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タイトルなし

もうやだ


ほんっと自分嫌い


もう死んでしまえばいい

8月6日 2

黙祷!

8月6日

ネット離れするって決めてたけど、これだけは何か書き留めたかったから送ります。







日付変わっちゃったからもう今日だね。あと8時間後には64年前のあの日のために黙祷が捧げられるんですね−。

今日はたとニュースを見て思い出したんですよ。そうか、もう6日になるんだなって。


去年広島に行ってから1年が経ってしまいました。ちょうど8月4日に私は広島にいたんですよ。2日後には式典が迫っているため、平和記念公園にはたくさんの椅子が準備されていました。何かの団体のデモ行進も見ました。未だに広島にはあの時の爪痕が残り続けているんだな、とまじまじと感じさせられました。きっと消えることはないんだろうけど。


別に子供の喧嘩じゃないから今さらどこの誰が悪いとか責めることはしないけど、戦争に加担した全ての国が事の清算をすべきだと私は思います。敗戦国だから可哀想、勝利者だから讃えられる、とかそんな問題じゃないんです。そんな単純に片付く問題なら今議論なんてものはされてないでしょう。


原爆投下の肯定否定とかじゃなくて、起きてしまった、起こしてしまったことに対してどう行動するかですよ。誰が悪いとかじゃなくて。何も反省せず、対策もこうじないまま同じことを繰り返すのは非生産的です。ただ非戦、非核を訴え続けるだけでは戦争なんてなくなりませんよ。反省するならちゃんとして、戦争を起こさないよう対策を取れば良いじゃないですか。


そうでなければ、何も知らずに死んでいった人たちが浮かばれませんよ。



いつも8月のこれらの日が近づくと祖父のことを思い出します。祖父も一海軍兵として戦争に参加していました。特攻隊に入っていましたが、終戦直前に乗るべき飛行機がなくなり、生きて終戦を向かえました。今となってはその時の気持ちを聞くことは出来ません。想像するなんてことも出来ません。祖父は戦争の『体験』は教えてくれても、その時の『気持ち』までは教えてくれませんでした。


戦争を知らない世代が〜とか言いますが、体験してないんだからその悲惨さも何も知らなくて当たり前でしょう。体験した人にしか本当の悲惨さは分からないんです。だから体験しろとは言いませんよ。何度も言いますが、起こってしまったことに対してどう行動するかなんです。過去は過去で、今は今。過去から教訓を得て今を作るのは今を生きている人間だけです。望む平和な未来を作るなら、今を生きている人間が今努力しなければなりません。





長くなりましたが、死んでいった人たちに対して何が出来るかなんです。薄っぺらい正義感はいりません。やるなら本気で核廃絶、非武装すれば良い。
『安らかに眠ってください
誤ちは繰り返しませんから』

核廃絶を訴える人々よ、胸を張ってそう言えますか!




最後に、1945年8月6日の原爆投下により亡くなった方々に心からのご冥福を申し上げます。
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