言の刃の花束



当たり前が貴方を作る
貴方を言葉が表現する
言葉が縁の形になる
言の葉が誰かに流れ着くよりも速く
言の刃は誰の上にも降り注ぐ

穴だらけの傘も
ギザギザになった糸切り鋏も
見て見ないふりをするしかなくて

使い捨てにするにはあまりにも
替えがきかないものばかり


柔らかな夢




溺れてしまいたいのに
そんなものを見ることすら許されないなんて



想像の手のひら



私は多感な時期にともだちがいなくて
長いことイマジナリーフレンドと会話していたんですが
相手は確かに私を受け入れてくれていたんですが
とにかく厳しくてというか
ずっと私に考えることを止めるなと
そんな感じだったんです

勿論自分自身の話なので
人格が分かれたわけでもなんでもなく
空想ということも理解してます

でもそういう精神療法というか
自分の内にある大人とか子どもとか意識とか
そういうのを自分が受け入れるという方法があると
聞いたとき
似たようなものなのかなあとも思いました
まあ根本というか意味が違うんだろうけど

私は今でも私と私以外の私がいる感覚があります
勿論ひとりぶんの感覚です
自分自身ですから
言うならば理性と本能
主観と客観です

おそらくこれが全部重なると私は崩壊します 
なにせ主観はもうズタズタで
意識するだけで私は泣くだの叫ぶだの掻きむしるだのしますので
客観は痛みがあっちの物だと思っているので
まあそうなるのは仕方ないのでと物理的な痛みは許容してる感じですかね

さっきネットで見たアディクトってのに私は該当するみたいですね
まあ、私が終わる時はかなり急でしょうから
今の私が何をしたところでなんですが

もし願いが叶うなら
達成感というものを感じたいな
あれ自己肯定感がないと持てないらしいので
達成感が感じられたらきっと
もっと楽しいと思うんだ

ばいばいとらすと



近しい関係にあった人間が信用できなかった
そして私も信用するための強さを持てなかった

だからこの先に特別はない

だけど私は
尊重によって信頼を模倣する
礼節によって信用を表現する

できないことでいつまでも首をしめてばかりいられないから
そうするしかなくて
それが誰にも受け入れられなくても
私ができない私に生きていてもらう為に約束したことだから

その結果例え追い詰められたとしても
不甲斐ない私の精一杯は誰かの足下にも及ばないものだったとしても

そうやって生きて
そうして否定されて
その否定を証明として生きていく

本当に馬鹿らしい生き方だと
誰よりわかっているのに


貴方の言葉の形



人と言葉を交わす時は
言葉の意味がそのまま伝わらないということを前提として話をするようにしている
どれだけ長い月日が間にあったとしても
その言葉を使う理由のすべてを知ることはできないから

でも、同じ人が同じ言葉を使っても
形が違って受け取ってしまうことがある
その人の使う言葉そのものがいつの間にか変わって
受け取れなくなってしまうこともある
はたまた言葉を繋いでいた関係性が
私という受け手のフィルターが
その性質を変えてしまったのか

ただ、言えることは
もう戻ることはないその変化に
私は恐れと寂しさを感じる

それは私の弱さ故に身を守るため
それは貴方への敬意を失わないため
いつかそのために選ばなくてはならないときが来るのかもしれない

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