静かな、夜の会議室。
遠くに聞こえる騎士たちの声。
それさえも何処か、不安げに聞こえる、そんな夜……――
各部隊、或いは現在ディアロ城に滞在している各組織のトップはこの部屋に集まり、
ある問題について話し合っていた。
その話し合いの内容は……
国内のとある地域で頻発している、とある魔獣の被害情報に関してだった。
通常、魔獣の被害は周辺地域の住人に多い。
しかし、今回は変なケースだった。
攻撃されるのが、その辺りへ別の魔獣を討伐するために赴いた騎士たちなのだ。
まるで、狙いすましたかのように。
そのために怪我をした騎士が既に出ており、
流石に異常なケースだとして、調査が行われたのである。
その調査に赴いていた、雪狼の二人の騎士も、この場にいた。
亜麻色の髪の少年と、浅緑の髪の少年。
本来ならば亜麻色の髪の彼にはパートナーがいるのだが、
奇妙な事件ゆえ、途中でどちらかが怪我をする恐れもある。
以前魔獣の攻撃でパートナーを亡くしている彼をこの調査に同行させるのは、
賢明な判断ではない、とのことから、彼が連携をとりやすく、
尚且つ本来は他国の騎士である浅緑の髪の彼が同行したのだった。
報告の口火を切ったのは、亜麻色の髪の彼……フィア。
普段の勝ち気な口調でないのは、周りにいるのが統率官たちであるからか、
それとも……この事件の調査に不安を感じているからか。
「やはり、報告に上がっている通りですね。
普段俺たちが相手をしているような魔獣とは少し違う……」
「使う魔術も、攻撃手法も人間よりで、倒すのに一苦労だったのだよ」
そういいながら、浅緑の髪の少年……スターリンは、
机の上に広げられたイリュジアの地図に細い指を置いた。
その場所の周辺には点々と、赤い×印がついている。
そんな地図を見ながら、亜麻色の髪の少年、フィアが補足をいれる。
「この辺りでの任務で傷を負って帰ってきた騎士たちの発言と大体同じでした。
まるで、此方が任務完遂に少しきを抜いた瞬間を狙ったかのように襲ってきて……
俺もスターリンも、事情を知って警戒していたから大丈夫でしたが」
もし何も知らない騎士だったらと想像すると……
その時の恐怖は、驚きは、生半可なものではないだろう。
「あそこまで知性のある魔獣は合成魔獣くらいしか考えられないのだよ。
或いは……元々多少頭が良い種類で、それが外部影響で変に進化したか」
どちらかはわからねぇけど、とスターリンはいって地図から指をどけた。
彼も、また険しい表情をしている。
「なるほどな……魔力の揺らぎが原因か、
そういった魔獣を作りたくて仕方ねぇ奴が量産してやがるかのどっちかだな……」
何れにせよ厄介なことだ、とアレクは吐き捨てるようにいった。
討伐すればよい話だろう、と思いもするが奇妙なことに倒しても被害が減らない。
複数いる、或いは……――
「やはり、人間が関わってるってセンが有力だな。
イリュジアの人間には、生物科学に通じてる奴が多い……
合成魔獣の研究は合法でも違法でも、広く行われてるのが現実だ」
暗い顔でそういったのは、そういう組織への潜入捜査を専門とする風隼のセラ。
認めたくはないけれど、という顔をしながら部屋にいる人間の顔を見つめ、いった。
「俺たち騎士に何らかの恨みなりを持ってる人間が、
騎士……制服で判断してるのか武器で判断してるのかは知らねぇけど……
まぁ、そういう人間を標的(ターゲット)にして攻撃する魔獣を作り出している。
……そうでなきゃ偶然こんな魔獣が続出するくらい、
その辺りの魔力が荒れる何かが起きてるか、だ」
クオンの的確なまとめに、一同は黙り込んだ。
フィアが小さく溜め息を吐き出して、呟くように言う。
「まぁ、楽観視できる問題では無さそう、ですよね……」
人間が裏にいるのならその人間を捕らえなくては話が終わらない。
単なる魔獣の進化が原因だったとしても、
そうなった原因は存在するはずなのだから、それを調査しなくてはならない。
何れにせよ、長丁場になる。
しんとする、その場。
魔獣の討伐には常に危険が伴う。
殊更、今回のケースのように強い魔獣となると……
「……どちらなのかを明らかにするつもりならば、あと二、三度調査が必要ですよね。
それに、今回はフィアとスターリン……
どちらもにたような制服を着た二人だった。
それなら、ヒトラーたちのような黒い制服の騎士はどうなのか、
白衣を着ている僕たちのような草鹿の騎士はどうなのか……
そういったことも、突き詰めなくては行けません。
一般人の被害がないというのが幸いですかね」
ジェイドがそういって溜め息を吐き出すと、ちらりと彼の方をアレクが見た。
そして、半ば苛立ったような声で言う。
「調査が慎重なのは構わねぇけど、それじゃ時間かかりすぎるだろ。
それに、実験台にされる人間が必要になってくる。
お前の得意な科学の研究じゃないんだぞ、ジェイド」
悠長に比較実験してたら被害が増える、と皮肉っぽく言うアレクに、
流石のジェイドもむっとしたようだった。
「それくらい僕も知ってますよ。
僕だって好き好んで実験台にしたいなんて思いません」
「お前の言い方じゃそう聞こえるんだよ」
「じゃあ他の方法が思い付くのですか?
いつも貴方はそうですよね、アレク。
直球勝負だけでどうにかなる問題ならば今ごろとっくに……!」
「もうやめろ二人とも」
ヒトラーがぴしゃりとその場を諌めた。
この場では一番年下のはずの彼だが、誰より落ち着いていて冷静だ。
そんな彼の仲裁に喧嘩腰だった二人は気まずそうに黙りこむ。
と、そんな殺伐とした空気を裂くように、明るい声が上がった。
「大丈夫だってどうにかなるなる!」
なっ、と明るく笑いながらムッソリーニは言う。
余裕だよっ!と。
ぽかんとした騎士たちを見つめて、彼は明るい笑顔のままに言う。
「所詮は魔獣だろ?出てくるならやっつければ良いしさ?
人間が作ってるにしたって魔力の干渉でそうなってるにしたって、
無限に作り出せるわけじゃないんだから、そのうち止まるよ!
うまくどうにかなるって。
それより、ちょっと休憩しよーぜ?
ずっとこんなとこで暗い話ばっかりしてても疲れる……」
「いい加減にしろなのだよ」
ムッソリーニの言葉を遮ったのは、冷静な声。
少し呆れたような、怒ったようなスターリンの声だった。
「今そんなにへらへらしてる場合じゃないだろ。
フィアも今楽観視できる問題じゃないっていったばかりなのだよ」
聞いてなかったのか、というスターリンのその言葉に、
ムッソリーニは鼻面をひっぱたかれたような気がした。
一瞬凍りついた空気に少し瞳を揺るがせた後、ムッソリーニは笑って、いった。
「え、あ……あ、ごめん、ほら、俺って馬鹿だからさー!ごめんなー?」
"いまいちどの程度深刻なんだかわかんなくてさぁ"と苦笑しつつ頬を引っ掻いて、
ムッソリーニは他の騎士たちに詫びる。
その仕種さえも若干戯けたようなもので。
「全く……これだから能天気馬鹿は」
やれやれ、というように溜め息を吐いているスターリン。
「お前はこういう場でも通常運転かムッソリーニ……」
フィアも、スターリンにつられたようにそういって、小さく笑った。
他の騎士たちも笑っている。
先程もめていたアレクとジェイドも。
呆れた声をあげて肩を竦めたスターリンも。
多少空気は緩んだ、ような気もする。
ムッソリーニはその事に多少ほっとしつつも、
"何か飲み物でも飲もうぜ!"という声が震えそうになるのを抑えるのに必死だった……
***
―― そんな会議が終わって。
とりあえず、騎士たちにはあちらの方面へいくときには注意するよう指示をだし、
きちんと順序をたててから調査を進めるという方向性に纏まった。
一先ずは風隼の騎士が周辺に探りをいれにいくという。
ムッソリーニは自室に帰ると、そのままばたりとベッドに倒れ込んだ。
はぁと息を吐き出して、布団を握りしめた。
その手が、小さく震える。
と、その時。
とんとん、と軽くドアがノックされる音が聞こえた。
誰だ、と思って……"あ、忘れてた"と呟く。
そういえば、会議が終わったら自分の部屋に来てくれと"彼"に言われていたのだった。
正直、今顔をあわせたくなかった。
でも、このまま放置というのは如何なものか。
そう悩んでいる間に、かちゃりとドアが開く音が聞こえた。
どうやら、入ってきたらしい。
「ムッソリーニ?どうしました」
体調が悪いのですか、と心配そうな声。
ベッドに突っ伏したまま返事もしない彼に不安になったのだろう。
ムッソリーニは体を起こして部屋に入ってきていた彼……
カルセに向かって、"大丈夫です!"と返した。
ちゃんと、笑顔を浮かべて。
「ちょっと、うとうとしてたんですよ、ごめんなさい。
今さっきまでいってた会議で疲れたっていうか……」
少し、本音が混ざって、ムッソリーニは焦る。
ただ眠かった、というつもりだったのに……
カルセはそんな彼の言葉を聞いて、すっと目を細めた。
そして、ベッドの上に座ったままの彼を抱き締めようとする。
「っ、……」
ムッソリーニに今触れないで、というように体を押し返された。
その行動が、彼のどういう心理から来るものかはもうカルセもよく知っている。
そっと彼の肩に手をおいて、彼と同じ目線になるようベッドの上に座りつつ、
カルセは静かな声で問いかけた。
「……会議で、何かあったのですか」
「魔獣の、話でしたよ。
変な魔獣が出てて、騎士が襲われてるから、って。
裏に人間がいるかもしれないしただの魔力干渉かもしれないかもしれないけど、
まだわからないことも多いから……皆、不安みたいだった」
そこまで言うと、ムッソリーニは俯いた。
さっきはあんな風に振る舞ったし、"深刻さがわからない"等といって見せたが、
ムッソリーニだってちゃんと深刻さは理解しているし、不安だ。
これから先どういう調査をしていくのかはよくわからないのだけれど、
騎士が狙われているというのだから仲間たちが危険な目に遭う可能性が高い。
それが怖くないと言えば嘘になるし、
何より皆が不安そうな顔をしているのが怖かった。
あげく、あの場でのジェイドとアレクの喧嘩と言う珍しい事態。
何とかして、空気を和らげたかった。
だから、馬鹿で考えなしな様子を見せた。
戯けて、仲間を呆れさせて、でもそのあとに少し笑ってくれればそれでよかった。
自分は、ただの道化役に回っても……――
ぽたり、と俯いた拍子に雫が落ちた。
ムッソリーニはそれを慌てて拭う。
そして、反射的に詫びた。
「ごめ、んなさ……」
「謝らなくて良いんですよ……」
そういいながら、カルセは優しくムッソリーニの体を抱き寄せた。
彼の微かな抵抗も、無視して。
カルセの腕に抱かれてたムッソリーニは泣くのを堪えているのか、少し震えている。
はぁ、と苦しそうに吐き出した吐息には涙の色が滲んでいた。
隠しても隠しきれない、悲痛の色……
カルセは抱き締めた彼の背に手を回して、優しく擦った。
その手の暖かさに、優しさに、感情が決壊したようにムッソリーニは声を洩らした。
「っ、何で、なんで……俺、ばっかり……」
カルセは彼の背中を擦りながら、言葉の続きを待った。
ぎゅ、とカルセの服を握りしめながら、
ムッソリーニは胸に閊えた思いを吐き出すように、震える声でいった。
「何で、俺ばっかりこんなにやんなきゃいけないんだよぉ……っ」
悲痛な、叫びだった。
周りのためにと笑顔を保ち、必死に、必死に皆を笑わせようとして。
苦しくても、悲しくても、それを表情には出すことをせず……
でも、それは虚しいのだ。
ふと、我に返ってみれば、何で自分ばかりがこんな悲しいお道化を続けているのか。
そう疑問に思って、苦しくなる。
でも、苦しいと思うと同時に、そうすることが自分の使命と思うのだから皮肉だ。
カルセはそんな彼を優しく抱き締めながら、いう。
「良いんですよ。辛いのなら、道化を気取らなくたって……」
今は、泣いていたって構わない。
傍にいるのは、自分なのだから。
貴方の涙を拭うために自分は此処にいるのだから、とカルセはいう。
それでもなお、泣くことを禁じているかのように唇を噛み締めているムッソリーニ。
カルセは顔を歪めて、その口許に指先で触れる。
「切れてしまいますよ……」
カルセがそういってもムッソリーニは首を振る。
微かな嗚咽混じりに、彼は訴えた。
「だって、泣くのは、駄目、だから……っ」
「何で駄目なのですか?」
その理由が、わからない。
泣いてはいけないと、誰かに言われたのだろうか。
カルセの言葉に、ムッソリーニは震える声で答えた。
「俺は、笑ってないと……暗い俺は、俺じゃ、ない」
泣いていてはいけない。
笑顔でいなくてはいけない。
頑なにそう言い張る彼に、カルセは悲痛な顔をする。
「そんなことはないですよ。泣いていても、怒っていても、貴方は貴方です……
苦しいのを堪えて泣くのを抑圧する必要なんて、ないのですよ……?」
誰も貴方を責めはしない、そういうのに……
彼は、必死に涙を止めようとする。
必死に、嗚咽を噛み殺そうとする。
その度に苦しげな声とも呻き声ともつかない音が漏れた。
速くなった呼吸は苦しげで、カルセはただただ彼の背を擦っていた。
ムッソリーニは縋るように彼の胸に顔を埋めて、ずっと堪えていた涙を溢し続けた……
***
暫く抱き締めて背中を擦っていれば、彼は泣き疲れたのか、寝入ってしまった。
すぅすぅ、と寝息をたてる彼は、漸く少し落ち着いたような顔をしていたが、
まだ少し残る、しゃくりあげるような嗚咽。
カルセが彼の体をベッドに寝かせながら優しく額を撫でれば、
微かな声で"ごめんなさい"と、呟くように詫びた。
もう一筋、涙が伝って頬に落ちる。
そんな彼の言葉に、カルセは溜め息を洩らした。
「……謝ることなんて、何一つないのに」
彼は、泣いているときいつも謝る。
泣いていることを詫びる。
ごめん、すぐに笑うから。
そう言って、必死に笑おうとするのだ。
苦しさも、悲しみも、一人で全て飲み込んで。
明るく笑って、周りを元気付けて……
でも、そんな彼の本当の思いには、皆気づかない。
彼が、気づかれないように振る舞っているから。
「まだまだ子供なのに……否、まだ子供だから、ですかね」
こんな風に、周囲を気遣って振る舞う彼。
それはまるで喧嘩をしている両親を必死に笑わせようとしている健気な子供のようだった。
会議の内容は、カルセは知らない。
あとからジェイドからそれとなく聞き出そうかとも思ったが、
部外者が首を突っ込むというのも賢明とは言えなさそうだ。
それならば自分なりに少し調査をして見ようとは思っていたが、
それは、ムッソリーニに言うのはやめにした。
優しい彼のことだ。
きっと、心配する。
そう思いつつ、カルセはそっとムッソリーニの目元に触れた。
そして、小さく呟く。
「これだと、少し腫れますかね……」
さんざん泣いていたから、眠っていても少し瞼が厚ぼったい。
冷やすための氷を持ってきておこうか、とカルセは思った。
彼がよく寝入っていることを確認してから、一度カルセは外に出る。
すると、廊下ですぐに彼のかつての部下と鉢合わせた。
「あ……先生」
「おや、ジェイド。戻ってきたのですね」
何事もなかったかのように振る舞うのはカルセも得意だ。
微笑みながらそういえば、ジェイドは若干決まり悪そうな顔をしつつ、いう。
「えぇ……あの、ムッソリーニを知りませんか。
先ほど会議室から出ていくときに少し顔色が悪いように見えた気がして……」
その言葉に内心、少し驚く。
その時からすでに、何か苦しい思いをしていたのだろうか、と。
ジェイドは、カルセを見ながら訊ねる。
「最近よく先生と一緒に居られるので、もしかしたら、と……」
「あぁ、私の部屋で寝ていますよ。少し、体調が優れないようだったので」
でももう大丈夫のはずです、といってカルセは微笑んだ。
ジェイドはそれを聞いてほっとしたように微笑んだ。
医者として、心配だったのだろう。
具合が悪そうだった"仲間"が。
多分、彼の"真意"には気づいていないはずだ。
そのことにほっとするやら落胆するやら、だった。
***
ジェイドと別れ、カルセは食堂で氷を袋に詰めて部屋に戻った。
まだ眠っている彼は、布団を強く握っている。
カルセはそっと、そんな彼の頬にキスをおとした。
少し塩辛い、涙の痕がのこる頬。
―― …………。
未だに、小さく嗚咽を洩らす彼が呟くように自分の名を呼んだ。
カルセはそれを聞いて、微笑む。
「……貴方は、私が守りましょう」
貴方が仲間に弱い姿を見せたくないと言うのなら、
その姿を隠すのだって手伝いはする。
でも、その分の涙は自分と一緒に一緒にいるときに見せてほしい……
きっと、眼を覚ましたらまた気まずそうな顔をして、もう平気だと笑うのだろう。
そして、また心が限界になるまで悲しみを堪え、笑顔を保つのだろう。
優しさゆえに苦しむ彼を、助けてあげたい……
そう思いながら、眠る彼の頬をそっと撫でて、カルセは悲しげに微笑んでいた。
―― 虚無と抑圧と… ――
(零れた本音の一欠片
苦しかったのでしょう、それを思わず吐き出してしまうほどに)
(涙を流すことを自らに禁じ、涙を流せばそれを詫びる
そんな貴方の苦しみをほんの一部でも私が背負うことができたら……――)
(泣いてはいけないと、思っている。
それでも、彼の優しい腕に抱かれると胸が苦しくなって涙が溢れる
ごめんなさい、すぐにちゃんと笑うから…そう言うと貴方は悲しそうに俺を見るんだ)