育て屋でお世話になって2日目。暇があるから落ち込むんだと結論づけて簡単な仕事を貰ったけれど、どうにも上手くいかなかった。初めて経験する職種な上にいまいち身が入っていないからだ。その失敗をまだ本調子じゃないんでしょう、なんて笑って許してくれるのがまた心苦しかった。加えて悩みから逃げる先を仕事に求めたのは間違いだった、なんて新たな落ち込み要素を見つけて、俺はまたどこまでも落ち込んでしまった。だめだ、一度落ち込むとコレだから俺は。唯でさえ迷惑かけてんのに、本当にどうしようもない。

 上手く切り替えられずにいる俺の元へ、人が尋ねてきたのはその日の夕方だった。コトネ母に呼ばれて育て屋のカウンターへ向かうと、目の覚めるような水色の髪と体のラインがばっちり見えるレンジャー服を着たお姉さんが居た。今日はその肩にプラスルが乗っている。俺を見つけると笑顔で手を上げた。

「よ、こんにちは。元気にしてた?」
「先日は有り難うございました。とても助かりました」
「なぁに、その畏まった言い方!」

 キキョウシティ以降ちょっと気安くなったお姉さんに、つい接客マニュアル的な対応をしてしまった。落ち込むあまり他の事に咄嗟に気が回らなくて、お姉さんに対する態度が可笑しくなったんだ。お姉さんはまず驚いてスパンと突っ込みを入れ、それからさも可笑しいと噴出した。

「おっかしいの、最近砕けてたじゃない。似合わないわー」

 遠慮なしに笑うものだから、釣られて俺も表情が崩れた。

「そうですかね? バイトするなら、一応出来た方がいいでしょう?」
「ああ、まあそりゃそーね。でも私にする必要ないじゃない。客じゃないんだから」
「そうですね、すみません」

 謝るとお姉さんは目を細めて、どこか偉そうな雰囲気で、俺を睥睨するかのような視線を送って寄越した。

「あんた、どうしたの?」
「……何がでしょ?」
「この前と、って、キキョウね。キキョウの時と雰囲気違うよ?」

 落ち込んでるんです、とも言えず、俺は笑って「そうかな」と言葉を崩した。

「まあいいや。ちょっとコガネまで付き合ってよ」
「今から?」
「悪いけど今からよ。仕事が立て込んでて、今を逃すといつ時間取れるかわからないの」
「は、あ」

 そこまでして俺に話したいことがあるのか? と疑問が沸いたが、お姉さんが「じゃあ、少しお借りします。無事に送り届けますので」とコトネ母に断り、俺の手を引いて外に出ようとしてしまった。

「あ、俺、準備が」
「財布なら要らないわ、おごりよ」
「いえ、手持ちが」
「だから財布は要らないって」
「ちがくて、俺のポケモン」
「……ああ、なるほど。トレーナーだもんねえ。連れてらっしゃいよ」
「はい」

 なんとなく逆らえず、俺は急いで手持と鞄を取りに部屋へ戻った。





 腰にはモンスターボール、足元にはチコリータを伴って外に出ると、1匹のギャロップが草を食んでいた。お姉さんは真っ直ぐにそちらへ向かって、「おまたせー」と首筋を撫でた。ギャロップは顔を上げてお姉さんに顔を寄せる。チコリータは俺の足元からそっと覗いている。

「この子も乗せて欲しいの、お願いね」
「ぶるる」
「えっ……えっ」

 突然の事にうめき声しか出なかった。だって馬に乗るとか、一度も経験ないぞ。鞍つけられてるけど、スプリングなんてないんだ、ケツ痛そう。
 引け腰になっていとお姉さんが強気そうな笑顔を浮かべた。

「その様子だと、乗ったことないね?」
「え、ええ。つか、素人がいきなり乗れるもんでもないでしょう?」
「自転車なんかと違って、乗るんじゃなくて乗せてもらうものだから、ちょっとコツはいるかもね。でも大丈夫、クッションも用意してきたし、私とギャロップがちゃーんと補佐してあげる!」

 そう楽しげに言って鞍に乗せられていた鞄からクッションを取り出すとさっさと鞍に取り付けて、動けずに居た俺の背をぐいぐいとギャロップの方へ押した。

「いや、ちょっと、注意事項の説明も無しですかっ? 馬って自分の足にも驚くほど臆病なんでしょ!?」
「良く知ってんのね。でも大丈夫、まず馬じゃなくギャロップだし、この子はバトル経験も豊富で人間にも友好的よ。子供のせるのもお手の物だから、安心して任せなさい」
「いやいや、ええええ、いや、俺の心の準備が」
「そぉんなみみっちいこと! 案ずるより生むが易しよ」

 なんかいつになくテンションの高いお姉さんにぐいぐいと押され、あっと言う間にギャロップの巨体が眼前になった。うええ、結構デカイ! 俺がチビだからそう思うのかもしんねーけど、でもとにかく迫力が。つーか、

「火、燃えてる」
「当たり前じゃない、ギャロップだもの」

 赤々と燃えているのに熱気を感じない。その不思議な炎にそーっと手を伸ばすと、お姉さんが後ろで笑った。

「熱くなんかないわよ。この子、特に気性が穏やかなの。人間の子供相手に激昂するなんて、まずないから」
「へぇぇ……」

 図鑑によると、ギャロップの炎は懐いてる人間にとっては熱くない。つまりコントロールの利く物だと知っていたけど、実際目の前にすると見入ってしまう。火なのに熱くないなんて、変だ。

「なんで熱くないんでしょう?」
「さあ? その辺分かってないのよ。燃え移る事もないしね。ま、ポケモンの出す火は普通の火とは違うって事でしょ。さあ、早くそこに足かけて」
「わかったから、押さないで!」

 ぐいぐいと押されて、鞍に足をかける。手で触れた所からギャロップの体温が伝わって来て、振り落とされたらどうしようと思うあまりまごついてると、「そのまま地面蹴って、足あげて跨ぐ。ちょっと勢い付けて、その首のあたり、掴んでも大丈夫だから」と急かされた。思い切って掴まって地面を蹴りつけたが、上手く乗れなかった。つか脚力も握力も足りない。力入れるとまだ足首痛いから余計にだ。
 お姉さんは呆れたふうに笑って、「ちょっとお尻触れるよ。補助したげる」と、俺が地面を蹴り付けると同時に下から押してくれた。密かに男の矜持へダメージを負ったが、親切からの申し出&己が非力だという現実の前ではどうでも良い事だと自分に言い訳しておく。大丈夫、これから成長すればいい、大丈夫。

 下手くそな乗り方だったのにも関わらず、ギャロップは微動だにしなかった。その背中に跨ると視線がとても高くなって、唐突に視界が開けたようだった。落ち込んだ気持ちを押しやるように高揚が生まれる。俺ってば本当に単純というか、現金と言うか。
 お姉さんに「足外して、前に詰めて」と言われるまま、鞍から足を外してもぞもぞと前に進むと、お姉さんが後ろに乗ってきた。身体的にはもう大人の部類であるお姉さんは、座ってもなお俺より上背がある。しかし残念ながら密着はしなかったので、ラッキースケベとはならなかった。胸結構あったから、当たるかもと思ったんだけどな。

「じゃあ歩くよ。これに掴まって、背中伸ばして、太ももでしっかり挟んで」
「はい。あ、待って、ワカナ、戻って」

 ちょっと離れたところでじーっとギャロップを凝視していたチコリータをモンスターボールに戻し、指示されるまま、普段取らないようなピンとまっすぐの良い姿勢を作る。お姉さんは「はい、行って」とギャロップに話しかけた。それだけで、蹴られもしないのにギャロップはゆっくりと歩き出す。一歩進むごとの上下に揺れる。それから、鞍の下で動物が動いてる生々しい感じ。凄く妙な感覚で、無意識の内に俺は「う、わ、わ」と言いながら少し笑っていた。

「ふふっ、どう?」
「視線が高くて、ちょっと怖いです」
「それだけ?」
「いえ、楽しい、と言うか、珍しいと言うか。なんか、凄いですね。凄く遠くまで見通せる」
「視点が高いと面白いでしょ。走ったらもっと凄いんだから」
「気持ちよさそうですね」
「もちろん。風を感じながら、ギャロップと一体になって走り抜けるの。この子は特別賢いから、初心者でもとっても気持ちよく走ってくれるんだから」

 自慢気な話しぶりにふと疑問が湧いた。このギャロップ、お姉さんの手持ちって事はないと思うんだけど。

「お姉さんは、どっかの地方のポケモンレンジャーでしょう?」
「そうだけど。なによ、突然」
「いえ、このギャロップ、昔から知ってるみたいな口ぶりだったんで」

 固定の手持ちを持たず、独楽みたいな機械(なんて言うか忘れた)を使ってポケモンと意思疎通を測り、その辺の野生のポケモンから力を借りる。お姉さんはそういうタイプのポケモンレンジャーだ。さっき俺が手持ちを連れてくると言った時もポケモンでなく財布の事だと思っていたようだし、てっきり自分のポケモンは居ないのかと思ったのだが。

「そりゃ、知ってるもの」
「プラスルもお姉さんのポケモン?」
「あー……えーっとねえ、こっちの人の感覚と違うのよ、あんたも勘違いしてる。プラスルもギャロップも私のパートナーなの」
「パートナー、ですか」
「そ。モンスターボールで捕獲したんじゃなくて、この子たちはこの子達の意思で私に、ポケモンレンジャーの活動に力を貸してくれてるの」
「へえ……」

 その言葉で俺はお姉さんの育ち方の違いを強く感じた。ポケモンをモンスターボールに捉えるのは、一種の洗脳じみたものだ。ポケモンを守るレンジャー、しかも捕獲する文化がない地方の人には、トレーナーはどう映るんだろう?

「つっても、ポケモン捕まえるのがどうって口出すつもりはないからね」
「はあ」
「なに、そこが気になったんじゃないの」
「いえ、その通りなんですけど。エスパー?」
「違うっつーの。こっちの地方に来てからよく聞かれるのよ。近年モンスターボールが安くなって、捕まえるだけ捕まえて、ポケモンの意思を無視してるトレーナーが多くなったでしょ。社会問題になってる事だから、私みたいな地方の人から見たら、って卑屈になられるの。私は、そんな個人的な事に何かいうつもりはないっつうのに」

 ため息でも吐きそうな呆れた口調。つか、卑屈って。ずばっと言うなあ。社会問題うんぬんは知らなかったけど、そういう問題があるなら、レンジャーの視線は気になるだろうな。自分が悪いことしてなくても警察を見るとどきっとするような感覚と言うか。

「モンボは洗脳ちっくな所あるから。どうしても気になっちゃうんですよ」
「わかってる。貴方も気になる?」
「そうですね。普段は意識してないけど、こういうふとした時にどきっとすると言うか、ひやりとすると言うか」
「そういうのを意識できるなら平気でしょ」
「そうかもしんないですね。でも、きっとそういう事じゃないんですよ。普段問題なくポケモンと楽しく暮らしてても、違う文化を持った人に出会うと、自分の在りようが揺らぐんじゃないかな」
「自分のありよおぉ?」
「ああー、在りよう、とまで言ったら言い過ぎかもしんないけど。なんつうんでしょう、普段意識の外にある、罪の意識、みたいな……なんか違うかな」
「ふぅん? 罪って、そう思ってもトレーナーになりたかったの?」

 言葉を失った。罪の意識を抱えてるのは今の俺だ。トレーナー全体の問題じゃなかった、と気付くがもう遅い。出た言葉は戻せない。

「……旅立つ前は、そこまで考えてなかったですから」
「ああ、なるほどね。私もレンジャーになってから、学ぶことは多いよ。お互い課題の尽きないものね」
「お姉さんも?」
「そ。こっちに来てトレーナーを見てると思うの。私の地方にもトレーナーが居ればもう少し何か出来るんじゃないか、って。トレーナーは合理的ね、ポケモンが6体いたら、大抵の事には対処出来る。しかも、制約無く、どんな場所にでも、どんなポケモンでも連れて行ける。伝説と呼ばれるポケモンまでね」
「まあ、そうですね。なんでトレーナーが居ないんですか?」
「知らないの?」
「不勉強ですみません」
「別に責めてないよ、言い方きつかったらごめんね。でも気にしないで、口が悪いだけだから。――フィオレにトレーナーが居ないのは、まあ色々理由があるけど、一番は必要なかったからね。昔からポケモンと人は寄り添って生きてきた。だから捕まえる必要がなかった」
「……誰より近くで力を貸してくれる、信頼できる友達なんですね」
「恥ずかしいわね、そういう言い方は。でも、そうね、仲間なのよ」

 仲間というなら、トレーナーと手持ちもそうだ。ひとつのチームとしてバトルを勝ち抜く仲間。でもお姉さんの言う仲間はきっと違う。
 フィオレ地方のポケモンと人間の関係は、パートナーと言うのが一番しっくり来るものなのだろう。トレーナーがポケモンを捕まえてから信頼関係を築くのに対して、フィオレ地方は、レンジャーは最初に信頼ありきなのかもしれない。