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賢治先生、イギリスはどこですか?


はい、今日だけでやたら日記更新しましたね―///!!明日は控えめに出来るといいのですが。。

さて、どうやらアニメと舞台化についての公式サイトがオープンしたそうですが、旅行に来ている私がPCチェック出来るはずもなく…帰ったら即チェックします。

で、結果きましたよ。
プ レ ミ ア ム 観 覧 落 選 通 知 が ッ ッ ッ !
去年、落ちた時も思ったけどこれ受かる人いないって…!(泣)

まぁ、去年幕張行った私の感想ですとプレミアム席じゃなくても結構前からコーエーブースにいれば、声も姿も見れるんですよιι
でも、今回は私は潔く諦めてアンジェ雅に行こうと思います…ιι

去年みたいな奇跡は二度は起こらん!
「奇跡って起こらないから奇跡っていうんですよ」だ!!!(ネタわからない人いると思います、ごめんなさい!)


去年、日記見てもらえばわかりますが実は水夏は去年マジプリイベの為、幕張メッセに早めに行ってて、プレミアム席じゃなくてもせめて前で青龍組をおがもうと、無双イベあたりから、コーエーブースにずっーと立ってたら美人なお姉様方に話しかけられ用事があるから、とプレミアム席チケットを譲っていただいたんですよ////!!

まぁそんな事が二度あるわけもなくアンジェ雅楽しんで来ようと思います〜。

さて、ではお決まりカウントダウン!
《祝☆アンコール発売!れんれんと恋人状態から開始できるよー//理事長もいつか暁彦さんって呼んでやる!ていうか呼んでみたいvV
れんれんがウィーンに行くまでいかに、この二人の“時間”を大事に過ごすかわかるまで…あと6日vV》

日に日にカウントダウン名がのびていきますー(笑)

奥州藤原一族の地・平泉


はい、これで平泉からお別れです。明日からは宮沢賢治巡りなので、岩手でも花巻の方に行きますv

小岩井牧場とか行ってきます。そういえば、岩手は直兄の故郷で小岩井牧場でも直兄写真集での写真撮ってましたよね。

これで私の北陸源氏一興・奥州藤原氏巡りは終わりです////
遠野の方でも行けば弁慶ゆかりの地があるんですが…今回は予定に余裕がないので。。


平泉楽しかったですv
御館がいた、伽羅御所跡は残念ながら見つけられなかったのですが無量光院跡は見れましたし。
衣川も近くまで行くことは出来ませんでしたが電車で目の前を通りましたー///!!!泰衡様、勝ってもよろしいでしょうか!?キャー///////

ただ心残りなのは、義経堂の御朱印もらい忘れた事ですよーっ!(泣)
うっうっ、弁慶堂の次のページが義経堂にるはずだったのに…ιι
水夏は御朱印に憧れていつもやりたいと思いつつ御朱印帳買ってなかったんですがついに購入したんですよー♪
御朱印帳買うに踏み切ったのは、やはり平泉パワーですが(笑)

平泉では、義経についてほんと詳しく私が知りたかった事だけ載ってる義経の歴史書ゲット出来ましたー///!!やったー!

あと義経キーホルダーを買いましたvV


義経好きにはたまりませんて…!でも水夏は携帯にキーホルダーつけない派なのでつける所ないや!むしろ家紋入り『義経』っていうキーホルダーつけるのもおかしいですし…!!


さて、平泉。右も左も義経・弁慶・藤原藤原義経とかで幸せでした。
すっごいいい所でとても綺麗な場所で、また是非行きたいと思える場所でした。

でも、どこか源平の騒乱に巻き込まれた物悲しさがあって悲しさも感じる風景でしたv

毛越寺vVV


やってきました。毛越寺。毛越寺で、ほんとに十六夜記復習PLAYしとけばよかったと後悔ιι
ぶっちゃけ十六夜記での毛越寺の位置付けが思い出せません!!(バーン/汗)

何だっけ…怪異があったんでしたっけ?(ダメだコイツ)

毛越寺は平泉を知れば知るほど。奥州藤原氏を知れば知るほど、物悲しいお寺でした。
今の時代にはもう跡形もありませんでしたが、藤原基衡、秀衡の時代には壮大な伽藍が築かれていたそうです。。



広々とした毛越寺の中で一番目立ったのがこの《曲水の宴》が行われる遣水。
この遣水は庭園の発掘調査中に発見されて奈良の宮崎庭園を除いては例が無く、平安時代の唯一のもの、だそうです。

あ、ちなみに《曲水の宴》とは遣水の流れに舟を浮かべ、次の人は流れくる前に和歌を詠み、また流す(?←)というものです。

平安時代唯一のものと思うと感慨深いです。でも、毛越寺はほんとなんか淋しい場所でした。



綺麗な桔梗発見!

笹竜胆と一瞬間違えてテンションあがったとかはここだけの話(笑)

さてさて来ましたよー////


高館。義経堂。
源義経が、秀衡にかくまわれた高館あとでもあり、義経が泰衡に追われ自害した場所でもあります。



義経堂の道の途中に季節はずれの紫陽花が…!
義経を見守る弁慶のように咲いてましたvV



義経堂に行く途中に平泉が見渡せる場所がありました。

義経堂の前のこの景色を見て、義経や源平の時代にむけてここであの『夏草や 兵どもが 夢の跡』を詠んだそうです。

ちなみに、この写真の山は束稲山です。
束稲山といえば、泰望好きな方にはかかせないポイントですよねっvV
藤原泰衡CDの泰衡語りのあの『束稲山にて』のあそこですねv

公式で、望美ちゃんは泰衡に桜を見たい的な事を言いました…よ…ね?(ザ☆うろ覚え)

束稲山は、奥州藤原氏全盛期の頃は約一万本の桜で賑わった山で、
当時の束稲山の事をかの西行法師は『聞きもせず 束稲山の桜花 吉野の里にかかるべしとは』とまで詠んでます。

しかし、束稲山は奥州藤原氏の衰退と同じくどんどん桜がなくなっていったとか。どことなく悲しいですねー/////そういえば、遙か3同人誌泰望で現代で、束稲山で、泰衡さんと桜を見たい的なものを読んだことがあるような無いような…

こういう時代背景があったんですね(泣)

ところで、この写真には写せてませんが左の方に、衣川&弁慶が立往生して義経を逃がした場所といわれてる所も見る事が出来ました。



義経堂の供養塔です。
義経堂の社には義経像もあり、義経堂も不躾にも写メったのですがあまりうまく撮れなかった&こういうの写メるのはどうよ?という事で、供養塔を。

遙かにハマらなかったら、きっとここまで来なかった。平安最後の英雄・源九郎義経、最期の地平泉で安らかに。。

モンゴル説&十六夜ED無視すいません〜。

中尊寺金色堂


さて、中尊寺金色堂。
スチルや教科書にものっている所です。

あの有名な金箔の所は複製&写真撮影禁止でしたのでスチル再現は出来ませんでした〜(残念)
「私とて…武門の子っ!!」

ところで、この隣の宝物館《讃衡蔵》でネタになりそうな…とっても素敵な話をメモってきました。
展示されていた中尊寺ハス

中尊寺では、泰衡の首桶から採取されたハスの種子が(きっと死んでから浄土に行けるように、蓮の花を一緒にいれたんだろうなぁ…と思いました)発芽しないものかと、平成5年から研究を始め平成10年7月29日に見事開花したそうで。

そこに咲いてた蓮はとても綺麗でしたvV
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