苦しみ悲しみが




他者理解に必要だというならば
それは主観による他人の感情の定義付けであり
他人の苦しみは自らのそれとは違うということは理解できようが
人の心の価値や優劣などをみることはできない

もしそれができるというならば傲慢であり
それをただ非難するということは
己の当然とする物事への盲信に他ならないが

我々はそういった曖昧な物事に対して酷く鈍く
そして異常なまでの過敏さをみせる