「静かやなぁ……」
独特の訛りのある口調で小さく呟く、赤髪の青年。
閉まった窓から空を見上げる彼の顔には退屈そうな表情が浮かんでいた。
長い赤髪の青年……フランコはディアロ城の一室に滞在していた。
この国からは少し遠い、ムセオ王国の騎士である彼だが、
時折こうしてこの国に訪ねてくるのである。
とはいえ……現在の時刻は真夜中、零時過ぎ。
普通の騎士たちは眠りにつく頃で、城は静まり返っているが……
夕方にシエスタという午睡を楽しむ文化がある彼は眠るに寝付けず、起きていた。
かといって、外に出て剣術の練習などをすることも出来ない。
外は寒いし、下手をすれば警備の騎士に何をしているのかと訝しまれる。
退屈だな、と思っていると……
ふ、と後ろに気配を感じた。
一瞬敵かと身構えかけたが、すぐにその緊張を解いた。
フランコにとってはよく知った気配だったからだ。
振り向けば、そこには漆黒の男性の姿。
長い黒の前髪がふわりと揺れた。
それを見て、フランコはにっと明るい笑顔を浮かべた。
「ノアール、久しぶりやな!」
「久しぶりだな。この国に貴様が来ているようだったから、様子を見に来た」
人懐っこく笑うフランコに黒髪の彼……ノアールはそうそっけなく言う。
その相変わらずな彼の様子に、
フランコは"相変わらず無愛想なやっちゃな"と苦笑を浮かべた。
ノアールはそんな彼の反応を軽く流しつつ、
相変わらず明かりのついたままの部屋を見渡して、怪訝そうにフランコにいった。
「寝ないのか。他の騎士たちはもう眠り始めている時間だが」
ノアールがそういうと、フランコは"寝れん"と笑いながらいった。
「シエスタしてる分、俺はいつも遅くまで起きとるんや」
「……そうか」
シエスタがどうの、という話は前に彼から聞いている。
変わった文化だな、というのが素直な感想だ。
昔から今までノアールは自分の国を出たことがない。
自分の主と共に多少他の国も見たことはあるが、
文化や国民性がわかるほど長く滞在したことはないのだった。
そんなことを考えていたノアールは、
フランコが自分をじっと見つめていることに気づいた。
彼の視線に怪訝そうな顔をしつつ、ノアールは訊ねた。
「何だ」
「……ちょっと、じっとしててや」
そういったフランコは少し背伸びをして……
すっとノアールの首もとに手を伸ばした。
思わぬ行動にノアールは珍しく表情に驚きを滲ませる。
「!?な、何す……っ」
フランコは"じっとしてて"ともう一度言うと、
する、とノアールの襟元に結んであったネクタイ代わりのリボンをほどいた。
そして、自分のそれもほどいてノアールの手にひっかける。
そのままノアールから取ったリボンの方を自分の襟元に巻いて、きゅっと結んだ。
「へへ、交換したった!」
どうや、とフランコは得意気にノアールに笑いかける。
彼がしたかったのは、これらしい。
フランコの首もとにはノアールがつけていた漆黒のリボンが結ばれている。
ノアールは自分の手に握らされた彼のリボンを一瞥すると小さく息を吐いて……
フランコに向かって一度、小さく手を振った。
すると、彼の首元に結ばれたリボンがきゅっと絞まった。
ノアールが得意とするのは、炎属性の魔術の他に悪魔属性の魔術。
それを使えば少し物体を操ることくらい、容易い。
「っ!?」
フランコは驚いて目を見開く。
唐突に首が絞まれば誰しも驚くだろうが。
ノアールはそんな彼の表情を見るとすぐに魔術を解いた。
フランコはほっとしたように首を擦る。
そんな彼の様子に溜め息を吐くと、ノアールはフランコのリボンを差し出しつつ、
短く、少し説教するような口調でいった。
「返せ。これに懲りたら勝手に人のものをとるな」
「うー……悪ノリやんか、許してぇや……」
フランコはそういいつつノアールのリボンをほどいて彼に返す。
そして恨みがましげな視線をノアールに向けつつ、いった。
「でも、急に絞めるのは無しやで、ちょっと怖かったやん、酷いわ!」
「この程度で怖いとは……頼りになる親分が聞いて呆れるな」
ノアールは冷静にそう返しつつ、フランコが返したリボンを襟元に結び直す。
フランコも自分のそれを結び直すと、むくれたようにいった。
「俺は魔力が弱いからノアールの魔力に応戦できんかったんや!
やのに不意打ちなんて卑怯やで!
ちょっと魔力強いからって調子に乗んなや!」
「ほぅ?魔術が弱いというのなら……体術ならば負けない、ということだな」
ノアールの言葉にフランコは"勿論や!"と言うが……
ノアールの体格を見て、少し怯んだ。
比較的小柄なフランコにとって、身長が180越えているノアールは、
正直いってかなり大きく見える。
体格的には華奢だが、案外力はある方だと話していたし……
ノアールは彼の反応を見ると、小さく鼻を鳴らして、追い討ちをかけた。
「そもそもの話、貴様が俺のネクタイをとるから悪いのだろう。
俺はあくまでそれを取り返そうとしただけだ」
「う……俺は、悪ないもん。
ただ、お揃いやから交換してみたかっただけやもん……
なのに、ノアール酷いわぁ……」
次第に声色が潤んできているのに気づいて、ノアールは慌てて彼を見た。
金色の瞳が潤んでいる。
親分だ将軍だと名乗る自信家の彼ではあるが、あくまでもまだ19の青年だ。
年上の男に悪気なく仕掛けた、それもあくまで親愛の情で仕掛けた悪戯で叱られ、
あげくに首を軽くとはいえ絞められたとなれば……涙も浮かぶのだろう。
それを見てノアールは戸惑いと焦りが綯い交ぜになったような顔をした。
以前はフランコと似たり寄ったりの年の少年たちと過ごしていたことがあるが……
彼らはちょっとやそっとでは泣かなかったため、泣かれたことはあまりない。
だからこそそういう時に相手をどう扱っていいのか、よくわからない。
ついでに言うのであれば、彼の言葉と表情に言い様のない罪悪感が沸いた。
彼に悪意がないことはわかっていたのだし、何より……
ノアールは、フランコのことを気に入っている。
どう反応をしたものか、と少し悩んだ末に、
ノアールは相変わらず不器用に、低い声でいった。
「……すまない、流石にやり過ぎた。
俺が悪かったから……その、泣くな」
ノアールはそう言いながら、瞳を潤ませているフランコの頭を不器用に撫でた。
その手に驚いて、フランコはぱっと顔をあげる。
一滴、涙がこぼれて頬を転がっていった。
その反応はノアールにとっても予想外で、不思議そうな顔をする。
どうした?と言わんばかりのノアールの顔を見て、彼は少し照れ臭そうな顔をした。
「や……ほら、俺皆の親分やん?
普段は撫でる側の人間やから……ちょっと、照れるわぁ」
「……そうか」
なるほどな、といってノアールは彼の頭を撫で続ける。
ノアールも、かつての組織のなかでは一番年上で、
他の小さな操り人形たちの頭を撫でてやっていた立場だ。
"ノアールは撫でんの上手いなぁ"とフランコが呟いているあたり、
ノアール本人にもあまり自覚はないが……なれているのだろう。
照れ臭そうにしつつ自分の手を受けて笑っているフランコ。
それを見ると、ノアールは小さくいった。
「親分といっても、貴様もまだ子供だろう。たまには撫でられる側でも良かろう」
「……子供扱いすんなや」
「俺から見ればまだまだ子供だ」
むくれる彼の頭をもう少し撫でると、ノアールは手を離す。
彼の瞳に浮かんでいた涙は大分乾いていた。
と、フランコはふと何かを思い出したような顔をして、ノアールに問いかけた。
「そうや。ノアールは帰らなくてええの?」
「俺は別にいつ何処へ帰ろうが自由だからな……
この国の人間に姿を見られなければ、問題はない」
「そうなん?せやったら、暫く暇潰しに付き合ってくれん?」
眠くなるまで、とフランコは無邪気にねだる。
ノアールは断る理由もないために"別に構わん"と返した。
そして自分の返答に嬉しそうに笑うフランコの首もとを見た。
先程彼が自分のネクタイを巻いていた場所を。
先程彼が自分の手に引っ掻けた彼のリボンを。
―― お揃い、か。
その言葉を嬉しいと感じたことを、目の前の青年は気づいているだろうか。
……多分、気づいていないだろうな。
そう思いながら、ノアールはそっと自分のリボンを指先で弄った。
―― Ribbon ――
(きっとお前は何の気はなしにいったのだろう
けれど俺はその言葉を確かに…嬉しく思っていて)
(乗ってやればよかっただろうか、と今更思う。
お前に手渡されたお前のリボンを自分の襟元につければよかったか、と。
俺がそんなことを考えていることを、お前はきっと気づいていない)