3月11日…地震当日のことをまとめてみようと思います。
あの日…わたしは仕事が休みで。正確には2連休の初日でした。

午前中に披露宴のお祝いを頂いたので、そのお返しを買いに行って…買い出しに行って。

飛鳥ちゃんはハンバーグが好きなので夕食はハンバーグにしよう。
さつま揚げが安かったし、大根と一緒に煮て…

…そんな、ごくありふれたことを考えていたあの日。

わたしは自宅で地震に遭いました。
はじめの揺れはごく弱いもので。
それが次第に強く…激しくなっていった。
止まないどころか激しくなる揺れに身の危険を感じたわたしは、とっさにテーブルの下に身を隠しました。

揺れが弱まるのを待ち…テーブルの下から出ると、家の中は大変なことになっていました。

レンジの上のオーブントースターが落ちてテレビが落ち…並べておいた本の山は崩れ…3段ボックスの扉が開き、中に入っていたものは外に飛び出していました。

停電したため、とりあえず外に出て車のラジオを聴いて。

そこで初めて、今回の地震の凄まじさを知ったのです。

15時過ぎ…30分くらいは揺れたままのような状態で。
そんな混乱の中、奇跡のように飛鳥ちゃんと電話が繋がりました。

飛鳥ちゃんの無事を確認した後、奇跡が続いたのか先輩とも連絡が取れ。

そこから先のわたしの行動は…人によっては批判したくなるかも知れません。
わたしは…飛鳥ちゃんと自宅の安全を確認した上で、職場へ向かいました。

停電していて信号もつかない、そして余震が続く中で…。

そして。

職場では停電の関係で、系列の老健施設の食事も作らなくてはならない、そんな状況になっていました。

時刻は夕方過ぎ…徐々に暗くなる中、あるもので…ということで冷凍コロッケを揚げて、急いで御飯を炊いて(炊飯器はガス釜)…

…完全に日は落ちて暗闇の中。

懐中電灯の明かりを頼りにコロッケを揚げました。
おにぎりは…感覚を頼りに作った。

懐中電灯の明かりもあまり強いものではないので…見える範囲も限られていて、片付けすらままならなかった。

…危険なことだと、それはわかっています。

でも―

患者さんや入所者の方へ食事を提供する。
それがあの時のわたしにできることでした。
…食事を、待っていてくれるのですよ。
だからこそ、わたしたちにはわたしたちのできる精一杯のことをしたのです。

わたしたちが作業を進めている途中で、救急搬送が来ました。確か…20時くらいでしたか。

救急隊の皆さんも、電話が繋がらなくて…直接方々の病院を訪ねて回っていたそうです。

受け入れて、あげたかったけれど…満床に近い状態で、結局受け入れることができなくて…。

結局、最終的に全ての作業が終わったのは21時過ぎでした。

それから帰る…予定だったのですが、信号もなく渋滞しているのは確実。

翌日は休みの予定でしたが、系列の老健施設の食事を作る以上、休むわけにはいかない。

結果、わたしと先輩は職場に泊まりました。

余震が続くせいか眠りは浅かったのですが―

…これが当日の記憶です。
相変わらず、上手くまとまりませんが…。