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今度はカレー残業。

先日はカレー残業をしてきました(撃沈)

…カレー残業という言葉だけですと全く意味が解りませんが…

一言で申し上げますと

カレーを作ったらダメ出しされて作り直しになって残業になった。

…です。

カレーなんて一番簡単なように思われますけど…

北の方様(仮)にお出しするカレーは難しいのですよ…。
正直、あまり作りたくありません(涙)

実際、北の方様(仮)はカレーなんて常識とは申されますけど…

あれは常識どころか、ちょっと特殊だと思いますの…。



しかし、だいぶ品物は手に入るようになってきたとはいえ、まだまだ手に入りにくいものや買えないものが多いこの状況で捨てて作り直しを命じるあたり…

さすがに浮世離れしているというか何というか…

余震が相次いだり、何かと思うようにいかないストレスをぶつけているだけとも言われてるんですけど…ね(ため息)

夜梅祭。

地震より前のことになりますが、先輩と一緒に今年も夜梅祭に行ってきました!

一年に一度のこのイベント。
実はまだ歴史は浅く、確か今年で6回目くらい?(うろ覚え)

でも、少しずつ認知度が上がってきているのか今年は去年よりも人が多かったように見受けられました。
夜のお祭りということで、もちろん暗くなってから始まるわけですが…

ライトアップされた梅がまたとても綺麗なのです。
夜桜はとても綺麗ですけど、夜の梅もまた格別でございます。

白梅も紅梅もどっちも綺麗でした…♪

今年も去年同様にキャンドル灯篭(仮)作りをやっていたようなのですが、場所が良く解らず断念。

偕楽園と常磐神社の境内を一周したはずなんですけど…ね?(涙)

そういえば今年も射的の出店が出ていましたが…

そこに新撰組の隊服を着たお嬢さんがおりました。

…お連れのお嬢さんは袴姿でありました。(しかも模造刀まで持ってた)

2人並んで歩いている姿に、わたくしひとりで喜んでおりました(笑)

今年はあまりゆっくりできなかったので来年こそはじっくり見たいと思います。

…さすがに着物は着ないかもですが(苦笑)

職場の入り口。

此方は職場の入り口。

…地面が盛り上がってしまっているのです…。

職場の周囲。

…地震の影響で出来た地割れです。

場所は職場。

こんな感じで、あちこち割れているのです…。

一夜明けて。

前記事に続き、翌日…12日のことを書こうと思います。

職場に泊まり込んだわたしと先輩は…朝から職場と老健施設の朝食作りから始まりました。

老健施設の方は、ようやく僅かながら自家発電が動き出し、米は炊けるようになったとの知らせが。

けれど、以前としてガスは使えないらしく…此方で作らなくてはならないことに変わりはありません。

事務長に言わせると、比較的新しい施設の方はガスのスイッチも電気らしいのです。
此方は古いので違いましたが…今回はそれが幸いした。

…施設の方にできた食事を取りに来ていただいて、わたしは平行作業で自分の職場の食事を作っていました。

わたしの職場は…高齢者…特に、食べることすらままならない方が多くて…

食事はほとんどがペースト食なのです。
いつもはフードプロセッサーでペーストにしますが、電気がない以上使えません。

すり鉢でペースト状にしてはみたものの、やはり荒くなってしまうのです。

…呑み込めない方が多いからこそ、荒いと命に関わってしまうことがある。

詰まらせてしまったら、大変なことになる―

…電気のありがたみを心の底から痛感いたしました。

朝食を無事に出し終え、昼食の支度をしていた頃…

ついに、院内の貯水タンクの水が底をつき、水が出なくなりました。

急いで院長先生に報告して…大鍋を抱えて系列の施設の方へ。

そちらはまだ水が出ているので、とりあえず鍋に水を頂いて急場を凌ぎました。


恐ろしいことに、病院には懐中電灯もタンクもなにも備えていなかったのです。

事務長が、私物のタンクを貸してくださいました。

給水所はひとり1つまで…との規定があり、わたしと先輩…それに事務長と事務の方2人と5人でタンクや鍋を抱えて給水所へ。

そこには、大勢の方が水を求めて集まっていました。
給水車は…あっという間に水が尽きてしまい、取りに帰っているという話を聞きました。

…幸い、中学校の(市内の中学校が給水所に指定されていました)水を持っていって良いとのこともあり、無事に給水。

昼からは先輩と買い出しに行きましたが、ほとんど買うことも出来ず―

暗くなるとまた大変なことになるので、夕食の準備は前倒しで行いました。

朝食、昼食同様に施設の食事を作って取りに来ていただいて…

先輩に先に帰って頂いて。

わたしは夕食の配膳を手伝ってから帰ることにしました。
…エレベーターが使えない以上、病室まで手で配膳しなくてはならないので…。お膳を両手に持って、階段を上がる―

薄暗くなっている階段に気を付けながら上がるのは本当に疲れるものでした。

配膳も無事に終了し、ようやく帰宅することができました。
帰れる時に帰らないとまた帰れなくなるとのお言葉に甘えてさせていただいて。

…帰り道、途中で信号が点いていることに気付き、電気が復旧していることに気づいたのでした。

…自宅の周辺は早かったものの…職場周辺の復旧は翌日になりました。


本当に今回は水と電気のありがたみを実感しました。

…そして。

自分の…自分達の、危機管理の甘さも。

もう少し、いろいろ備える必要性を実感させられました。

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