「大変お気の毒ですが、手の施しようがありません」

僅かな希望をきっぱりと断つように、目の前の男は言った。


延々と黄色い大地が続く中に、その街は作られた。
城壁を出れば、全方位に広がるのは枯渇した荒野。
ぽつりぽつりと散らばった草はいつも枯れかけ、辛うじて大地にへばりついている。
遥か彼方に連なる山々は赤錆の色をし、とうの昔に枯れた河の名残が山脈に陰影を刻んでいた。
強い日差しを遮る雲さえ、ここには届かない。荒れ地と緑地の境目、地平線より遥か遠くで雨となり、消えてしまうのだ。
風が吹くときに黄色くぼやける地平線から上を見上げれば、褪せた青が茫洋と広がっている。
水や緑など、本来街が発展するための条件を満たさないこの場所に街が作られたのは、交通と防衛の要衝としてのみのため。
出入りするラクダのキャラバンの他に、ここを訪れるものは殆どない。
もとよりここに湧く水の量では、今以上の人口を養うことは不可能である。
城壁の中でもざらついた風が吹き、干し煉瓦の建物がひたすら砂に煙る景色に、嫌気が差してここを去る者も後を絶たなかった。
そんなわけで、ここに留まるのは僅かな兵、他はそれを支える老いた商人たちである。
若い女は娼婦のみ、それもこの乾いた風に段々と萎びていくような気さえする。
生命の瑞々しすぎを奪うような乾燥に覆われたこの街に留まる兵たちは、多くは他に寄る辺のない辺境出身だった。
そして、フェイ・ショウもまたその一人、この忘れられた街に生きる兵であった。
今日もまた、フェイは陽炎に揺らぐ山脈を望む。
崖のような城壁の上に立ち、彼は吹き渡る風にその羽根を広げた。
背中に生えた鳶色の大きな翼が、風にふわふわと毛羽立つ。
そこだけ翡翠色の、淡い緑の風切り羽根は、有翼人種のなかでも珍しいものであった。
この地帯の多くの有翼人は、冴えた白い肌、そしてグレーや淡い栗色の羽根を持ち、そしてその特異な姿ゆえに差別を受ける。
フェイはその黄みを帯びた肌と鳶色の羽根故に、少数の人種である有翼人のなかでさえも馴染むことが出来なかった。
蔓で丸くまとめた黒髪は、明るい砂色の髪がが大多数のこの国ではよく目立ち、深い青の瞳がマイノリティの中では翡翠色の瞳は特異だった。
びゅうびゅうと音を立てる風が、街からスパイスと様々な香の原材料の香りを浚って去っていく。
その風に半袖の上衣の裾がはためくと、引き締まった上腕に散在する黄色い痣がちらりと覗く。
じわじわと濃くなるその痣を見て、フェイは羽根と同じ翡翠色の瞳を細めた。
使い慣れたボウガンを手に、城壁から飛び降りる。
漠然とした毎日に、ただ現れては濃くなる痣だけが時間が過ぎる証しだった。
翼が風を捉え、空気が揚力に変わる。
毎日同じ時間に行われる、毎日のパトロール。
フェイの散歩と渾名されるそれは、特に何も期待されない形だけのものだ。
時々遠くで商隊がくたばりかけていればそれを助けたり、時には道半ばで力尽きた旅人の死骸を発見するときもある。
それでさえも、とるに足らない繰り返しの一部に過ぎなかった。
草色の袴衣に括った単眼鏡が、羽ばたく度にカチャカチャと鳴る。
乾いた血の色の大地。斜め後ろに落ちる自分の影。
強い風に乗り、フェイは無限にさえ思える大地を見渡す。
眠気さえ催す不変が広がる中、瞳に刺さるのは強い西日。
時間が止まった中に、風だけが生きている。
どこへ向かってもひたすら不毛だけが続く。
翼を支える気流に乗りながら、フェイは街の周囲で弧を描いた。
上昇気流に乗り、ぐっと身体が引き上げられていくのに任せる。
目を凝らすと、地平線に黒い点が霞む。
芥子粒ほどのそれは、去る客か来る客かのいずれか。
影はひとつ、ということは単身の旅人だ。
この狭い街では、去る客は誰もが知っている。今日街を去った者はいない。
であれば、来る客だろう。単身の客は商隊と違い、多くは商品を持たない。
内心僅かにガッカリとしながら、フェイは仕方ないと思い直す。
他には人は見えない。旅人を迎えてやるのもいいだろう。フェイは羽ばたいた。
近付くにつれ、目を幾度も凝らす。
旅人は一般的なラクダではなく、何かもう少し小さな生き物に乗っている。
コブもなく、その動き方は上下動が大きい。
暇つぶしに客人の顔でも拝んでやるかと、フェイは降下を始めた。
羽音に気づいた男はフェイを見上げる。

「見たことのない馬だな」

行く先に立ちはだかるように降りたフェイは、そう声を掛けた。
それはラクダでも馬でもないのだが、どう表現すればいいのか分からなかったのだ。
それは駝鳥のように二足で動くが、全身に硬く白い鱗が生えている。
顔には嘴があるが、羽はなく鋭い爪のついた前脚があった。

「これは鳥竜だ。ここらでは見ないだろう」

目深に被った、幾何学の刺繍がされたスカーフの奥から、答えが帰ってくる。
ちらりと見える口許は浅黒い肌で、異邦の地からのまろうどであることが知れた。
左右の襟を重ね合わせ、腰紐で衣を縛る形の服を着ている。
緩いズボンは、時折訪れる騎馬民族のものによく似ていた。
慣れた様子で手綱を握る姿も、また彼らと同じルーツを思わせる。

「どこへ旅をするんだ」
「東へ」
「お前医者か」
「いや、香具師だ」

風が吹き、香具師のスカーフが揺れる。
影の下、銀色の細い眼鏡の奥に、ハシバミ色の瞳がキラリと光った。
涼しげな切れ長の瞳にすっと通った鼻筋、そして理知的な声音。