浅井夫婦




「明日はお天気予報、晴れだって言ってたわ、お隣の夫婦に赤ちゃんが生まれるの、鶴姫ちゃんが探していた小鳥さんがやっと帰って来たのよ、昨日見たイルミネーションがとっても綺麗だったわ、あと、今日長政様に会えた」


ねえ、この世は素敵なことでいっぱいなのね。この真冬の中、一時間も待ちぼうけさせられた彼女は少女のように軽やかに微笑んだ。彼女はよく笑う人だった。中学生時代、「市、長政様のお嫁さんになれるなら死んでもいいわ」と告白を受けて以来、私は彼女の落ち込んだ顔を一度だって見たことがない。彼女はどこにでも咲いている路傍の花を見つけては可愛いと顔をほころばせた。彼女は何でもない青空を見上げてはうっとりと溜め息を吐いた。彼女は私が焼いた焦げた卵焼きを美味しいと大絶賛した。この世界に生きていることが幸せで仕方ない、彼女からはいつもそんな感情が伝わって来た。
小さな頃から飼っていた猫が死んだ時でさえ、彼女は「市、めそめそなんてしないわ」そう言って涙を見せず、この子は市に沢山の思い出をくれた、と健気に笑って見せた。
彼女は今日も笑っていた。クリスマスイブに街中で一時間も待ちぼうけさせられ、これから恋人に急遽予定が入ってしまったと宣告を受けるのに。ピンクのマフラーやコートに所々雪の積もっている彼女の黒髪に恐々触れてみると、髪まで冷たく冷えきっていた。


「…市、怒らないで聞いてくれるか。すまないが、これから仕事の予定が入ってしまった。…この日には前もって休みを取っていたのだが、取引先と重大なトラブルが起こってどうにも抜け出せそうにない」


「やだ長政様、市怒ったりなんかしないわ。…一目長政様に会えただけで幸せよ。長政様、ハッピーメリークリスマス」


「ああ…ハッピーメリークリスマス…」


恋愛に鈍い私とて、二十代の女性にとってクリスマスイブの夜がどんな意味を持つかぐらい知っている。市はしばらく目も上手く合わせられない私の顔を穏やかに見つめると、思い出したように、パンパンに膨れた鞄からクリスマス仕様に綺麗にラッピングされた袋を取り出した。私のために店を何件も回ってマフラーを用意してくれたらしい。彼女は私に避難の言葉一つ浴びせず、やはり可愛らしく微笑んで私の首に丁寧な手つきで真っ赤なマフラーを巻き付けた。
暖かい、不覚にも目頭が熱くなる。私に気を遣っているのだろう、彼女は「市、洗濯物を取り忘れていたわ」と取って付けた理由を口にし、踵を返し足早に去って行こうとした。今渡された物とお揃いのマフラーが彼女の背中で跳ねている。私はやりきれなくなり、その背中に声を投げ付けた。何故そうも笑っていてくれる、何故そうも穏やかでいてくれる、何故そうも幸せそうにする。
彼女がゆっくりと振り向く。はっとした。聖女のように微笑んだ彼女の目尻には、初めて見る透明な涙がきらめいていた。


「市長政様と一緒に居られるだけで幸せなの、長政様のお傍に居られるだけで、泣きたいくらい、幸せなの…」


市の世界は長政様が居るだけで、こんなにも明るいの。彼女と私の間に、光の粒のような雪がさんさんと舞っていた。




終わり

長政様早く3に来てください嫁が大変です。