてくれる彼……
その存在はありがたいと思う。
ただ、こういった事態が発生する度に割りを食っているのが彼な気がして、
申し訳ない思いが一杯だった。
当の本人は気にしなくて良いと笑ってくれるけれど……――
「大佐?」
不意に声をかけられて、シュタウフェンベルクははっとした顔をした。
視線をそちらへ向ければ、心配そうな顔をしているヘフテンの顔。
「やはり、体調優れなかったりしますか……?」
久しぶりに仕事ですしね、と心配そうに呟く彼。
シュタウフェンベルクは首を振って彼の言葉を否定した。
「否、大丈夫だ……
ただ、本当にヘフテンには迷惑をかけてばかりですまないな、と……」
そう思って、とシュタウフェンベルクは言う。
ヘフテンは彼の言葉を聞くと溜め息を吐き出してから、
一度席を立ってシュタウフェンベルクの机の方へ歩み寄った。
そして、そのまま軽く伸び上がりつつ彼の額を小突く。
「そういうことは言いっこなしです」
大佐は気にしすぎですよぅ、とヘフテンは頬を膨らませる。
確かに、彼はいつも自分がやりたくてやっていることだからといってくれる。
その言葉が嘘だとは思ったことがないが……
「しかし……」
「だって、一緒に戦闘任務に赴いた時、
僕のサポートをしてくださるのが大佐でしょ?
それの恩返しをしてるようなものなのですから……それに」
にこり、と笑ってヘフテンはいう。
「僕は大佐の右腕ですから」
「書類をこなすのは片腕でも出来るが」
「二つ腕があった方が早いでしょう?
そうして空いた時間を、僕と一緒に過ごしてください」
僕はそれだけで十分です。
ヘフテンはそういって笑顔を浮かべると、仕事に戻った。
***
そうして二人は暫し書類の整理をこなした。
さすがにずっとやっていると疲れるもので、
少し休憩をいれようということで二人で部屋を出た。
そうして廊下を歩いていく、道すがら……
隣を歩いていたヘフテンの表情がこわばるのを感じて、
シュタウフェンベルクは彼が視線を向けている方に顔を向けた。
そして、彼の表情の理由を知る。
此方に向かってあるいてくるのは、シュタウフェンベルクにとって上官に当たる、フロム。
今回の一件の元凶、といっても良いかもしれない相手だ。
彼はシュタウフェンベルクのことを極端に嫌っている。
今回の一件もそんな彼のシュタウフェンベルクに対する"攻撃"の一種だった。
此処で顔を合わせたのは完全な偶然で、
自分の前方から歩いてくるシュタウフェンベルクとヘフテンの姿を見て、
フロムは驚いた様子だったが……
すれ違い様、彼は小さく笑って、シュタウフェンベルクに訊ねた。
「休暇はどうだったかね?」
皮肉目いた口調。
そもそもの話休暇をとる原因になったのは彼が見せた幻覚なのだが……
それはいったところで致し方あるまい。
シュタウフェンベルクは冷静に、返答した。
「……お陰様で」
あくまで冷静に、無感情に。
どんな返答をしたって絡まれるときは絡まれるのだから。
そう思いつつシュタウフェンベルクはそう答え、
フロムを睨み付けているヘフテンの手を握った。
駄目だ、というように。
彼は、シュタウフェンベルクに危害を加えるフロムのことを完全に敵視している。
そんな彼の思いは嬉しかったが、ヘフテンの方が彼より立場は下だ。
下手に噛みついて彼までこういった嫌がらせを受けるようなことになってほしくはない。
「……ヘフテン」
たしなめるようにシュタウフェンベルクは彼の名を呼ぶ。
そんな彼らの様子を見て、フロムは小さく鼻を鳴らして、言った。
「飼い犬の引き綱をしっかり握るくらいのことは出来るようだな」
そんな彼の言葉に、シュタウフェンベルクは小さく息をはく。
そして、珍しく小さく反撃した。
「ヘフテンは、犬ではありません」
彼の言葉に眉をあげつつ、フロムはシュタウフェンベルクの方を見る。
シュタウフェンベルクは自分を見上げている副官を一度見てから、短く答えた。
「信頼おける副官です、私の」
家族でもない。
友人というのにはもっと近い。
そんな、存在。
シュタウフェンベルクがそういうと、フロムは興味なさげに、
或いはつまらなそうに息を吐いて、そっけなく言った。
「まだ貴様をそうして慕う部下がいることに私は不審しか抱かん。
幻影と現実の区別さえもつかぬような……」
ふ、と笑みをこぼすとフロムは二人とすれ違って歩いていった。
シュタウフェンベルクはその姿を見送り歩きだそうとする。
しかしそんなフロムの言葉にヘフテンは大きく目を見開き、抗議しようとした。
誰のせいでこうなったと思っている。
誰のせいであんなにも彼が苦しんだと思っている。
誰のせいで、誰のせいで……――
しかし、シュタウフェンベルクが反撃を許さなかった。
いいから、やめろ。
目で訴えてくる彼を見上げて、ヘフテンは悔しそうな顔をする。
「でも……っ」
「私は、大丈夫だから」
そういいながら、シュタウフェンベルクはそっとヘフテンの頭を撫でた。
ありがとう、と柔らかな声で言われれば、
それ以上のことは何ら言うこともできず、ヘフテンはおとなしく口をつぐむ。
そして、小さく溜め息を吐き出すと、微笑みながらシュタウフェンベルクの方を見た。
「僕の方こそ、ありがとうございます」
「え?」
シュタウフェンベルクはヘフテンの言葉にきょとんとした顔をした。
ヘフテンはそんな彼を見て、嬉しそうな顔をしながら、言った。
「信頼のおける副官だ、って……嬉しかったです」
「……事実を述べたまでだからな」
お世辞も何も、必要ない。
それは紛れもない事実だから。
シュタウフェンベルクがそう答えると、ヘフテンは一層嬉しそうな顔をする。
シュタウフェンベルクはそっと彼の頭を撫でてやると、
"休憩しにいこう"といって今度こそ歩き出した。
ヘフテンはそんな彼に頷いてから先に歩き出した彼に追い付いて、
そっとその手を握る。
この優しくて頼もしい手を、一番近くで握っていたい。
改めてそう、感じながら。
―― Trust you ――
(かけがえない副官だから
お前が酷い目に遭うのだけは避けたかったんだ)
(貴方が僕を信頼してくれるなら私も貴方の信頼に応えましょう)