佐吉とはんべ なんか日記が短文倉庫みたいになって来た件。
「上出来だよ佐吉!君は本当に賢いねえ、やろうと思えば軍師にだってなれるかも知れない」
いえ、私は剣を取り豊臣のお役に立ちたく…謙虚な言葉を選び、俯き加減になるが子供の頬は赤く染まっている。戦国切っての天才軍師に賢いと褒め讃えられ、満更ではない様子だ。しかも佐吉は半兵衛のことが好きだ。書を読む涼しい横顔を盗み見る度、大きくなったら、半兵衛様を私のお嫁さんに…そんなことを考える。小さな男の子が、世話を焼いてくれる年上のお姉さんに淡い初恋をしてしまったりするアレだ。半兵衛は佐吉の教育係であり、初めて出来た上司だ。剣術や礼儀作法はほとんど半兵衛から習う。
佐吉はこれ以上ない程この美しい軍師を尊敬したが、半兵衛もまた佐吉に期待している。半兵衛は徳川の跡継ぎの教育係でもあったが、竹千代は駄目だ。勉強が死ぬ程嫌いで、今日だって家臣の忠勝と逃げ出してしまった。
その反面、佐吉は素直で勉強熱心だ。見ればいつも書を開いているし、秀吉と自分の言うことに一切の疑いを持たない。これは関係ないが、顔立ちもかなりいい部類だ。多少吊り目ではあるが、整った鼻梁は将来女の子に言い寄られて困るかも知れない。半兵衛は全問正解の答案用紙と、動作の一つさえ見逃すまいと自分を見つめて来る子供を、交互に愛おしげに見た。一度自分と同じような色をした頭を撫で、星が瞬く外に視線を向ける。
「さ、佐吉もう寝る時間だよ。学んだことは寝ている間に吸収されるんだ。たっぷり寝るんだよ」
「…はい、半兵衛様…」
いつも半兵衛の言い付けに、清々しい程きっぱりと答える佐吉が浮かない表情、半兵衛は首を傾げた。緩く波打った髪が耳から落ちる。
「どうしたんだい?」
「半兵衛様は…半兵衛様はいつお眠りになるのですか?」
「え、」子供から投げ掛けられた純粋な疑問、半兵衛はこれからする予定のことを頭に思い浮かべた。各国から送られて来た書に目を遠し、それに然るべき返答をしたため、明日開く軍議の下準備、秀吉の明日の予定の組み立て、新米兵の訓練の内容の決定、それに今日こそ今日こそと先延ばしにしていた調べ物…そう言えば、空が暗いうちに床に就いたのは何日前だろう。言われてみれば少し目が霞む気がする。子供子供だと思っていたのに、佐吉はそんなふうに上司のことを案じていたのだ。
ただ自分を心から心配している、そんな純粋な視線が今は心に痛い。「今日は……」いつまでも半兵衛が言葉を濁していると、「半兵衛様、こちらへ」と小さな手に手を引かれる。
「半兵衛様は喘息をお持ちです。いつも仕事にご熱心な半兵衛様を私は尊敬していますが、休むことも大切です。秀吉様だって心配されます」
連れて来られたのは佐吉の自室、幼い子供の部屋だというのに玩具の一つも転がっていない。布団の上に乗せられ、半兵衛は思わず正座してしまう。子供の説教は全くの正論だ。君だって僕が口うるさく言わないとご飯を食べないし休まないじゃないか、という言葉は大人げないので胸にしまっておいた。
蜜色の大きな瞳は、有無を言わさず「寝てください」と語っている。半兵衛は笑いを堪え、ある指摘をする。
「でも…僕がここで寝たら、佐吉が眠れないよ?」
「だったら…一緒に寝るまでです」
一瞬の恥じらいが言葉に混じったのを、半兵衛は聞き逃さなかった。白くふくふくとした手が着物を握りしめている。
なんだ、もしかして僕と一緒に寝たいだけなのかも知れないと、またおかしくなる。佐吉は大人びているように見えて、かなりの寂しがりだった。長く城をあけて帰って来て、顔を真っ赤にして泣き付かれたのは一度や二度ではない。
「じゃあ、久しぶりに一緒に寝ようか」半兵衛は素直に頷き佐吉に布団に入るよう促し、自分も隣に体を横たえた。しょうがない、罪悪感はあったが、佐吉が寝付いてから仕事に取りかかるとしよう。半兵衛は布団越しにぽん、ぽん、と一定の小さなリズムで背中を叩いた。
「佐吉、おやすみ」
「ん…」
子供は早く睡魔の迎えが来て羨ましい。しばらくすると、佐吉はとろりとした表情で、必死に瞼の重みに耐えようとしている。そんな佐吉に微笑ましい気持ちになり、半兵衛はほぼ独り言のつもりでそう言った。布団の隙間から伸びて来た手が弱く自分の小指を握る。半兵衛は佐吉にまだ意識があったことに驚いた。
「おやすみなさい、母う…」
眠たげだった佐吉の瞳が一気に開かれる。半兵衛も目を見開く。一瞬、沈黙が流れた。今、何て?佐吉が布団から飛び出し、部屋の隅まで後ずさる。自分の失言が信じられないと言うように、みるみるその顔は赤くなった。愛らしい口が金魚のようにぱくぱく開閉する。
「ちッ、違います半兵衛様今のはそんなつもりでは…っさ、最近母上にお会いしていなかったので思い出してしまっただけで…!決して半兵衛様が母上のようだと思ったわけでは…ッ!!……半兵衛様……半兵衛様?」
「いいんだよ佐吉君」と俯いた半兵衛様から穏やかな返事、しかし佐吉が胸を撫で下ろしたのも束の間、その肩が可笑しくて堪らないと言うように震え出す。すくりと立ち上がり、部屋から出て行く。佐吉の顔が青ざめた。そっちは秀吉の部屋だ。
「ねえ秀吉!佐吉ったらおかしいんだよ僕のこと」
「は、はんべえさまああぁぁああ!!」
終わり
三成は絶対これ一回はやってるよね。