通常、土佐から安芸へ向かうのは、土佐から出航して、一路海上を行くのが最も手早かった。
しかし、今回、元親はいったん伊予へ出て、瀬戸海でもっとも神聖なる島とされている大三島、そして厳島へ参拝してから、安芸へ向かうことにした。
いかな理由があったとしても、神の島を数度にわたって戦場としたことで、長宗我部氏は瀬戸内海での信望を傷つけている。

今も昔も、海上という特殊な場所で生きる者たちにとって、信仰とは命そのものであるといってよかった。
無数の島嶼を擁する瀬戸内海において、その信仰を尊ぶことは、為政者に要求されるひとつの才覚でもあった。



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長編で削った部分です。
寺社との結びつきも、この時代の情勢を伝える大切な要素になるかと思ったのですが、肝心のシーンに到達するまでに長くなりそうなので、割愛。
いずれ、長編の後序もしくは短編として上げるかもしれません。

この時代の戦国武将の例に漏れず、元親も多くの寺社を修復、再興しています。
土佐国分寺など、こぢんまりとした品のよい佇まいがいいですよねv