スクープ激白!
仲村みう「電撃休業の真相は親族とのトラブル」
16才アイドルが涙の90分
「私は岩手の実家から連れさられていたんです」
2006年の「ミスヤングマガジン」に選ばれた仲村だけに、
同じ出版社の「フライデー」(講談社)の独占インタビューとなった。
先ず最初に、
芸能活動の無期限休止を宣言した真の理由は、
実は親族間のトラブルだった。
とあり、
以下、誌面に掲載されている発言等をまとめてみると、
(発言は多少短めにした)
これまで、グラビアの仕事があるときだけ
岩手県の自宅から上京する生活を送っていたが、
11月12日、突然、
仲村の遠い親戚の女性Aの関係者が自宅を訪れ、
「東京に行っている母親に会いに行くから、用意をして」
と言うので、言われるままAの東京の家に連れさられてしまった。
東京に着くと、待ち受けていたAは、突然、彼女に対し、
「今の事務所は辞めさせて、仕事の面倒は私が見る。学校にも通わせる」
と話し、いきなり芸能関係の専門学校に連れて行き、
入学申込書にサインをさせた。
その後も、複数の芸能プロダクション社員やマスコミ関係者に会わせ、
昼夜を問わず、様々な場所に連れ回した。
Aの家にいるときは、常に監視役のような男性や若い女性がいて、
コンビニなど近くに出かける場合でも彼らの許可が必要。
Aは、
「私は有名な女やくざ。あんたがどこに行こうとも、すぐにわかるからね」
「あなたが逃げたら(専門)学校の入学金をお母さんは払えるのか」
と脅迫めいた言葉を口にした。
東京の地理も全然わからないから逃げようもなかったし、
母親とも連絡させてくれなかった。
さらに、Aは、
「深夜にAの経営するスナックに連れて行かれ、
いずれ、あんたにもここで働いてもらう。
未成年でも私はあなたの親代わりだから問題ない」
と言った。
この生活は1週間後に終わりを告げ、
なぜか、Aは仲村に(岩手の)自宅に帰るように告げた。
再会した仲村の母親は、
再び連れさられるかもしれないと考え、
翌日から県外の知人の家に一緒に身を寄せ、
その後は外部と一切の連絡を絶つ。
仲村と連絡が取れなくなった所属事務所の社長は、
11月20日に「休業宣言」を出した。
仲村の母親は、
「Aとは親族の葬儀で何度か会ったことがある程度だったが、
ある日突然、私は芸能界に顔が利く。
私がみうの面倒を見れば、もっといい仕事ができる
などと言い出し、娘を思い通りにしようとし始めた」
実は、仲村が連れさられた日も、
母親はAと話し合うために東京に行っていた。
「東京のホテルで所属事務所の社長とともにAと話をしていた。
Aは今の事務所を辞めさせて、今後は私が面倒を見ると言い、
突然、こっちで預かっていると言い出した」
一方、Aからのコメントはないが、
Aとは別の親族がAを弁護するコメントを述べた。
「みうが泣きながら過激なグラビアはやめたい。
今の事務所を辞めて演劇の勉強をしたいと言うので、
このままじゃかわいそうなので、
親族会議を開いて、Aにみうのことをお願いすることになった。
そのときは、母親もAにお願いしますと言っていた。
みうは自分から東京に行きたいと言っていた。
Aも親族だから、自腹で学校の面倒を見てくれたそうだ。
拉致とか監禁とかの話ではない」
このように両者の見解は真っ向から食い違うが、
仲村の活動方針をめぐって親族間で深刻なトラブルが生じたようだ。
その後、所属事務所の社長が児童福祉法違反で逮捕され、
「休業の背景には社長の逮捕があったのでは」
と憶測も流れたが、事件の経緯はこのようなものだった。
今も母親と一緒に知人宅に身を寄せたままの状態で、
今後の芸能活動の予定もまったく白紙。
今回のインタビューにおいて仲村は、
「仕事には誇りを持っていました」と涙ながらに語ったそうだ。
以上が今回の誌面に掲載されたものをまとめたわけだが、
気付いた点としては文章中に「突然」の単語が多い。
そんなに次から次へと「突然」の出来事が起きたのか?
というのが正直な感想だ。
あと、「休業宣言」した2〜3日後に、
若者が集まる街として知られている都内某所で
仲村の姿を見掛けたとの報告もある。
それはそうとして、
仲村自身の書き込みは昨年の11月10日付けが最後であるブログは、
同年同月の20日付けで所属事務所が最後に書いたままとなっているが、
ameblo.jp
「この度、弊社在籍タレント仲村みうが、
先週13日に風邪及び持病である喘息を併発し、
先週末、入院の運びとなりました。」
少なくともこの部分↑は事実と異なるのは明確。
今回の誌面での掲載を機に対処しないといけないのでは。
スタービーチ