「石田先生!!好きだ!一目惚れしたんだ!ワシと結婚してくれ!!」
「ーは?貴様、教員採用試験の苦しみをもう忘れたのか?私達は恋愛に現を抜かすために教員になったのではない。これからの未来を担う子供達を教育するために教員になったのだ。ー第一、私達は今年一年生を持ったばかりで……」
「六年だな?!!今の生徒達は六年経てば卒業する。六年待てば、六年待てばワシと結婚してくれるな?!」
「軽々しく言う…六年も待てるわけが……」
「じゃあ約束だぞ?!絶対絶対六年待ったら、ワシのお嫁さんになってくれ!!」
二人は小学校入学前の子供ではない。大学を卒業した立派な社会人だ。今年教員生活一年目となる若い男性教師と女教師の間で、こんな勢いと多少のエゴイズムに支配された約束が取り交わされたのは、今は数年前の話だ。石田三成は教師でなければモデルや芸能人でも通用する美女だ。徳川家康は生徒達に好かれる親しみやすい教師だ。二人は社会の荒波に揉まれつつよくやった。若い勢いと情熱で仕事にベストを尽くし続けたのだ。そんなふうに生活しているうちに、気付けば二人は教員として四年目の春に差し掛かっていた。その日は二人が担任を受け持っている四年生全員で、野山の植物をスケッチするために学校の裏手の山に来ていた。まさに行事日和と言った天気で、視界に若葉が萌え、鶯が軽やかに囀ずっていた。生徒達の中には、今の時期大輪の花を咲かすマリー・ゴールドをスケッチした者も多い。生徒達はスケッチを終えた後、お弁当を食べることになっていた。生徒達が集まった輪から少し離れた場所に、みんなでわいわい騒ぐのはガキのすることだと、いつもつるんでいる二人組が来ていた。木製の椅子とテーブルの上で、本当は嬉しくてたまらない弁当を、さも味付けが悪いと言うようにもそもそと食べている。黒髪と銀髪をした方のうち、最初に口を開いたのはタコさんウィンナーを噛み砕いた黒髪の方だった。
「で、元親。家康先生と石田先生は最近どうなんだ?いい加減進展はあったのか?」
「さあな、家康先生はビビりだかんなぁ。政宗、おめぇさんが聞いて来たらどうだ?」
そうどうでもよさそうに答えて、銀髪の方、元親が口いっぱいにおにぎりを頬張り茶で流し込んだ。政宗は友人のつれない反応に、箸の先でブスブスとおかずを刺す。本当は気になって仕方がないくせによ、内心で毒づいた。
教師のプライベートというものは意外に外部に漏れ出すものだ。徳川先生が石田先生にプロポーズし、しかしあえなくバッサリ惨敗し、六年待てれば結婚するという約束を半ば無理矢理取り付け、四年経った今でも恋の炎を燃やし続けているという話は、生徒保護者はおろか、今や学校長にまで公認の話だ。六年、それにしても長い年数だ。幼稚園を卒業したばかりの幼児が中学生になってしまう年数、十七歳だった少女が二十三歳の立派な女性になってしまう年数。六年間あれば男女間にだって出会ったり結婚したり離婚したり色々出来る年数だ。しかし徳川先生はたったの一度も浮わついた噂を流すことなく、見事石田先生への純愛を貫いている。朝、登校して来た生徒達が徳川先生に言うことは「おはようございます」ではない、「石田先生とどうなりましたか?」だ。教師の威厳もあったものじゃない。それだけ、まだ恋愛のれの字も知らない生徒達にとって、徳川先生と石田先生の恋愛事情というのは刺激的で、魅力に満ちた話題だったのだ。政宗と元親だって勿論例外ではない。早く家帰ってポケモンやりてぇ、そんなことを考える元親が視線を何となしに遠くにやっていた時だった。視界に今まさに話題であった人物の一人が登場する。元親は隣の肩を小突き、身を乗り出した。
「あれ家康せんせーじゃね?何やってんだ?」
「Rarely?あれはどう見たってー…」
ビニール袋を片手にきょろきょろと落ち着きがない徳川家康、もとい徳川先生。ビニール袋の中に入っているのは恐らく冷たいコンビニ弁当だ。流石独身独り暮らし。
教師陣は生徒達とは別の場所に集まり食事を摂ることになっている。考えなくても、石田先生と一緒に食事がしたくて探し回っているのがわかる。そこに丁度よく、右手の方から石田先生が毅然と歩いて来る。こんな半ば遠足のような行事だと言うのに、ダークグレーのジャケットにタイトスカート、女教師の模範のような出で立ち、勿論近寄り難さは最高潮だ。が、徳川先生は怖じ気づかない、果敢に声を掛けに行く。ここからではよく見えないし話も聞こえない。何かを言い合っている二人、次第に言い争いのようになる。いや、正しくは石田先生が一方的にまくし立て、徳川先生がたじろいで後ずさっている。何を言っている、よく聞こえない。二人は更に身を乗り出した。
「ふざけるな!!!」
これだけははっきり聞き取れた。要するにこの辛辣な言葉が徳川先生のなけなしの勇気への結果だ。恋の女神は非情なようだ。立ち去る石田先生、呆然と取り残される徳川先生。その時不意に徳川先生がこちらを向く。迷子になった子供のような表情で。元親と政宗は顔を見合わせ苦笑した。
「いーえーやーすぅーセンセーー!オレらと一緒に飯食おうぜ!!!」
そう元親が叫んだ途端の徳川先生の行動の速さと言ったら、すぐに駆け付けて来て「お前らワシと一緒にご飯食べてくれるのか?!」と潤んだ目で小さな二人の手を握る。元親と政宗は「オトナって意外と弱いもんだな」とまた苦笑いをしそうになる。「石田先生お腹の調子でも悪いみたいだな!」と明るく冗談を言いながらいそいそと隣に座る徳川先生が、何だかとっても痛々しかった。
「ま、石田先生にフラれたからって気にすんなよ家康せんせ!」
「そうだぜ?家康先生ならあんなきつい女以外にも女なんて星の数だろ」
「フラれてない!まだ二回目はフラれてないぞ!!」
二人は徳川先生を慰めながら弁当の具を分けてやる。見栄も大人としてのプライドも使いきったのか、徳川先生がどんな猛アタックにも全くなびいてくれない石田先生の愚痴をこぼし始めた頃だった。さっき徳川先生を地獄の淵に突き落とした石田先生が、何かを持ってこちらに突き進んで来る。ぽかんとする三人の前に立ちはだかると、何がしたいのかばつが悪そうな表情をしてそっぽを向いてしまう。固く握りしめられた手には、桃色のナプキンに包まれた弁当箱が握られていた。
「徳川…先生、その、教師が生徒達の会話の邪魔をするのはどうなんだ?生徒達には、その年代の者同士でしか話せない話題と言うのが……」
段々と尻すぼみになる石田先生の声、あの冷徹教師と名高い石田先生が、まるで普通の女の人みたいだ。石田先生の言わんとしていることに最初に気付いたのは政宗だ。悪戯っぽい笑みを浮かべ、鈍感な徳川先生に耳打ちする。政宗の唇が離れた途端、徳川先生は頬を真っ赤にし唇を震わせ、明らかな挙動不審に陥る。ちっと舌打ちした元親が、徳川先生を椅子から突き落とした。
「ほら石田先生が一緒に飯食ってくれるってよ!!」
「ヒューヒューよかったな家康先生!愛しのhoneyの手作り弁当だぜ!」
「おお、お前ら大人をからかうな!!大体な、はにーとか浮わついた呼び方で石田先生を…」
「徳川先生!私と食事をするのですかしないのですか?!!」
「します!!すぐ行きます!すぐ!!」
こんな出来事があってからも徳川先生と石田先生は紆余曲折を繰り返しながら六年間純愛を貫き遠し、当時の教え子が卒業し、中学一年生になった夏頃に葉書を送って来た。その裏にはカチコチになったタキシード姿の徳川先生と、花嫁衣装のすました石田先生が映っていて、生徒達を大変微笑ましい気分にさせてくれたそうだ。
おわり
素敵な話を聞かせてくれた友人に感謝!