日々、過ごしていると、
もっとゆったりと、子どもと話したり、
この子ができる方法を試行錯誤したりしたいと思うのです。

子どもにかける手間?が少なくなっているのではないか、とも
ちらりと思うこともあります。
自分も含め。

愛情が必要なのに、追われてしまうのはなぜ?

形式ばったもの
それは、「教育の 質 の確保」という策だけれども
そして、「教育者の負担を減らすため」でもあるのかもしれないけれど

もっと、教育学というか、
未来を生きていく子どもたちのために
何が必要なのか、何を置くべきなのか
問い続けないと、ハードウェア・枠組みに踊らされるような気がしています。