閉鎖された廃虚、敏感になった鼻につく血の匂い、腐敗臭、そして己の汗の匂い。天井の剥き出しになったパイプから染み出た水滴が、ピチョン、と音を立てコンクリートに吸い込まれた。
四方を人ならざる者に囲まれた。三成はあと四発弾が込められた拳銃を確かめるように握りしめ、背中をぴたりと柱に密着させた。太股のホルダーにナイフが一本、デザートイーグルとナイトフォークが一丁ずつ、共に弾切れ、使用出来る武器はこれで最後だ、集中しなければならない。黒のタンクトップから伸びる腕の傷が焼けるように傷んだが、“噛まれた”わけではない。弱音を吐くなと自分を叱咤した。地面に何かを引きずるような音が幾重にも重なって聞こえる。ーー来た、三成は静かに銃口を入口へと向けた。
ゾンビ、そんな可愛らしい名で呼んでいいのだろうか、奴らは群れを成し、武器を持ち、そして噛まれれば自らも亡者へと変わり果ててしまう。これが発展し過ぎた科学が手を出した禁忌の代償、人の欲望が誘き寄せた結末だ。三成はかつては自分も、その醜悪の根源である秘密結社、織田の職員であったことに吐き気がした。
しかし、今はそんなことはどうでもいい話だ。殺られる前に殺らなければ、焼けるような殺意が再び三成の指先に力を込めさせた。
「消え失せろッ!!」
入口からアンデット達が溢れて来る。幸い十匹、先頭のアンデットの額に素早く弾を撃ち込み、思い切り地面を蹴り群れと距離を詰める。倒したアンデットを踏み台にし、空中に飛び上がり二匹目と三匹目に回し蹴りを食らわせ、首をへし折る。着地するとすかさず残りのアンデットが背後から襲い掛かって来た。瞬時にバクテンをする要領で、アンデットの顔面に足を入れそのまま踏み潰す。息をついたその一瞬だった。アンデットの腐りかけた手に腕を掴まれる。舌打ちをし、止む終えず体を捻り二発目の銃弾を撃つ。隣のアンデットに続けざまに三発目、残りの銃弾は一発、残ったアンデットは三匹、噛んだ唇から血が伝った。
(くそっ……!)
空になった拳銃を地面に投げ捨て、振り上げられたアンデットの拳を受け止める。腕にじん、とした痺れが走る。首筋に噛み付かれそうになり夢中で腹を蹴った。しかしびくりとも動かない巨大、流石全ての感情が取り除かれ、殺人衝動と捕食衝動だけが残った化け物だ、腕力では敵いそうもない。
二匹は何とか仕留めることが出来たが、最後の一匹に油断し、迂闊にも懐に入られてしまった。後ろは壁、ここまで距離を詰められてしまうと三成の体術は通用しない。
ーー私はここで死ぬのか、太陽の光も見れず、体の弱い半兵衛様を残し…そして、あいつとの約束も守れずに。アンデットが唸り牙を剥く。今まさに、アンデットの牙が、白い首筋に突き立てられようとしたその時だった。心の奥では待ちわびていたあの声が、三成を絶望の淵から救う。
「三成っ!頭を下げろッッ!!」
殆ど反射だった。三成が体を屈めると同時に、凄まじい轟音が部屋を揺らした。壁に蜘蛛の巣状のひびが入り、派手な音を立てて剥がれ落ちた。
ぬちゃ…家康が拳を引くと、壁から叩き潰されたアンデットの肉片が落ちた。三成は心の底から安堵し、頼もしく笑いかけるその男の顔を見上げた。徳川家康、唯一武器を用いずアンデットを殺傷出来る隊員にして、この対アンデット部隊の副隊長だ。だが、三成が安堵した理由はそれだけではない。三成は家康に引き上げられ、そのままもたれるように広い胸に飛び込んだ。
「怖かったか、一人にしてすまん」
「…ふん、怖いわけなどあるか、私は九匹も倒した」
「ははそうだな、三成は何たって隊長だからな」
三成が腕を回すと、家康も応えるように強く抱きしめ返して来る。家康の首筋に顔をうずめるその一時だけ、三成はここが助けの来ない閉鎖空間だということを忘れた。
家康はこの隊の副隊長、そして三成の未来を誓い合った恋人だ。家康と三成の間にはある約束がある。それはこんな殺伐とした空間でも決して褪せることのない契り、三成は繋いだ手を強く握った。
「さあもう行こう、いつまでも長居をしていると奴等が来る。孫市達も心配だ」
「ああ、」
家康に手を引かれ素直に歩く。「だが、」三成は足を止めた。
「それだけか?お前は生きたいと願う理由は、それだけか?」
「………」
家康の顔から表情が消える。代わりに三成な深く笑んだ。確かに、長居をすれば他のアンデットがやって来る可能性がある、ワクチンを分散して探す同じ部隊の仲間達も心配だ。しかし、ここから逃げたいと思う理由は、生きて帰りたいと渇望する理由は、それだけではないはずだ。三成と、そしてこの男は。
家康がふ、と笑みを零す。向かい合い、三成の薄汚れた頬を慈しむように撫でた。
「仲間を助け、ここから生きて帰ることが出来たらーー三成、ワシと結婚しよう。二人で幸せになろう、絶対、絶対にだ」
穏やかだが、各個たる意思が伝わって来る物言い。三成はホルダーのナイフを握りしめ、生きて帰る、その言葉だけを心の中で繰り返した。不思議だ、どう足掻いても絶望的な状況でしかないのに、この男の笑顔を見ていると本当に抜け出せる気がして来る。三成は負けじと、自信に満ちた笑みを浮かべて見せた。
「生きて帰る、当たり前だ。この私を幸せにするのはここから脱出するより大変だぞ。覚悟しろ、家康」
夢ではない、望みではない。二人でなら、どんな困難も悲劇にも打ち勝てる、事実がそこに在った。
終わり
…というバイオハザードのパロを書く夢を見たんだ
三成→アリスのつもり