『共に有る為に、』
続いても極夜さんのサイトから頂いたものです
生誕記念その2
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徒然なるままに日々の話や本の話やゲームの話時々駄作
共に有る為に、
比較的薄い砂塵層に乱反射した陽光が、イースタベリの旧市外に佇むハーブ兼雑貨屋兼住宅のベランダに置かれた緑に降り注ぐ。
冬を越しても未だに芽吹かない小鉢や苗木にも満遍なく与えられる太陽の光は、動植物の目覚めになくてはならないものだと聞いたことがある。それが本当なら、きっと眠っている植物達もそろそろ目を覚まして葉を広げるだろう。
珍しく続いている陽気に、そんな脳天気なことを思う。
数年前まであった漠然とした不安に駆られることのない、平和な日々の中で。
「うー、んっ」
バルコニーに立って習慣の朝の儀式。
大きく伸びをすれば、自分が少しだけ大きくなれた気がする。
それは、今日という日特有の感覚だろうけど。
そこまで考えて、くすりと息が抜けた。
一年前のハーヴェイの言葉を思い出して、思わず頬が緩んでしまったのだ。
それまではハーヴェイから誕生日プレゼントのことを聞かれることはあっても誕生日そのものについての言葉をもらったことはなかったが、去年はその言葉を貰えた貴重な年だった。
その誕生日も厳密に言えば誕生日じゃないかも知れないが、本当の日付は敢えてお父さんには聞かずにいる。
誕生日は、“おばあ”からもらったものの中で唯一残ってるものだから。お母さんとお父さんには私という存在をもらったから、これくらいの我が儘は許して欲しいと思う。
「キーリ」
「わっ!」
思考に耽っている最中に突然呼ばれて、驚きながら慌てて声の主を探す。振り返った廊下には誰もいない。彼が階段から上がってくる気配もない。
見える範囲に姿は確認できずに首を捻ったその時、
「どこ見てんだ。こっち、下」
今度はちゃんと聞こえた。
鉢植えを蹴飛ばさないようにとバルコニーの端に足元に気をつけながら駆け寄って、手摺りから若干身を乗り出して下を確認する。すると、自宅の外壁に寄り掛かりながら煙草をふかしている赤銅色の頭が右手に伺えた。
「ハーヴェイ、おはよう!」
「おう」
バルコニーの右端に移動して、できるだけハーヴェイに近い位置から普段は見えないつむじを見下ろす。ハーヴェイは禿げそうにないなぁと、なんとなく思った。
「朝ごはん、何がいい?」
「あー…。タマゴ、オムレツにして。あ、タマゴに」
「砂糖は入れずに、ひよこ豆を混ぜ込んで焼けばいいんだよね?」
「ん、そう」
言い当てると、上機嫌に片方の口の端を軽く上げて笑う。
当たっていたのが嬉しくてこっちもひとしきり笑った後、ハーヴェイにもうすぐ来るだろう配達のミルクを受け取ってもらうように伝えてバルコニーの手摺りから離れ
「キーリ」
ようとしたところで呼び止められた。
なんだろうと内心で首を捻りながらも、先程までと同じ姿勢をとりながら「なあに?」と問い掛ける。
「お前今日なんか予定ある?」
「特にはないよ」
「じゃあ昼から買い物。駅前行くぞ」
「何を買うの?」
「さー。行ってから決める」
「ふうん……?」
「ふうんってお前……」
まぁいいけど。
そんな呟きが微かに聞こえたが、余計に意味がわからない。
「それだけ?」
「ああ……。いや、もう一つ」
呼び止めた理由は全部済んだと思っていたら、まだなにかあるらしい。
ハーヴェイはくわえていた煙草を落として踏み付けてから、こっちに体ごと向き直って一言、
「ありがとな」
――……ありがと
――……? 何が?
――産まれて来てくれたから。だから、ありがとう
去年と同じ意味合いで、去年と同様の言葉をはっきりと紡いだ。
言われてすぐはただ眼を瞬くだけだったが、次第に理解していくにつれて頬が緩んでいくのがわかる。さっきまでずっとそのことを考えていたはずなのに、ハーヴェイに声をかけられてからは今日という日のことをすっかり忘れていたのだ。
滅多に見せない柔らかい笑みを浮かべるハーヴェイに、バルコニーから直接飛び付きたくなるのを抑えながら、
「ありがとう!」
キーリも去年と同じ言葉を繰り返した。
* * *
ボォー――――……
イースタベリで最も主要な乗換駅を端に置いたメインストリート。そこに繋がる脇道から足を踏み出した途端に耳に飛び込んで来たのが、列車の出発を告げる合図だった。
黒い煙が機関車の煙突から吹き出して空へ上がって行き、列車の加速に伴い煙りが後ろへと尾を引いていくのがうっすら伺えた。列車の走行音も微かだが聴こえる。
「ハーヴェイ?」
いきなり立ち止まったのを訝しんでか、遅れて路地から出てきたキーリが斜め下から覗き込んできた。
「ん。列車の音、聴いてた」
「列車?」
キーリが耳に手を当てて音を探るが、首を傾げるばかりで音は拾えなかったらしい。建物に阻まれて脇道までは音が届かなかったのかもしれない。
「聴こえないよ?」
「もう出てから時間経ってるからな。行くぞ」
「えぇっ!もうちょっとっ」
「却下。早くしないと見つからないだろ」
無理だと言うのに下手したらいつまでも突っ立っていそうなキーリの手を引いて歩き出す。そうすればキーリはすぐに斜め後ろをついて来るから。
……知っててやるのは狡いと一応は自覚している。
「ねぇ、何を探すの?」
「何か」
「何かって……お店で使うもの?」
「違う。……お前、前歩け」
疑問符を浮かべまくるキーリを前に押し出す。納得してなさそうだが俺の後ろをついて歩くのが普通だった分、前を歩くこと自体が珍しいので特に文句の声は上がらなかった。
目的のない買い物。道なりに続く店を眺めながら目に留まるものがあれば立ち止まり、取り留めのない会話を軽く――それなりに楽しみながら――交わす。……ウインドウショッピングと言ったか。
まぁ始めはそれなりに(キーリの反応を見るのが)楽しかったが、そんな慣れないことをしながら進むうちに正直言ってダレてきた。
若干疲れが出てきて無意識に煙草に手が伸びて、
「ハーヴェイ」
咎めるニュアンスを含んで呼ばれた名前に手を押し止める。
伏せていた目線を上げれば目の前にはいつの間にか振り返ったキーリがいて、上目遣いに睨みをきかしていた。
「…………」
渋々ながら尻ポケットの煙草から手を引いて、パーカーのポケットに手を突っ込み直す。
そういえば今日はもう一日五本までと決められたうちの三本を吸っていて、今四本目を吸ってしまえば確実に寝るまで持たない。注意してくれたキーリに感謝しつつも、やっぱり吸いたいことに変わりはないのでふて腐れ気味に視線を逸らした。
しかし逸らした視界の端のキーリは笑っていて、決まりが悪くなって横目で睨んでみるが効果はなく、キーリはかえって余計に肩を震わす。なんとなくムカついたので片手を自分の肩ほどしかない頭のてっぺんに置いてグシャグシャと掻き回してやった。
「わっ! 止めてよぅっ」
「うるさい。いつまでも笑ってる方が悪い」
「ごめっ、ごめんなさいっ!」
「ん」
謝罪が聴こえたところで手を引いて、手櫛で髪を整えながら「もぉ……」と口を尖らせるキーリに口の端しが上がるのを気付かれないように顔を背けた。背中越しに「ハーヴェイはたまに意地悪だ」とかの文句が聴こえたが、そう呟いている表情を想像すれば腹筋が余計に引き攣るだけだった。
「あ……」
微かな呟きが聴こえたのは込み上げてくる衝動を内心必死で抑えてる最中で、こっちが反応するより先に、
「ちょっと行ってくるから、ハーヴェイはそこで待ってて!来ちゃダメだよ?!」
そう念をおして、キーリは道の反対側へ翔けて行った。追い掛けようにもキーリが道を渡った後に三輪タクシーが目の前を左右から交互に横切って、
視界を遮るものがなくなった時にはキーリは視認できる範囲にはいなかった。
「なげぇ……」
ぼやいて、なんの反応も返って来ないことに無意識に首を下げてあごの下と手首の先を確認する。そこは当たり前に空っぽで、特有の重みも感じない。
だけど、
――トイレにしては遅えなあ。悪い男に絡まれてるかもしれん。探しに行くぞ、ハーヴィー!
「ハーヴェイ」
耳の奥に甦った低いノイズ調の声に反射的に訂正して、気づいた途端に苦笑した。
もうあの説教好きで大人気なくて心配性なラジオの憑依霊と別れてから大分経つというのに、今でもこうしてふとした拍子に思い出したり、“ここ”にいるものだと思って話し掛けてしまうことがある。そしてそうして聴こえた声を昔は鬱陶しいと思いながらも、事実その声にずっと導かれていたのだ。
「……行くか」
もたれ掛かっていた壁面から背を離して半分は自分に、もう半分は今はないラジオに向かって呟いた。キーリはどこに向ったのかと視線を巡らして、
「ハーヴェイっ!」
道の反対側で手を振っているキーリを見つけた。どうやら兵長が事あるごとに心配していたような事はなかったようで、ただなにやら小さな紙袋を片手に提げている。
「あー…、まずったかな」
道路を渡ってくるキーリの両腕に大事そうに抱え込まれたソレに、ちゃんとついて行けばよかったと先に立たない後悔をする。本当はすぐに追いかければついて行けたが、トイレかと思ってわざと追いかけなかったのだ。
それがまさか欲しいものを買いに行っただけだったとは……。
今日出かけた目的が果たせずに終ったら、きっと後で最近輪をかけて姉貴気取りのベアトリクスに搾られるのだろう。出かけた理由はそれが嫌だとかだけじゃないけれど。
そんな事を考えてるうちにキーリが上機嫌な顔して戻ってきた。
「お待たせ!」
「何買ってきたんだ」
聞けば、キーリはニッコリと笑って抱えた紙袋を開ける。出てきたのはキーリの小さい両手の平に収まる程度の小さい小さい包み。
「これ、なんだと思う?」
「さぁ……何?」
形状の判別ができない不透明な小袋の中身なんて流石にわからない。こっちの質問に逆にいたずらっぽく聞き返してくるキーリに、早々に白旗を上げる。
答えのかわりに包みの口を留めていたシールが剥がされて、キーリが開いたそこに手を突っ込む。一拍置いてから取り出されたのは―――
「なに、それ」
「なにって、携帯灰皿だよ」
「それはわかる」
キーリの手に取り出された銀色で円筒形のキーホルダー的なソレが何かはわかる。
問題なのはなんでそれを今日彼女が買ってくるのかだ。
「これね、煙草を入れる穴が五つあるの。ハーヴェイの煙草は好きだけど身体も大事にして欲しいからって決めた一日の本数も五本だよね。だから……」
「お前な……」
わざとキーリの台詞を遮って、続きを言い出すのを止める。
計算でもなんでもなく純粋な疑問からキョトンと眼を瞬くキーリに、気のせいか頭痛がしてきた。こめかみを押さえながら言い聞かせるように問い掛ける。
「お前、今日なんの日かわかってるよな?」
「うん、私の誕生日。……正確な日じゃないけど」
「わかってるならそんなもんじゃなくて、お前が欲しいもん持ってこいよ。今日出かけた意味ねぇだろ。わかったらなんか選んべ。買ってやるから」
こんなに嬉しそうに言うものだからよっぽど気に入った代物かと思っていたら、それはキーリが自分にじゃなくて俺に買ってきた物。しかもプレゼント仕様のラッピング済み。キーリの誕生日だからと普段買わない嗜好品でも装飾品でも選ばせようと(ベアトリクスに言われて)していたのに、これでは立場が逆だ。
わざわざ前を歩かせて反応を見ていた意味もなくなった。
だから言動が多少きつくなって、しかしまさか……
「………なもんって…」
「は?」
「そんなもんってなにっ?!」
まさか、怒られるとは思わなかった。硬い表情と強張った肩と関節が真っ白になるくらい握り締められている掌に、さっき煙草を咎められたときとは比べものにならないほど怒っているのはわかるが、その理由に見当がつかない。
その怒気に気圧されたままでいると、キーリは一層眉を吊り上げて、
「私はっ、ハーヴェイが今朝言ってくれた言葉で十分だったの! プレゼントとかは貰えたら嬉しいと思うけど、私はそれよりもハーヴェイが元気でいてくれた方がずっといい!!それにっ……」
真っすぐこっちを睨み上げていた瞳が言葉がつっかえたと同時に伏せられる。
俯く寸前、眦に涙が滲んだのが一瞬だけ見えた。多分キーリは今、唇を引き結んで眉根を寄せて、いつものあの表情をしてる。
いつもの、今にも泣き出しそうなのに泣かない顔。
「キー…」
どんな声をかければいいか、なにをしてやればいいかも分からないままにキーリに手を伸ばして、
届く寸前に聴覚を掠めた声に手を引っ込めた。
「それに、ハーヴェイはずるい。私だって、ハーヴェイにありがとうって言いたいのに……。ハーヴェイに、これまで生きていてくれて、あの時出会ってくれて、今一緒にいてくれてありがとうって……言いたいのにっ!」
キーリが震えた声で心情を搾り出すみたいに吐露する。滅多に雨の降らないこの星で、キーリの靴先の舗装道路に落ちた水滴が黒い染みになっていく。
「……なのに、ハーヴェイばっかり祝えて……ずるいよ……」
尻窄まりになっていった最後の台詞で、ようやくキーリが怒った理由を全部理解した。理解して、さっき押し止めた衝動が抑えられなくなった。
手を伸ばして細い腕を掴む。そのまま軽く腕を引き、狭い路地に積まれた空箱に隠れるように誘導。キーリの背中と後頭部に両手を回して、薄暗い路地の薄汚れた外壁を背中で擦りながら座り込んだ。
嗚咽とともにキーリの肩につけた額から振動が伝わってくる。それが少し落ち着くのを待ってから、そのままの体制で口を開いた。
「キーリ。さっきの一言、もう一回言って」
「………ハーヴェイばっかり……ひっく……ずるい」
「そっちじゃない」
「……。……ありがとう」
「ん。さんきゅ」
言って、少しだけ腕をきつくする。キーリはいまいち分かっていないようで、戸惑って腕の中で身じろぐのを感じた。
「あのさ」
「……うん」
「俺、今日を誕生日にしようと思う」
「……え…?」
「ダディウスに名前をもらった日でもいいかなって思ったんだけど、いつだったか覚えてないから。……それに、」
キーリの頭に添えていた手を外して、キーリの右手に触れる。硬く握られた手を、その小さい手からはみ出ていた金属の冷たい感触ごと包み込んだ。
「プレゼントも貰ったしさ」
キーリが選んだ携帯灰皿。それを握っていた掌から力が抜けて、携帯灰皿がハーヴェイの手に渡される。
渡した後の手はハーヴェイの背中に回されて、反対側から伸びた左手も同様に煙草の匂いが染み付いたシャツをキュと握った。
「キーリ」
「うん」
「ありがと」
――産まれてきてくれて、ありがとう
「……ハーヴェイ」
「うん」
「ありがとう」
――今一緒にいてくれて、ありがとう
肩から額を離したら、キーリももたれ掛かっていた上体を持ち上げる。お互いに眼を覗き込んだら、どちらからでもなく吹き出した。
抑えた笑い声が治まれば自然に額をくっつけて、それで、
「ありがとう」
「ありがと」
ありがとうって言ってくれて、ありがとう………
一緒に歳を重ねよう
互いに正しい日ではないけれど
でも、それでいい
ただ、
産まれたこと
生きてきたこと
出会えたこと
今共にいられてることに、
これ以上ないほど、感謝しよう
そうして、毎年冬の終わりのこの日が訪れる度に、
二人で一緒に、歳を重ねていこう
Fin
性 別 | 女性 |
誕生日 | 6月4日 |