スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

『宝石文学』



"石っころの賢ちゃん"は

時空を超えて

[宝石文学]を描(えが)くために


虎視眈々(こしたんたん)と

感性という宝石を研(みが)き、

言葉と云う[宝石]を

わたしたちに、

魅せてくれたのかもしれない。


.....................




あなたにとっての、
宮沢賢治とは
どんな賢治ですか?


多くの人が
「雨ニモマケズ」を思い浮かべ、
質素で清貧に生きた、
朴訥(ぼくとつ)な人物像を
思い浮かべるのではないでしょうか…


ところが、
賢治は、案外モダンだったと
思わせる作品があります。

その作品が、

『宮沢賢治 宝石図鑑』でした。



賢治は花巻農学校の教師になる前に
宝石商を職業にと考えていた時期があったと言います。

小さいころから鉱物収集が好きで
"石っころ賢さん"と呼ばれた賢治が
夢見た仕事でした。


しかし、
当時は挫折し教師になりはしましたが、

その後、
30以上の宝石や貴石が登場する
文学を数々描(か)いています。



たとえば

"正午の管楽(くわんがく)よりも琥珀のかけらがそそぐとき"

(春と修羅より)


と、まるで琥珀を印象派の点描のように
光がふりそそぐ様を現しています。


それから、

もっと豪華に宝石が登場するのが

童話『十力の金剛石』で、


”あられと思ったのは”

"みんなダイヤモンドやトパァスやサファイアだったのです"

と、きらめく丘や野原に輝く露を表現しています。

(You Tubeの動画もきれいです。)




人生が、

自分の思い描いていた

形と違う方向に

進むことがある。



しかし、

進む方向が変わっても

ふり返って見ると

到達地点が

最初から、

決まっていたんじゃないかと

思うときがある。



いま、

どんなに苦しくても

どんなに悲しくても

どんなに重くても

どんなに辛(つら)くても



気が遠くなるほどの

時間を経て誕生する

美しい石のように




耀く未来を見つめて

歩き出そう

自分の往(ゆ)く道を

信じて。



(画像は雑誌からの拾いです)


続きを読む
前の記事へ 次の記事へ