ガンダムUC最終話を鑑賞してきたので、感想をば。
ネタバレ含みます。ガンダムシリーズはUCしか観てない(それ以前の話は知識として調べた程度)なので、ピントがズレてたらすんません。

・ネオジオング、ユニコーンガンダムはMS(MA)ではないのではないか
ep7では、ユニコーンガンダムがほぼ常時NT-D発動していて、今までになかった能力が追加されています。
機体の遠隔操作(インダストリアル7のシーン)、通信の中継、シールドのファンネル化、そして箱の鍵としての役割と、もはや「MSの形をした何か」状態。
ep6までは「すごいMS」だったのに、今や何か生き物と化している雰囲気さえあります。ひとつの自律した生物=ユニコーンガンダムと言えるのではないでしょうか。
一方のネオジオングも、兵器の側面より「次元を渡る装置」としての役目のほうが印象的でした。なぜシナンジュと全く異なる印象を持つのかというと、演出も含めて非常に仏教的な思想を体現しているように感じられたからです。
その意味で、ep7のユニコーンとシナンジュは、「人が操縦する兵器=MA,MS」とは違うものだと感じました。

・フルフロンタルと「暗黒神話」
諸星大二郎の「暗黒神話」という漫画で知ったのですが、気が遠くなるほどの時間ののちに、弥勒菩薩がこの世に現れ、救済が訪れるという観念が仏教にはあるそうです。
一方のフルフロンタルは、「宇宙の終わり」を観て、人(という種)が生きているうちに何かをなしても、すべては消えて無になると悟った。
気が遠くなるほどの時間の果てに至ったもの=ネオジオングとして、だから兵器は日輪の形をしているのではないかと邪推しました。
すべての兵器を使用不能にして、モビルスーツそのものの戦いになったのも、己だけの力でその次元に至るために精神を純化する過程なのかな、と。
サイコフレームを触媒にして、宇宙の終わりに至るという意味で、暗黒神話的な面を感じさせたのだと思います。

・なぜフルフロンタルがスポットライトの中にいたのか
ラプラスの箱の中身とともにスポットライトの中に現れたフルフロンタル。
なぜ、スポットライトの中にいるのがバナージやミネバではなく、フルフロンタルだったのか。
非常に演劇的なシーンで、そのことに意味があるのではないかと思い、以下の理由を考えました。
・ラプラスの箱、フルフロンタルは共に「過ぎ行く100年」のシンボルである
亡霊という表現が表すように、フルフロンタルはシャアを模した存在である。そのことを振り返る場面で、光の中に姿を表している。
・バナージやミネバの側が暗闇なのは、見えない未来を表している?
こじつけっぽい。なぜサイアムが闇の中なのかというと、既にサイアムは傍観者であり、死に近いから。

・血縁のない家族
前半に戻って、マリーダのセリフに、ジンネマンをお父さんと呼ぶシーンがあります。リディ、バナージ親子が表すように、UCは「父子」の物語でした。
この中で、血縁のない親子、家族という構図も見えてきます。
・ジンネマンとマリーダは血縁はないが、父親と娘。
・厳しい父としての存在のジンネマンと、バナージ。
・息子と対立する父としてのダグザと、バナージ。
・導く姉としてのマリーダと、弟としてのバナージ。
コンロイあたりは、社会の中で接する大人の像だったのに対し、ジンネマン、マリーダは擬似的な家族だったのではないかと思います。
守護者としての姉というと、アルティメットまどかとも重複するんですよね、マリーダは。

・リディの「揺らぎ」こそが、「人の可能性」である
前半でバナージに襲いかかるリディと、後半でバナージをサポートするリディ。
ep5からコンプレックスを爆発させて執念に囚われるリディが、再び人の心を取り戻していく。
これまで迷い続けてきたバナージは、今回ニュータイプとして純化しているため、あまり人間らしさ(揺らぎ)はありません。
リディの役割は、「人間の揺らぎ」=人の可能性 だったのではないかと思います。

・なぜフルフロンタルは敗れたか
光を暖かいと言ったフルフロンタルが敗れた理由については、ep4のダイナーの主人の言葉が読み解く鍵かと思います。
「人を好きになったことがなかった」
最後には時間さえ終わるとしても、それでも未来を変えたい、他人と理解しあいたい、という願いを理解して、去って行ったのだと思えました。

ep7はいままでのエピソードとはまた一味違って、とても示唆に富んだ内容でした。DVD買って、もっと読み解きたいな、と。サントラ買いましたし。
一人だけ耽美なアンジェロがあのあとどうなったか気になりますが、彼は彼の道を歩き直したと思いたい。これは、可能性の物語なのだから。