スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

1 際限なく落ち込んでいくタイプです

 目覚めは最悪だった。鳩尾を殴られると内蔵にダメージが通るのか、吐き気がして気分は最悪。そしてとどめをさすように、やはりピチューは連れ去られていた。ヒビキとコトネを起こして追おうとしたけれど、手がかりはなく、俺とヒビキは体調不良で自力で歩くのも辛い状態、コトネは初めて味わった一方的な暴力に衝撃を受けて真っ青になって精神的にダウンと、森を抜けるのさえ難しいような状態だった。
 仕方なく穴抜けの紐でヒワダタウン側のゲートに戻ると、そこの警備員は俺たちの満身創痍っぷりに事件の匂いを感じたらしく、速攻で病院と警察に連絡を入れてくれた。病院で治療を受けて、夕方頃になって警察が事情聴取にやってきた。俺たちが落ち着くのを待った、わけではなく、他の事件で忙しかったらしい。俺にとって三回目の事情聴取だ。
 前回までの刑事さんじゃなくて少しほっとしたところへ、こちらはもうお馴染みのレンジャーのお姉さんがやって来た。

 彼女は一つのキャリーケースと、治療に出されていた俺たちの手持ち、それからヒビキのポッポを伴って来てくれた。
 ポッポはヒビキのピンチを感じ取って、空から助けを求めに行ってくれたのだ。で、森の別所でレンジャーの活動していたお姉さんたちを俺たちの倒れていた場所に誘導してくれた。でもそこは既に俺たちが去った後で、サーナイトたちに連れ去られたと思ったのかポッポはお姉さんに着いて行って、ピチュー奪取の手伝いをしたらしい。なんと賢い子か。
 キャリーケースの中には色違いピチューが入っていた。けれどピチューは身を縮込めて、可哀想な程にぶるぶると震えていた。一体なにをされたのかと思ったけど、よく考えたら既に傷ついているところへ暴力的な事件が起こったのだ。人間はおろか、ポケモンまで怖くなってしまったのかもしれない。

 一晩入院するように言われた俺たちだったが、コウキに会うため、ピチューをボールに戻して夜遅くにポケモンセンターへ向かった。事件の守秘義務があって詳しくは話せなかったが、とにかく俺は謝った。人の微妙な表情さえも再現する良く出来たホログラムは複雑な顔をして、少しの無言の後、事件に巻き込まれたなら仕方ないと苦笑いをした。それに任せると決めたのは自分だから、リョウさんの責任でなく、自分の責任だ、とも言っていた。その声音は納得しているものではなくて、俺は面目ないと土下座して詫びたい気分だった。そんな事を公衆の面前でしたら相手にも迷惑をかけるからやらなかったけど、本当にどう詫びたらいいのか、いや、どうしたら責任を取れるのかわからなくて、それが申し訳なくて、情けなくて。
 ピチューはコウキが声をかけてもボールから出てこなかった。その事実にコウキはピチューを連れて実家に戻ると、俺たちに告げた。田舎でのんびりピチューの心を癒すんだと。旅を中断するんだと。

「リョウさんたちも巻き込まれただけなんですから、気にしないで」

 そうやって気遣ってくれるのが余計に申し訳なかった。俺がした事といえば、結局、関わった人全員に迷惑をかけただけなのに。





 事件の翌日、俺たちは迎えに来たコトネの母親に連れられてコガネシティへ向かった。コトネとヒビキは親が居るから、事件直後にそこへ連絡が行って、一番近くに住むコトネの母親が迎えに来たのだ。
 コトネの母親は自分の親の家業を手伝うため、コガネに住んでいる。つまり、育て屋夫婦の手伝いをしている。
 コトネは実の娘だし、ヒビキは家族ぐるみの付き合いだと言うから身内同然だ、だから連れて行くのは分かる。でも俺は赤の他人であり、バイトとしても今は使い物にならない、と言ったのだが、コトネ母は人好きのする明るい笑顔でもって「子供が遠慮しないの」と俺まで引っ張っていったのだった。パワフルな女性だ、そして紛れもなくコトネと親子だと感じさせる人柄だった。

 酷く捻挫してテーピングぐるぐるの俺と後頭部強打で頭にサポーター着けっぱなしのヒビキは「今日一日は絶対に安静」と一切の仕事を免除されて、育て屋夫婦や従業員が住む母屋でぼーっと過ごしていた。ヒビキは動けない程じゃないみたいだが、念のためらしい。コトネはすでに手伝いに出ている。まだショックが抜けてないだろうからと「ゆっくりできないのか?」と聞いたら、「動いてた方が気が紛れるの」と苦笑された。ポケモンの世話をするのもセラピー効果があるんだろうか。

 俺は、暇なときにざーっと目を通しておいてと渡された育て屋従業員マニュアルに視線を落としていたが、殆ど頭に入ってなかった。ページも一向に進まない。
 ピチューの事、コウキの事、ヒビキとコトネを巻き込んだ事。後悔と自己嫌悪が渦巻いて、先の事が考えられずにいた。どうしたら償えるだろうか。俺がここに居ることでまたシナリオから外れた出来事が起こるんじゃないか。危険に巻き込むんじゃないか。次に遭遇した時のために準備しておこうと思ったのに、それは全然叶ってなかったじゃないか。それどころか……。

 思考がループする。気分は一度沈みだすと際限なく沈んでいく。ましてや今回は取り返しのつかない事をしでかして、挽回方法が全然わからない。
 溜め息が出そうになるのをすんでの所で堪えて、隣のヒビキに気づかれないようゆっくり息を逃がす。ヒビキに溜め息なんか聞かせたくない。悩むのも沈むのも俺の自由だが、それでヒビキに気を遣わせるのは本意じゃない。
 俺が警察沙汰の危ない目に会うのは三度目だ。一度目は偶然、二度目は運が悪かったですむだろうけど、三度目となると必然的なものを感じてしまう。
 そう思ってしまうのは、ヒビキの歩む道がシナリオに沿っているって事もある。ヒビキと同じように俺の歩む道も既にシナリオが用意されているんじゃないか? それはこれまでのように危険が付き纏うものなのでは?
 この世界ではそんな事が起こるんじゃないかと不安になる。バカバカしいと笑い飛ばすには、不安を膨らませる要素の方が多い。いや、俺がネガティブになってるからそう考えてしまうだけだろうか。

 しかし不安に拍車をかけるものがある。自分の性格だ。根性無しの中途半端な人間なのは自分が一番知っている。これは自分を卑下しているわけでなく、25年生きてきて実際にそうだと実感した、現実だ。
 俺は誰を蹴落としても一番になりたいと言う情熱や、何かを犠牲にしてまでやりたい事を最後までやり遂げるような覚悟とは無縁だ。こんな中途半端者が勝負の世界で生き抜けるわけがない。そんな気概のない人間が、今回の事についてきちんと責任を取れるだろうか?

 ごちゃごちゃ考えてはいるが、とどのつまり、俺はへこんで、自分がこの先トレーナーで有り続ける事に疑問を抱いていた。

「ぶぅい」
「……くすぐったい、モチヅキ」

 膝で丸まっていたイーブイが後ろ足で立ち上がって顔に顔をこすりつけてきた。その背中を撫でてやると気持ちよさそうに喉を鳴らして、嬉しそうにゆらゆらと尻尾を振る。少し離れた所で日向ぼっこをしていたメリープが眠そうな顔のまま参加してきて、頬の辺りへぐいぐいと頭を押し付けられる。チコリータはこういう愛情表現はしない質なので、相変わらず俺の背中にちょっとだけ体重を預けて大人しくしている。
 3匹は俺の内心など知ったことではないようで、また、こないだ瀕死になった事さえも忘れているかのような暢気さがある。変わらない日常の光景に安堵を覚える一方で、ピチューがここに居ない事実が胸に刺さる。

「う、分かった、分かったって。落ち着けって」

 自分で言いながら何がわかったのかさっぱりだったが、なんとなく言ってしまった。宥めるつもりでメリープの背中も撫でると、メリープは小さくんーんーと漏らしてますますぐいぐい迫ってきた。口元を顔に押し付けられると、主食が草なのでなんとも青臭い。
 なんか機嫌良さそうだ。つか、この2匹はほんっと暢気と言うか、マイペースと言うか。

「リョウくんとこって、ホント仲良しだよね」
「こいつら人懐こいからなあ。つか、ヒビキくんとこも仲良しじゃん」

 ヒノアラシを膝に乗せてのんびりとマニュアルを読んでいたヒビキが面白そうな顔で言った。仲良しっちゃ仲良しなのかもしんないけど、イーブイとメリープが犬気質なだけだと思う。あ、となるとチコリータは猫だな。ちょっと気位高い系の。気軽に私に触れないで頂戴、みたいな。
 会話してる間もぐりんぐりんと頬擦り(激)をしてくるのが地味に邪魔だ。可愛いけど。なのでメリープの顎の下をかいて注意をそらす。すると今度は手に顎をこすりつけ始めた。うーん、ジョーイやコトネがこうすると大人しくなってたんだけど、俺だと上手く行かないなあ。

「ああでも、クルルとココはこういうことしないよなあ」
「うん、ヒノノだけだね。でもココは懐こいよ、膝に乗らないけど、気付くと足にぴったりくっついてるの」
「ヒビキくんが立ち止まるとすすすーって寄ってきて、控えめな感じが可愛いよな」
「でしょ」

 自慢げなヒビキに少しだけ笑いが浮かんだ。やっぱどこもうちの子が一番可愛いんだよな。
 ……そう、可愛いんだ。

 旅立つ前は、俺はただ帰りたくて、なぜ俺がこの世界に子供の姿でいなくちゃいけないのか知りたくて、帰れる可能性のある地方――空間と時間を司る伝説のポケモンたちが居るシンオウへ行くため、この地方から出るのにチャンピオンの地位を求めた。そのために、共に旅をするであろう手持ポケモンを、最後には捨て置いていくと決めていた。
 でも、イーブイやチコリータを何度も何度も瀕死にさせて、それなのに何度も助けて貰って。メリープにはトラウマを作って、トラウマ持ちのピチューを更に追い詰めて、ヒビキとコトネを危険に巻き込んで。関わった人を不幸にしてまで、元の世界に帰るべきなんだろうか?

 いや、べき、と言うのは可笑しいか。元の世界から俺が居なくなったって、きっとそんなに変わらない。俺を大事に思ってくれた人の心は穏やかではないだろうけど、そんなの、例えば俺が事故で死んだとしても同じだ。誰にでも永遠の別れは唐突に来るものだ。そして人間は忘れる生き物だ。時が経てば、俺の事も過去になる。
 でも、この世界には俺の生きた25年は欠片も存在していない。今の俺を形作ってくれた、全てが存在しない。親も、兄弟も、友達も、好きで好きで就職した仕事も、とても大事に恋した人も、全てが遠い。でも、この世界に情が湧き始めているのも事実だ。みんな良くしてくれる。良くしてくれるんだ、そんな人たちに、恩を徒で返すのか?

 俺が元の世界に帰りたいと願ったのは、あちらに大事なものの全てがあったからだ。旅立つ前はそうだった。けれど、今はもうこちらにも情が沸いてる。絆されかけてる。
 旅立つ前と同じ考え方では居られない。俺は、目的のために誰かを犠牲にして、それでのうのうと生きては行けない。誰かを犠牲にしてまで自分のしたいようにしたとして、きっと後悔する。一生、後悔する。

 旅立つ前は、心がまだこの世界を血が通ったものと認識できてなかった。主治医が俺を頭の可笑しいやつだと判断したのを知っていたから、この世界にとって俺は異物なんだと思ってた。頑なに帰りたいと願ったのは、主治医をはじめとした、俺を精神病患者扱いする周囲の反応も理由だった。
 25年分の記憶……自分の人生が幻だったなんて、認めたくなかった。自分が正常だと、信じたかった。俺の今までが幻だったと言うなら、その証拠を、間違いなく認めざるを得ない確固たる証拠が欲しかった。
 でも、結局病院では自分の今までを諦められるだけの材料がなかった。だから俺は、子供の身体になっていても、この世界が俺の知る世界でなくても、自分の人生を否定出来ない。郷愁も募る一方だった。
 けれど、旅にでて、否応無しに実感してしまった。この世界でポケモンは心を持って生きているらしいことや、病院以外では案外すんなりと俺を受け入れてくれる人が居ること。病院に居た時は針の筵に座っているようだったが、今ではそれも随分緩和されてる。前ほど居心地の悪さは感じない。

「リョウくん」
「んー?」
「僕、力になれないかな」
「え?」
「何か悩んでるでしょ」
「あー、悩んでるっていうか、反省」
「リョウくんのせいじゃないよ」
「うーん」

 励ましてくれてるのに曖昧に笑うしかない。隠してる事がありすぎて、それが俺に有利に働いてるから余計に申し訳ない。
 コウキの色違いピチュー、俺が居なければヒビキに預けられたと思う。本来の流れはそういうものだった筈だ。そうなってたらこんな事にならなかっただろう。ヒビキとコトネも、俺の元に留まらなければ危険な目に遭うことは無かっただろう。きっと俺のせいで、イレギュラーな俺と関わったせいで、皆が事件に巻き込まれた。
 そう言った所で誰も信じないだろうな。なんの確信もなければ、証明もできないから。ただ、俺だけが知ってることが幾つもある。……ああ、こういうのって精神病にありがちな症状なんだっけ? 俺だけが知ってる、俺は未来が見える、って。

「気にしすぎなんだって。リョウくんは助けようとした。僕らはそれを知ってるし、コウキもわかってると思う」

 違う、ピチューのことだけじゃないんだ。そう白状してしまいたいけど、それは出来ない。だってどう説明するんだ? 俺がヒビキの未来を知ってること。俺は本来ならこの世界の住人じゃないって事。荒唐無稽な話、誰が信じるんだ? 精神病棟に入院させられた、それが答えだろう?
 励まされれば励まされるだけ罪悪感が噴出する。俺、なにやってるんだろ。

 俺はただ元の世界に帰りたいだけだった。シンオウへ行って時間と空間と言う、人知を越えたポケモンに会って。望んだのはそれだけだったはずだ。その結果、元の世界に帰れないとわかったら、それを受け入れるつもりだった。ただ、宙ぶらりんな現状が嫌だったんだ。
 そして、それまでの旅を楽しく過ごそう、そのために多少の寄り道はしよう、未来を知ってるからきっと上手くやれるって思っていた。それが裏目に出たって事なんだ。いや、違うか。馬鹿だったんだ。なんて甘いこと考えてたんだろう。

 ……ヒビキたちは、俺の失態を許してくれた。話してない事が多すぎるし、償いきれたとは思ってないけど、良好な関係は維持しようと努力すればほぼ確実にそうなっていくだろう。けれど、ピチューのことは、もう取り返しが着かない。コウキももう俺に任せようとは思わないはずだ。償いは、どうしたらいいだろう? ああ、メリープだってそうだ。洞窟にトラウマ持ってちゃ、冒険してるトレーナーの手持ちなんて務まらないだろう。あんなに人懐こくて、人と居るのを楽しんでいる子なのに。ああ、これから先もどうしたらいいんだろう。俺の選ぶ道によって、もしまた他人に取り返しの着かない事が起こってしまったら?
 恐い。嫌だ。俺はただ、のんびり好きな事して生きて行きたいのに、なんでこんな事になっているんだ。

 この世界が現実だって、ようやく理解した気がする。この世界がゲームと似通ってるからって、俺はゲームをプレイしている気分が抜け切らなかったのだろう。怖いことが起こったとしても、取り返しがつくような気がしていた。イベントのフラグとか、布石とか、そういう甘い認識がどこかにあった。そう、今更ながら思い知った。
 ここは子供の頃に憧れた、楽しい冒険とハッピーエンドの希望溢れる世界じゃない。物語りの中の綺麗な世界じゃない。俺はヒビキの未来を知ってるとしても、俺は俺の未来を知らず、現状どうしてか危険を引き寄せている気がする。
 それに、ポケモンが代理を担っているとはいえ、暴力がとても近くにある世界だ。元の世界でやっていた、服の販売と服作りをしているだけでは決して踏み込むことのない、直接的な暴力に寄る勝負の世界。本気の殴り合いなんてした事のない俺は、これに耐えられるんだろうか?

 また自分の思考に沈んでいた事に気づいて、いつの間にか俯いていた視線を上げる。ヒビキはただ静かに俺の言葉を待っていてくれたようだ。受け止めようとしてくれるその心の広さと穏やかさが、今は辛かった。
 俺を許さないで欲しい。責めて、断罪して欲しい。それで、もう二度と俺を見ないで欲しい。見捨てられたら、俺は自分を責めることをやめて、楽になれるのに。大事なものをリセットしてしまえるのに。
 辛いことなんか大嫌いだ。報われない苦労も、取り返しのつかない怪我も嫌だ。嫌だ、嫌だ、これが現実じゃなければいいのに。

 現実逃避を続ける思考を無理やり押しやる。感情的になるあまり、情けない事に喉が引きつった。こんな感情的で女々しいところ、他人に知られたくない。声が掠れないよう、ゆっくり呼吸を繰り返して感情を落ち着かせる。

「……ありがとう」
「……ううん」
「でも、ごめん。ちょっと、まだ立ちなれない。ごめん」
「うん」

 ヒビキはそれ以上何も言わなかった。ヒノアラシとココドラが心配そうに覗き込んでいる。背中に掛かる暖かな重みが増して、俺は泣きたいのを堪えるので精一杯になった。
 病院でなんども思った事が、久しぶりに心に浮かんだ。
 なんで、俺はここに居るんだ?

4 ウバメの森の祠にて

 祠の少し手前には障害がある。ゲームだと一本の細い木で塞がれていたが、現実では普通の木の間を細い木が埋め尽くしていた。その細い木は非常に硬く、再生力が異常らしい。根元から切られても30分もすれば1mは伸びてしまうとの事だ。とんでもない再生スピードである。ポケモンかってんだ。
 鋭い断面を見せながらもひざ下まで伸びたそれの前で、ヒビキがマダツボミを出した。

「頼むね、居合切り!」

 マダツボミの、植物の根っこのような細い手が腰に据えられた。その手を、すうっと透明な刃が覆うのを待って、マダツボミは居合抜きのように腕を振り抜く。スパン、と細い木が切り落とされて、人一人が十分通れる間が出来た。ヒビキはお礼を言ってマダツボミをボールに戻す。

「さ、行こ。コトネー」

 ヒビキ、ヒノアラシに続いて細い木の上を跨ぐ。

「目えあけたまんま寝てんの?」

 チコリータ、イーブイ、ピチューが越えるのを見守っていると、ヒビキが呆れたように言った。振り返ってすぐそこにある祠を見やると、祠の前でコトネとマリルが微動だにせずつっ立っていた。彫像かってくらい動かない。だるまさんが転んだだったら、一部の隙もない完璧っぷりだった。ふむ、これは何が何でもあそこから動かしてやらねばなるまい。

「コトネちゃーん、こまねちー!!」
「ぶふっ、りょ、リョウくん」
「笑わねえな。くっそ、負けるか」

 ヒビキは一発で吹き出したと言うのに、今日のコトネは強敵だ。しかし一度のチャレンジで挫けるような俺ではない。目を寄せて歌舞伎役者のように厳しい表情を作りつつ、ガニ股で足を進める。ヒビキがコトネの表情の変わらなさにすっげー、と感想を漏らしながら自分はげらげら笑っていた。ううーん、ヒビキとどっこいどっこいの素直さはどこにうっちゃってきたと言うんだ?
 疑問を抱きながらも白目を向いて舌をレロレロと動かしながらひよこ走りを披露した。ヒビキは爆笑しているというのに、コトネとマリルの表情筋はピクリとも動かなかった。んー? なんでだろ、目を開けたまま気絶でもしてんのか?

「コトネちゃん?」
「……コトネ?」

 流石に可笑しい。悪ふざけを引っ込めて近付く。ざ、と、風で揺れるのとは違う葉が擦れ合う微かな音が背後でした。

「ぎゃっ」
「がっ」
「あ!?」

 どん、どん、と何かを叩きつける鈍い音が二発。振り向いた俺の目には倒れ伏したヒノアラシと、吹っ飛ばされていくチコリータが見えた。草むらに突っ込んだチコリータを追って、いつの間にか現れたエルレイドが跳躍する。突然過ぎるこの状況にヒビキは硬直していた。
 イーブイがその場を飛び退こうとする。イーブイに向かって、歪んだ空間が迫る。そうとしか言いようのない、蜃気楼のように景色を歪ませるなにかが宙を真っ直ぐに進む。それがイーブイに到達した。瞬間、その歪みはイーブイを捕らえるような動きを見せて、イーブイは空中で見えない力に叩き落とされたようだった。悲鳴一つ上げず地面を転がる。
 その四肢は完全に力を失っていた。側にいたピチューが頬から放電している。けれどそれは戦う意思の表れでなく、怯えからくる感情の高ぶり。震えて動けないピチューを助けなくては。
 俺が動こうとする前に、ピチューの横合いにテレポートしてきたサーナイトが濃い黄色の小さな体を掴み上げた。

「なっ、離せ!」
「が……ぁ」

 漸く反応が追いつき始めた俺が遅ればせながら叫ぶと、サーナイトは俺を睨み付け、掴まれたピチューが苦しそうに呻いた。小さな体は片手で強く握られている。やめさせなければ。
 飛びかかろうと走り出した俺を冷たく睨みつけて、サーナイトはテレポートで逃げてしまった。

「ピチュー! サーナイト!!」
「びぃぃぃいいい」

 2匹の姿を求めて視線を巡らせる。ポケモンらしき鳴き声がして、びゅううと風が悲鳴を上げた。音の方向へ振り向く。サーナイトとピチュー、それから緑色の小さな体に青い眼と半透明な青い翅を持つポケモン、セレビィが居た。
 セレビィはサーナイトの正面で小規模な竜巻を作り、その中に無数の葉を高速回転させていた。それを躊躇なくサーナイトへと繰り出す。サーナイトは間一髪、テレポートで姿を消した。葉を内包した竜巻、たぶんリーフストームだろうか? とにかくセレビィの出した技が無人のそこを通り過ぎて、やがて消滅する。

「逃げてリョウ!!」
「ぴ、ちゅうう!!」

 コトネの声。この勇ましい声は本当にピチューか? そう思った瞬間、俺は体当たりされて吹き飛んでいた。着地しようとした足がぐにゃりと曲がって痛みが走り、そのまま無様に地面を転がる。転がった衝撃、次いで強かにぶつけた肩に痛み。ばちばち、と電撃が弾ける音を聞いた。ピチューが攻撃したのか? 疑問の答えを得る前に、どさ、と後ろで誰かが倒れた音がした。
 あちこちからずきずきと伝わる転んだ痛みを無視して顔を上げると、そこはにらみ合いの膠着状態になっていた。コウキの色違いピチューを抱えたサーナイトに向かって、片耳の先にぎざぎざのおしゃれ毛があるピチューが歯を剥き出しに、頬から放電しながら威嚇している。さっきの勇ましいピチューの声はどうやらギザ耳ピチューだったらしい。
 セレビィはコトネの前に浮かんで瞑想するように目を閉じていた。サーナイトの腕の中で色違いピチューが声もなく震えている。取り敢えず酷く痛めつけられてはいないようだ。

 立ち上がろうとして、足に走った鋭い痛みに息を詰めた。さっき転がされた時、思ったよりひどく足首を痛めたようだ。左足に体重をかけないように立ち上がって辺りに視線を走らせる。
 イーブイがゆっくりと立ち上がるところだった。多分、瀕死か、それに近い状態なのだろう。足の痛みを無理やりこらえてイーブイの隣へ立ち、モンスターボールを確認する。HPは1。とっさに堪えるを使ったのだろう。
 ヒビキの前にはいつの間にかココドラが現れていたが、エルレイドが跳躍してその体に素早く蹴りを入れると、抵抗する暇もなく転がって気絶したようだった。ヒビキがマダツボミを出す。ココドラを戻す間にマダツボミは吹き飛ばされた。今まで対戦した誰よりも素早い決着だった。レベルが違うのだとわかる。

「みんな……くそっ」

 ヒビキは次のポケモンを出さなかった。いや、出せないの間違いだろう。きっとさっきの誰かが倒れる音はポッポだったのだろう。

「モチヅキ、ヒビキを」
「ぶぅぅぅいっ!!」

 助けるんだ、と言う前にイーブイが飛び出していく。敵わないだろうけど、時間稼ぎにもならないだろうけど。何もしないでいる事は出来ない。

「走れヒビキ!!」

 はっとしたヒビキが走り出す。こちらに向かって。

「ちが、助け呼んできて!」
「あ」

 食ってかかったモチヅキがじたばたを繰り出して、けれどエルレイドはそれを防ぐ事なく、煩わしそうに振り払う。イーブイはその手に噛み付いて攻撃を続けて、頑張って時間を稼いでくれた。その隙にヒビキが反転して全速力で駆けていく。イーブイが地面に叩きつけられて呻いた。
 エルレイドが跳躍した隙に俺はイーブイをボールに戻して、鞄を探る。ハヤトが弁償してくれた元気の欠片が3つあるのだ。回復して、イーブイには悪いけどもう一度時間稼ぎをしてもらう。ヒビキだけでも逃がさなくては。
 ボール越しに元気の欠片を使う。みるみるうちに回復していくが、エルレイドの手はもうヒビキを捕まえようとしていた。

「逃げろ!! 頼むモチヅキ!!!」

 回復仕切るのを待たずにボールを投げた。エルレイドはヒビキにタックルを仕掛けて押し倒してしまう。イーブイはボールから出るなりエルレイドの背中に飛びついて手足をむちゃくちゃに振り回した。けれど威力の落ちたじたばたは、レベル差も体格差もあるエルレイドにとっては対したダメージにならなかったらしく、イーブイは振り払われた。そしてエルレイドの追撃。

「ぐがっ」
「モチヅキ!!」

 また地面に力いっぱい叩きつけられて、イーブイは気絶した。こうなるのはわかりきっていた。だからさっさとボールに戻そうと構えていたのだが、エルレイドが無造作にヒビキを掴み上げた事で俺は頭が真っ白になった。そんな、どうする気だ。
 間に合わないだろう。それでも見捨てるわけにはいかない。一拍怯んでから痛みを覚悟して走り出した俺に向かって、エルレイドはヒビキを投げて寄越した。なすすべもなく俺たちは衝突してもつれ合うように倒れる。足だけでなく全身に痛みが走って、もうどこが痛いのかわからなかった。

「ったぁ、リョウくん平気!?」
「っ、ああ、いや、足が」

 会話はそこで途切れた。突然、2匹のポケモンが現れたからだ。反応する間もなく、ヒビキはエルレイドに、俺はサーナイトにつまみ上げられた。

「ヒビキ、リョウっ」
「みみろっ」

 コトネとミミロルが心配そうに叫んだ。ああ、マリルはやられてしまったのだろうか。
 セレビィは静かな瞳で俺を、いや、サーナイトを見据えているようだった。ギザ耳ピチューは目尻をきりきりと釣り上げて愛らしいはずの顔を威嚇の形に歪めて、親の敵のように何故か俺を睨みつけていた。なんだってんだいったい。つか、何が起こってるんだ?

「びぃ、れびい」
「サーナ、サーナィ」
「びぃぃぃぃ……」
「ナィ」

 サーナイトの声は鈴を転がすような、澄んだ声だった。唾棄しそうなほど荒々しいギザ耳ピチューにもつんと澄したような印象の声で返答をする。ミミロルはコトネを背中に、そのやり取りを緊張の面持ちで見守っているようだった。
 人間おいてけぼりで暫く言葉を交わした3匹だったが、サーナイトがミミロルに何事かを告げて、それをミミロルが了承して話し合いは終わったようだった。ただ、ギザ耳の眼力が半端ない事になっていて、何故か俺が睨まれた。あんなちっこいのに、凄みがあって怖い。
 俺とヒビキが解放される。近づこうとしたコトネをミミロルが止めた。きっとサーナイトが要求したのは、コトネを止める事だったのだろう。サーナイトはそのまま、片手に色違いピチューを抱えたまま進み始めた。

「返せ、その子は」
「リョウ、くん? ああっ、もしかして金縛り!?」

 サーナイトに手を伸ばした所で金縛りにあった。コンクリートで固められたらこんなだろうか、と思うほど動けない。呼吸と瞬き以外はままならない。自分がこの状態になって気付いた。再会したコトネもこの状態になっていたのだろうと、漸くわかった。
 動きかけたヒビキの顎をエルレイドの拳が捉えた。視界の端でヒビキは仰向けに倒れていく。

「きゃあああっ! ヒビキー!!」
「サーナイ、サナサーナィ」
「みみっ、みみろぉっ」
「れびぃ、びいれぇび」

 駆け寄ろうとしたコトネにサーナイトが冷たい声を浴びせ、ミミロルが必死にコトネを引き止める。セレビィも止めるような素振りでコトネに話しかけた瞬間、エルレイドが跳躍した。それに気付いたセレビィがコトネを背中に庇うと、サーナイトが空の手を突き出して握るような仕草をした。それに合わせて俺の首が締まる。ああ、このサーナイトは俺が苦しむのを見せて、セレビィにエルレイドの邪魔をさせないつもりなんだ。

「ビイィ! レビイ!」
「え、なに? え? あ? リョウ、くん?」

 首を締められるのはこれで三回目になる。こんな事に慣れるなんて嫌な事だが、少しだけ冷静さを保てていた。苦しくはあるのだが、気を失う寸前は頭が真っ白になって何も考えられなくなるんだ。ドラマで見る窒息死は怖いものにしか思えなかったが、実際に自分がやられるとなると、なかなか悪くない死に方だと思える。少なくとも痛みはあまりないのだから。

「いや、いやああ!! や、めて、リョウ、リョウ、リョ、う、りょ……」

 手足が痺れて感覚が消失する。白いノイズに覆われ始めた視界の中で、エルレイドがコトネを押さえ付けて顔を覗き込んだ。コトネの声が途切れ途切れになっていくのは、コトネが何かされていて声が小さくなっているのか、俺の意識が遠のいているのか……。

「ヒュッ、はぁ、がっ、えほっ、げほ、げほっ、え、うっ」

 急に新鮮な空気が入ってきてむせ返った。ついでとばかりにえづいてしまい、ちょっと吐きそうにもなる。そして続いて体が自由になった。けれど俺は動けない。直前まで意識を失いかけていたせいか、感覚の殆ど無い手足だけでなく体に自体に力が入らなかった。立ち上がろうとして前のめりに転んでしまう。

「ま、て。ぴひゅう、げほっ、ぴちゅーを、げほっごほっ」

 口がうまく回らない俺を、サーナイトが凍りつくような、憎み蔑むような冷たい瞳で一別した。

「サーナイ」
「びぃ」
「待て、待てってば」

 力を込めて身を起こす。体が震えているのは、ダメージか、恐怖か、異常な事態に見舞われたための高揚か。
 ピチューはコウキから預かった大切な子だ。それを連れて行かせるかよ! ピチューが攫われたら、俺は、コウキは、ピチューは。

 エルレイドが動いた。攻撃されると分かったのに、俺はよけられず強かに鳩尾を殴られた。衝撃、激痛。開けているはずの目の前が真っ暗で、その中を光が弾けて、星が爆発したみたいな光。痛くて、苦しい。我慢しようのない吐き気がこみ上げた。逆流した胃酸が胸を焼く。堪える間もなく、胃の中のものが吐き出されていく。食道が胃酸に焼かれて沁みた。口の中が苦くて酸っぱい。
 気付いたら俺は倒れ伏していた。痛みに思考が奪われている間に倒れたらしい、と、遅れて理解する。腹が痛くて気持ち悪い。いつの間にか嫌な汗が吹き出ている。足首、折れたんじゃないかってくらい痛い。ああ、そんなことより、サーナイトとエルレイドが、セレビィとギザ耳ピチューを従えて、コウキから預かった大事な、臆病になってしまったピチューを連れて行ってしまう。

 助けなくちゃ。痛い。助けなくちゃ、痛い助けいた――

 思考が渾然となって行き、そのまま俺は意識を失った。

3 ポケモンの居る世界の通学事情

 ウバメの森には、所々に一里塚が建っている。森を貫く道に沿って昔立てられたらしいが、結構な数が失われてしまっていて、何キロ進んだかを計算するには適していない。
 大きな石で出来た一里塚には漢字で何かが彫られてるが、達筆すぎて俺には判読できない。順路や距離なんかを示してるのだろうか?
 そんな頼りない一里塚ではあるが、位置がゲートで貰った地図に載っているので、きちんと数を数えていれば自分がどの一里塚の所にいるかわかる。看板もあるし、まず迷う事はない、はずなんだが。

「今ここでしょ? あれ、近道じゃない?」
「いや、現在地はこの辺だろ。あれは道じゃないって。道だとしても獣道じゃねえかなあ」

 ゲートで貰った地図をヒビキと2人で覗き込んでると、こうやって人は道に迷うのかと思う。なんか知らんがヒビキさんよ、細い道に突っ込もうとするのはやめてくれ。地図通りに進めば森を抜けられるんだから。
 とはいえ、ヒビキも方向音痴の自覚はあるようで、最終的には俺の判断を尊重してくれた。「リョウくんがそう言うなら信じるよ」と能天気に笑ったヒビキの足元で、ヒノアラシがうんうんと何度も頷いていたのが可笑しかった。きっと繋がりの洞窟では相当苦労したのだろう。
 これで迷ったら、俺の立つ瀬がなくなるなあ。

「ところでさ、コトネちゃんの言葉ってどれだけ信じていいんだ?」
「ん? んー、そーだねえ、あんまり信用ならないかも。一回電話してみよっか」
「頼むわ」

 コトネとはぐれてからそれなりに時間が立っている。祠へも、順調に行けば20分ほどで到着するところまで来ているはずだ。木の実を拾ったりしながら進んでいたコトネがこんな遠くまで先行できるものなのか、そして方向音痴のコトネが自分の位置をキチンと把握できていたのか、疑問に思うには十分な時間と距離だ。
 ポケギアは数コールで繋がった。前置きもなく手短に「今どこ?」と尋ねる。ポケギアから不明瞭なコトネの声がごにょごにょと聞こえる。少し近付いて聞き耳を立てる。

「はあ? 祠に着いた? 移動したの? もー、動くなって言ったじゃん」

 憮然としたヒビキの声に続いて、コトネの声が漏れ聞こえた。たぶん、『ごめん、でも祠に向かっちゃったほうが解りやすいでしょ?』と言ったのだと思う。

「いーけどさぁ。で、無事着いたんだ? うん、わかった。じゃあ行くから」
「早くて20分くらいだよ」
「早くて20分くらいだって。今度こそ、そこでじっとしてて」

 はあーい、と元気な良い子の返事を聞いて通話を終わらせたヒビキは、まだ少し呆れているようだった。

「コトネちゃん、迷子じゃなくて良かったな」
「うん、うん? うん、迷子じゃあないか、逸れただけだし。心配かけてごめんね」
「いや、そもそもコトネちゃんが消えたのに気付かなかったのもいけなかったんだし。それより無事に合流できそうでなによりだ。ヒビキくんが気にすることじゃないよ」
「そうかなあ……。ありがとう」

 自分が悪いわけでもないのに謝るってことは、ヒビキにとってコトネは身内扱いなんだろうか。普通、ただの友達のために謝るってことは、あんまりしないように思う。ゲームでは幼馴染って言うよりは同い年のお隣さんって感じだったけど、この世界ではもっと踏み込んだ感じなのかなあ。……そーいや、ゲームだと幼馴染は敬称付けで呼んでくるんだよな。でもヒビキたちは呼び捨てだ。
 あ、そうだ、学校にピジョットタクシーで通ってたってことは、遊び相手はワカバタウンの子供が主だってことじゃないか? だとしたら、同い年の遊び相手は限られるな。

「なあ、ワカバタウンってさ、ヒビキくんとコトネちゃんと年が近い子ってどのくらいいるんだ?」
「ん? んー、年が近いって、どのくらい?」
「同い年の子は?」
「僕とコトネだけだよ」
「なるほど」
「なにがなるほど?」
「うーん、なんつうか、ヒビキくんとコトネちゃん、仲良し、っていうか、気の置けない感じだと思って。だから、家族ぐるみの付き合いなのかなって、って、すまん。立ち入ったこと聞いたな」
「ううん、別に隠すことじゃないから。でも良く分かったねえ。ワカバは人が少ないから、遊ぶとなると年関係なくみんなで遊ぶんだ。大人もみんな顔見知りで、たまに来る親戚の人の顔も知ってるくらい、距離が近いんだ。けど、これって普通じゃないんだよね?」
「俺の住んでたところでは、まずありえなかった。でも、じーちゃん家とかはそうだったなあ。田んぼとかで遊び回ってると知らないおばあさんが、秋野さんちの孫け、どれ、お菓子でも食べてきな、って。俺が誰なのか知ってる感じ」
「ああー、そうそう、そうなんだよ。町ぐるみ、家族ぐるみってかんじなんだ」
「納得したわ。そりゃ仲良くもなるわな」
「うん」

 仲良くせざる終えない、とは違うか。お互いしか同い年がいないから、お互いに大事な友達だと思いあってるのかな。なんだか恥ずかしい言い方だけど、そう間違ってはいないだろう。

「学校は? 学年混合?」
「ううん、ヨシノまで通ってた」
「大変だなあ、遠いだろ」
「歩きじゃないから楽だったよー」
「へえ、そりゃ羨ましがられそうだな」
「うん、まあ、そんな感じ」

 なぜだか苦笑したものだから、俺は疑問が増えてしまった。

「なんだ、登校の事で文句言われたのか?」
「や、違うんだけど」
「うん?」
「うーん。あのね、ワカバに学校あったら良かったのにって、思って」
「ああ……それも一長一短じゃないか? 学校が近くにあるのはいいけど、生徒数少ないと運動会とか寂しいんじゃないかな」
「あ、そっか。そうだよねえ」
「なんだ、疎外感でもあったのか?」
「ううーん、別に冷たくされるとかじゃないんだよ、みんな仲良くしてくれたんだ。でも、僕らは他所の町の子だから」
「ああ。放課後もあんま遊べなかったり?」
「そう、夜になっちゃうとタクシー高くなるから」
「そっか。過ごしてる時間が少なけりゃ、自然と距離も出来るわな」
「うん。だからさ、ちょっとだけね、ポケセンとかで同じ学校の子を見かけると、寂しい時がある」
「わかると思う」

 放課後に遊べない、それだけで他の子供たちとは違いが出る。話題に入っていけないことが増える。学校と放課後、それらを子供たちは子供たちの世界で過ごすのに、そこに居られない。思い出を共有できないのでは、お互いに余所余所しくもなるだろう。
 それを寂しく思っても、ワカバの子供たちは自分たちの町に早く帰らなきゃいけなかったのだろう。道端からモンスターが出るこの世界では、ワカバとヨシノの距離でも危険は多い。夜が近付けば近付くほどに視界も悪くなり、危険も増す。足元が見えない、それだけで怪我をする事もあるのだから。
 それに夜間になりタクシーの料金が上がれば、家族に経済的負担をかける事になる。ポケモンを借りて、スプレーして、自転車で駆け抜ける事もできないわけじゃないけど、もしパンクでもしたら大事になる。借りたポケモンは言う事を聞かないし、万が一借りたポケモンよりレベルの高いポケモンが現れたら。そう考えると、登下校だけでも大変な苦労だ。

「あのさ、これ、あんま人に話さないでね」
「ん? うん、わかった」
「ありがとう。……リョウくんは、からかったりしないけど。色々言う人も居るんだ」
「珍しいから、か?」
「ううん、そうじゃなくて。ヨシノの学校って寮があって、そこに入れば皆と変わらず学校に通えたんだ」
「へえ」
「でも、僕、母さんが心配で。母さん、家に1人になっちゃうから」
「ああ、それは、心配だな」
「うん。……これ、内緒にしてね、からかわれるから」
「わかった。でも、可笑しなことじゃないよ、親を大事にするのは」
「……ありがとう」

 ヒビキははにかむような、少し恥ずかしそうな笑顔を見せた。母親思いのいい子を笑ったりするもんか。きっと会えなくなってしまう日を想像できるからこそ、大事にできるのだから、それを笑うなんてしない。

 なんとなく会話が途切れて、俺はこの世界の現実について少しだけ思いを巡らせた。
 この世界で暮らしていくにはポケモンがいないと辛い。町の外はポケモンの領域で、町の中に居ても時折野性のポケモンと出くわす。野生のポケモンが襲ってきた時に普通の人が自分の身を守るには、自分もポケモンを持つしかない。

 町の中だけで暮らして行ける保障があるならポケモンを持たずとも大丈夫だろう。けれど、年を重ねて進路を考える時、あの町では町中でも野生のポケモンが出るから行けない、となると、進路の幅が狭まる。
 だからこそ10代の前半で旅に出て、そこでポケモンとの付き合い方を学んだ方が良いのだろう。旅に出れば色々なポケモンと出会う。学ぶ事も多い。町中で安全に気をつけてポケモンと触れ合うだけでは得られないものを得るはずだ。

 他の国へ行けばポケモンの少ないところもあるかもしれない。でも、どこに居たって、バトルはきっと避けられない。ポケモンは大半が戦う生き物で、時に人が到達出来ないような場所へも、その不思議な力で到達してしまう。どこへでも行ける生き物なのだから、人間がどこに居たってきっと会ってしまう。
 どうあっても付き合って行くしかない。ポケモンがいる世界って、そういうことなのかもしれない。

2 ゆっくりのんびり散歩道

 森の入り口には有人のゲートがある。この世界では森や街と街の間に有人のゲートが設置されている事が多く、その理由は街の外には多くのポケモンが潜んで危険なためだ。立ち入りを制限したり、何かあった時に町へ連絡する役割があるらしい。とは知っていたが、ヒワダに滞在してようやく実感が沸いた。
 野生のポケモンは人に危害を加える。人懐こく害意のないポケモンでも、仲間と遊ぶのと同じ感覚でじゃれついただけで、鋭い爪や牙は人の肌はおろか肉をも簡単に裂いてしまう。それに野生のポケモンは人に有害な毒や病原菌を持っている事もある。ガンテツの孫娘を見ていてわかったが、どんなにしっかりした子供でも体自体がまだまだ弱いのだから、野生のポケモンは危険だ。森に迷い込んでしまったらいけない。
 例外は街に慣れたポケモンだろう。人の脆さを知っていたり、人と触れ合わないように住み分けたり。すくなくとも小さい子供に捕まってしまわないような警戒心の強さや、ヤドンのように少々乱暴にされても暴れないのんびりしたポケモンでないと危ないだろう。ポケモンは動物よりずっと強い力を持っているのだから。

 虫除けのスプレー(ポケモン用じゃないやつ)をし、ゲートで貰ったウバメの森の地図を広げ、木々が作る天然のアーケードの一本道を辿って行く。コトネはバトルより探索や捕獲に夢中で、マリルと共に草むらをかき分け落ちている木の実や木の上に住むポケモンを探していた。中腰や見上げ続ける姿勢ばかりで首と腰は痛くならないのかね? と思ったが、そういや俺も子供の頃って肩こりとか感じたことなかった。
 わざとゆっくり歩って人が少なくなったのを見計らい、ピチューとイーブイも出す。連れ歩きキャンペーンのルール違反になるけど、ピチューは俺とだと緊張してしまう。それでヒビキやコトネに気を使わせたら、精神的に疲れてしまうだろう。2人もピチューも。だから自分の手持ちに、クッション役を担って貰う事にした。ルール違反は、まあ、ちょっと目を瞑って貰うってこって。
 ピチューは出るなりチコリータに駆け寄って、イーブイはその場でくあーっと大あくびをした。

「おはよう、ピチュー」

 ヒビキの声でピチューの存在に気付いたコトネが駆け寄ってきた「おはよー」と向日葵のような笑顔を向ける。……自分で言ってから思ったんだけど、向日葵って表現はコトネにぴったりだ。明るくて一生懸命で凄く元気。夏の入道雲が湧いた青空が似合う感じ。
 少々思考が逸れたが、俺を上目遣いで観察するように見上げるピチューの前にしゃがみ、笑顔で話しかける。

「今から森を探検するんだよ。ワカナとモチヅキも一緒だし、ほら、ヒビキくんとコトネちゃん、マリルにヒノノも一緒だ。みんなで散歩しような」
「ぶいー」

 イーブイが笑うように目を細めて、ピチューの顔を優しく舐める。それを受けながら、緊張した様子で俺を見つめるピチュー。見詰め合ってると、俺とピチューの間にチコリータが体を挟んで、俺を軽く睨んだ。あきらかに「ピチュー怖がらせてるんじゃないわよ」の意思表示だ。わかってるよと言う代わりに立ち上がる。少し距離を取ると、ピチューはどこかほっとしたようだった。ああ、わかってる、わかってるけど、お兄さんは寂しいです。
 なんでこんなに警戒されてるんだろうな、基本的に穏やかな態度を心がけているんだけど。時々大声あげるからかな? それともイーブイを叱ってるのが怖いとか? そんなのヒビキもコトネもやってるし、大声で言ったらガンテツのが怖いだろうに。やっぱわかんねーわ。

 気を取り直して歩き出して少し、森が深くなり始めて俺は景色に圧倒された。樹齢何百年かわからないような太い幹の木々は背が高く、枝ぶりも立派だ。瑞々しく茂った葉が涼しい木陰を作っている。葉が風にさわさわと揺れて、地面は木漏れ日がゆらゆらと揺れていた。緩やかに揺れる木漏れ日は、何故か水中に差し込む光と良く似ていて、不思議な光景を作っていた。神秘的と言うか、幻想的と言うか。とにかく、滅多にお目にかかれない大自然の中を進んでいく。
 草タイプのチコリータは溢れる緑が嬉しいのか、花の匂いを嗅いだり草むらでごろごろと転がったり、揺れる木漏れ日をじっと見つめたりと森を満喫しているようだった。イーブイとピチュー、加えてヒノアラシは虫や小さなヘビを追いかけ、小石を蹴って遊び、落ちている木の葉をつついては楽しそうに声を上げていた。
 時折見かける苔むした倒木にはキャタピーなんかが隠れていて、出会い頭に糸を吐かれてイーブイが逆毛を立てたのには思いっきり笑ってしまった。上からムカデが降って来て帽子に乗っかった時には鳥肌が立って思わず呻いた。足の長い蜂が出てきてそれをイーブイが捕まえようとした時は大いに焦った。

 石畳もなにもない道だけど、連日トレーナーたちが踏みしめているせいか固い土が露出している。前回歩った洞窟と比べて、水気で滑らないぶんずっと歩きやすい。けれど臭いが気になった。今までの道中もそこかしこで緑の匂いや水の匂いを感じていたが、森の中はむせ返りそうになるほどの緑の匂いが濃い。いや、もしかしたら豊かな森を支えている腐葉土の臭いだろうか? とにかく独特の匂いで溢れかえっているのが、慣れないせいか、良い香りとは言い難くて気になる。それでも清涼な風が梢を揺らすと、ざあざあと耳に心地よく、いい場所だと思えた。
 そんな中で時折キャタピーやビードル、トランセルにコクーンと、俺の感覚で言えば巨大化した虫たちと対峙する。それはまあ慣れて来たからいいんだけど、初めてパラスに遭遇した時、俺は咄嗟にある事を思い出し鳥肌を立ててしまった。

「逃げるぞ、ピチュー!」

 ピチューは にげられない!
 思わず脳内にお決まりのテロップが浮かぶ程、ピチューは見事に痺れ粉を食らった。慌ててボールに戻し、野性のポケモンとの戦闘から必ず逃げられる特性を持つイーブイへ命じる。

「行け、イーブイ、んで逃げるぞ!!」
「ぶうい!」
「なんでだよ!」

 来ると分かっていても痺れ粉は回避できなかったが、特性により見事逃げ切ったイーブイを抱き上げてそのまま全力逃走すると、間髪いれずヒビキから突っ込みが入った。なんでって、ちょっとパラスはなあ。

「そんな強かったっけ?」

 とか言いながらヒビキは図鑑を開く。もうパラス捕まえてんのか。

「レベル的には全然。技や特性はいやらしいけど、勝てるよ」
「じゃあなんで逃げたの?」
「だって思い出したんだ」
「うん?」

 麻痺直しを使って2匹を治し、再びピチューを出す。

「パラスの背中のキノコ、寄生植物でパラセクトになる頃には宿主を白目にしちゃうんだぜ……」
「えっ、うそだ!」
「まじまじ、機会があったら写真よーく見てみ。パラセクト白目むいてっから。しかもキノコがでかくなると、キノコが本体になるんだってよ」
「えええええ」

 ないとは思うけど、ピチューにキノコ生えたらいたらやだな、と思って俺は全力で逃げ出してしまったのだった。ないとは思うよ、でも寄生されちゃったら怖いじゃん。図鑑の説明うろ覚えだなあ、ああ、寄生の条件って書いてあったっけ? いや、この世界ゲームと違うとこあるし、万が一キノコ生えたら、俺は絶望するわ。パラセクトにはゲーム中お世話になったけども、怖いもんは怖い。

「こわっ! えー、うそだろ、そんな話聞いたことないよ、自分のポケモンが寄生されたら噂になるんじゃない?」
「あー、そうか。余計な心配だったかな」
「そうだよ」
「でもパラセクトが白目むいてるのはガチ」
「うそだ」
「嘘じゃないって。コガネ着いたら一緒に図書館行ってみる? 多分記述あるよ」
「え〜……」

 半信半疑ながらも「そこまで言うのならほんとなんだろうな」みたいな、複雑な表情をする。パラス以外にキノコが寄生するかは分からないけど、パラセクトがキノコの意思で動いてるのはガチだったはずだ。確か冬虫夏草が元ネタで、って元ネタがコレなら寄生するのは虫だけか。良かった、俺の手持ちが寄生される事はないな。
 そんな事を考えている俺の隣まで後退してきたヒビキは、ヒノアラシを持ち上げてくるくるとひっくり返していた。いやーんみたいな顔で困っているが、それでも抵抗せずされるがままになっている。こういう控えめなところが凄く可愛いと思うが、あまり戦闘向きっぽくは見えない。頼りなげ、と言うか。

「どうした?」
「うん……こないだ、パラスと戦っちゃったから大丈夫かなあって」
「たぶんだけど、虫ポケにしか寄生しないから平気だろ」
「ほんと?」
「詳しくは忘れたけど、たぶん。ってか、コトネちゃんに聞けば一発じゃなか?」
「それもそうだ」

 2人で話し込んでしまってすっかり忘れていたコトネを探す。が、見当たらない。

「コトネー?」
「コトネちゃーん、出てきてー」
「コトネやーい」
「コットネちゃーん、あーそーぼー」
「コットコトコトネー外ハネー」

 ああ、ヒビキもあのエクストリーム外ハネ気になってるんだ。とっても共感を覚えるなあ。
 なんど呼んでも出てこないんで、ヒビキがポケギアを取り出す。俺はしゃがみ、抑え気味の音量でポケモンたちに「コトネちゃんがどこに行ったか見てなかったか」と聞いてみる。全員が首を横に振った。

「コトネ? 今どこ?」
『〜〜〜』
「えー。それじゃわかんないよ」
『〜〜〜』
「いや、木の特徴言われてもわかんない。見分け付かないし」

 若干呆れた顔でやりとりするヒビキを横目に、俺は半笑いになった顔を俯いて隠した。今はこうしてヒビキが迷子を探しているわけだけど、実のところヒビキもコトネと変わらないレベルで方向音痴だ。ヒワダタウンで一緒に過ごした約一週間でそれは良く知ってる。
 あの2人が近所のコンビニに行った時、なかなか帰って来なくて電話した事がある。往復10分、買い物に少し時間かけても15〜20分くらいで帰って来れるはずなのに、50分近くかかったのだ。
 なんとか近くに居た人にポケセンまで案内してもらって帰ってきたと言う2人に、思わずどんな経路を辿っているのかと聞いた。したら、十字路で右に曲がってコンビニへ行ったのに、帰りも同じ十字路で右に曲がっているのだと言われて、俺は盛大に吹き出した。図解すると

  行き
 ┛ ┗
   → コンビニ
 ┓↑┏
元の場所

  帰り
 ┛↑┗
   ← コンビニ
 ┓ ┏ 
元の場所

 これだ。なんでだよ! ってつっこんだら2人して「右から来たんだから右に帰るんだよ」「ねー!」と仲良く返事してくれて、お兄さんは、お兄さんは、面白くて教えてやるのが勿体無くなった。天然って凄いよなあ、右からきて右に帰るって。言いたいことわからなくはないけど、反対方向行ってるっつうの。
 これが他人事だったなら面白がって自分で気付くまで放置したんだが、俺が迎えに行く羽目になるのが面倒で、図を描いて「右からきたら左に帰るんだよ」ときちんと教えてあげたのがおとといの話。これで改善されるかと思ったんだけど、直ぐには直らないようだ。

 しかし漏れ聞こえる会話からするに、迷子の原因は他にもある。ヒビキはどうかわからないけど、コトネは何かに夢中になると周りが目に入らないらしく、木の実やらなんやらを集める内にずんずん進んで行ってしまったようだ。しかも目印にならないようなものを目印として認識してる。
 褒められる所は、自分の迷子癖をわかっていて決して木々の中へ突っ込んで行かなかった事だろう。こんな広い森で迷子になったら、たぶん捜索隊が組織されるぞ。そしたらしばらくは旅に出して貰えなくなるだろう。

「だから、他に目印になりそうなものは?」
『〜〜〜』
「祠の近くっぽい? わかった。そこ動いちゃだめだよ」

 はいはい、待ってて。と呆れ顔でポケギアを切った。ヒビキは基本的に性格も話し方も穏やだが、コトネと話す時は普通の少年らしいと思う。少々乱暴で遠慮がない話し方をするのは、近しい関係にある証拠なんだろう。

「たぶん祠の近くにいるって、行こう。……あのさ、なんでにやにやしてるの?」
「え、にやにやしてる?」

 まじまじと俺を見つめて、うんと頷いたヒビキに「仲良き事は美しきかな」と言ったら複雑そうにされた。

「幼馴染だしね」
「いいね、仲良しで羨ましい」

 筆まめでもなければ社交性にも欠けていた子供時代、転校に伴って友達は全部変わってしまった。今更それを悲しいとは思わないけど、幼馴染の話をする人を見ると、せっかくの縁だったんだから大事にすれば良かった、と少しだけ後悔がよぎる。ただそれだけの懐古だったが、ヒビキがハッと顔色を変えて、その表情を見てそういや俺天涯孤独と思われてるんだった、と気付いた。あーっと、どうフォローすればいいんだ?

「あのね、僕、リョウくんの事友達だと思ってるよ」
「ありがとう。俺もだよ。でも、あんま気にしないで欲しい。羨ましいと言っても、そう深く考えての発言じゃなかったんだ」
「ん。気にしてないならいいんだ。でも、ずっと友達だから」

 自分の迂闊さを内心後悔しながら「大丈夫だ」と笑うと、この話題は早々に終らせてくれた。
 気遣ってくれたのに悪いけど、 ずっと友達だなんて言葉、俺は信じていない。人は変わっていくものだからだ。
 例えば学校に居る間は、クラスが違っても毎日会える。けれど社会人になれば、学校の付き合いに変わって会社の付き合いが始まる。仕事を頑張れば頑張る程、学生の頃の友達とは距離が開いてしまう事もある。そして成長して性格や考え方が変われば、友人でいるのが辛くなる事もある。それでも続いていく関係はあるけど、切れてしまう関係があるのも確かだ。つまり、ありきたりだけど、先の事はわからないって話だ。
 そういうのを差し置いても、俺はいつか元の世界に帰りたいと思っている。ヒビキの優しさは行き場を失うだろう。

 申し訳なくって、機会があれば居なくなる事を告げようか、と考えた。いきなりそんな話したら引かれるだろうから、まあ、帰れる目処がたったらとか、機を見てって感じにはなるだろうけど。
 何にせよ、ヒビキの幼い純粋さは眩しく、真っ直ぐさが好ましかった。無理だとわかっているけど、このまま真っ直ぐ育ってほしいと思ってしまう。
 大人になってしみじみ思うけど、子供の純粋さってのは希望だよな。疲れた時に見かけると、綺麗なものもあるんだな、と、なんて言うか、感慨深く感じる。二度と自分は持てないから、余計にそう感じるのだろう。……じじ臭くなったな、俺。

 しんみりした空気にならないよう軽い雑談に始終し、ポケモン雑学を話したり、普通のクワガタみつけて木から蹴り落としたらホーホーまで落ちてきて大慌てで戦闘に入ったり、ヒビキが連れ歩くポケモンをポッポに変えたら大喜びで虫を食べ始めてちょいグロテスクな光景を見てしまって無言になったりしつつも順調進んだ。
 そんなこんなで戦闘を何度かこなした後。

「ぴぃ……」
「!」
「あ……」

 疲れたのかピチューが、立ち止まった俺の足にそっと寄りかかってきたのだ。言葉もなく喜んでいると、ヒビキが抑えた声で「よかったね」と笑った。本当に嬉しいよ、今すぐピチューにキスしてやりたいぐらいだ!
 でもいきなりそんなアグレッシヴな事したら逃げられてしまいそうなので、怯えさせないようゆっくりしゃがみ、ゆっくり手を伸ばした。そっと撫でると少し緊張した様子だったけど、撫で続ける内に気持ちよさそうな顔をしてくれたので、抱き上げて……嫌がられた。残念だが抱き上げるのを許すほどには信用を勝ち得ていないらしい。いや、十分進歩したんだから高望みってもんか。





* * * * *




ズッ友だョ(はぁと)

1 ウバメの森へ

 ピチューを連れてウバメの森を散策がてらコガネに向かうと決めたけれど、土日は交換を中止してヒワダに留まる事にした。土日はどこへ行っても人が多いから、懐いてるコウキの元に居た方が心強いだろう。メリープについては、心配は殆どしてない。誰にでも人懐っこく着いてっちゃうし、俺よりコトネにくっついてたりするフレンドリーさだ。コウキにも頬ずりしていたらしいし、多少環境が変わったくらいはへでもなさそうだ。
 俺はウバメの森を越える準備をしたかったし、コウキは洞窟をメリープがいない内に越えたいって事で、二日間の自由時間となった。

 土曜日、俺はメリープをチエに預けて、繋がりの洞窟でレベル上げをした。んで、日曜日はヒワダで開催されていた小規模なバトル大会で賞金稼ぎをした。
 明けて月曜。朝一番でコウキと交換をして、俺達3人は新人トレーナーの集団と共にヒワダの西へ向かった。ヒワダのジムバッジは後回しだ、相性が良くないからウバメの森を突破ついでにレベルを上げて、レベルでゴリ押ししようと思っている。

 朝早いためにピチューとイーブイはボールの中でまだおねむなので、久しぶりにチコリータと一緒に歩く。今日の目的はウバメの森を抜ける事。ウバメの森はトレーナーが待ち伏せしていないから、散策と野生のポケモンとの戦闘を通してピチューとゆっくり交流を図るつもりだ。
 ウバメの森では何故待ち伏せがないかってーと、森を神聖視してトレーナー同士のバトルを憚る風潮があるのだと言う。別に禁止されているわけじゃないらしい。この世界の人々は信心深いのだろうか?
 なんにせよ俺たちは今、森に向かう途中だ。

「ぜえ、ぜえ、ぜえ、ぜえ……」
「リョウくん、大丈夫?」
「ひゅー、ぜ、げほっごほっ」
「喋らなくていいから、落ち着いて」
「水いる?」
「だっせーの」
「年上の癖に体力ねえなー」
「俺知ってるぜ、こいつの体ガイコツみたいできもちわりーの!」

 骸骨発言したやつがチコリータに睨まれ、年上のトレーナーに窘められているのを他人事のように聞きながら(事実だから気にしてない)、俺はうすうす感じていた事が事実だったと実感していた。すなわち、俺体力なさすぎ。
 子供の頃の自分の体型なんて覚えてないから気のせいかと思っていたのだが、肋骨がくっきりばっちり浮き上がる程に肉付きが悪く、ちょっと水浸しになったら風邪だ。今も元気印の新人トレーナーと朝っぱらから鬼ごっこになり、1人だけ喘鳴を漏らすほど消耗してるってんだから決定的だろう。やだ、俺の肺弱すぎ。
 コガネまでヒビキとコトネと一緒だっつーのに、足引っ張らないか凄く心配になってきた。

 しっかし、俺が記憶している限り、子供の頃こんな風になったのは部活が厳しかった時くらいだ。鬼ごっこも野球もサッカーもバスケも、アウトドアな遊び大好きだった。マウンテンバイクに乗っては市内どころか隣町まで駆け回っていた。その俺がなんと情けない。つうか、コレ本当に俺の体? 大人になってからも運動はそれなりにしてたのに、どうしてこんなに体力落ちてるんだ?
 ぐるぐると考えながら息を整え、差し出された水を礼の言葉を言ってから貰う。思いのほか喉が乾いてて、水は沁みいるようだった。それでようやく落ち着くと、またはしゃぎだした一団から遅れて歩き出す。少々年上のトレーナーたちが追いかけっこから抜けて来て、ふたグループに分かれて進む。隣で様子を窺っていてくれたヒビキは少し心配そうな顔をしていた。

「病み上がりなんだよ、無理しないで」
「ああ、ありがとう。ただ一つ言わせて貰えば、俺は自分の体がこんなにひ弱だったと思わなかった」
「自分の限界もわからないなんて、ずいぶんインドアなんだな?」

 そういうわけじゃなかったはずなんだけど……なんて、言い訳にもならない。キャンプボーイの格好をした俺と同じくらいの背の子が送って寄越した、呆れたような言葉に頷くしかなかった。そしてここまでの旅を振り返り、そういえば子供になってから全力で体動かしたの始めてだったと気付いた。
 病院では特に体力測定とかしなかったし、旅に出てからも疲れを感じたら足を緩めて自分のペースでやって来た。走ったり泳いだり人を背負ったりもしたけど、限界には達してなかったと思う。

「しばらく完全インドアだったから、体力落ちてたのかも」
「3日で落ちるもんなの?」
「いや、風邪でなく。旅立つ前の話な」

 病院では出歩き自由になってから毎日のように散歩してたけど、元の世界の子供の頃は毎日のように駆け回ってた事や、大人になってからも仕事上一日中立ちっ放しで店内を動き回っていた事を思えば、散歩なぞ運動の内に入らないだろう。そして、人間はひと月もろくに運動しなければ簡単に体力が落ちる。あー、でも子供に戻った当初からずっとガリのままだから、別に体力落ちてなかったのかもしれない。つーか入院するまでの俺、どうしてたんだろうな。山で意識を取り戻すまでに何があったんだか。体が縮んだとか、そんなファンタジーはいくらポケモンの世界でもありえないと病院で学んでいるけど。ほんとわかんねえ。

「ああ、旅立つ前の塾? 僕も行かされたよ。室内でテストとか、常識やマナーの授業なんて退屈だよなー」
「へー、塾ってそんな事してるんだ」
「君は行かなかったの?」
「うん。田舎だったから、塾なんてなかったよ。学校も隣町までピジョットタクシーだった」
「ええー! いいなあ、毎日快適じゃん」

 キャンプボーイが話してくれる内容に感心しきりのヒビキの隣でしったかぶりして頷きながら、内心では俺もへーを連発していた。常識やマナーを教える塾なんてあんのかあ。社会人向けだとそういうセミナーもあると聞くけど、子供にはまだ必要ないんじゃ……いや、満10歳から旅立てる事を考えれば、必要な知識か。
 つーかヒビキ、ヨシノまで毎日タクシーだったのか。金がかかってかかって仕方ないな。

 塾の話をきっかけに他のトレーナーとも他愛ない事をだべりながらゲートまで歩いた。到着して、俺とヒビキはトレーナーの一団から抜ける。後から来るであろう女子軍団にいるコトネを待つためだ。
 まだ10歳くらいだと言うのに男女差ってのははっきりしていて、男は朝から全力鬼ごっこを始め、女子はきゃっきゃと仲良さそうにおしゃべりしながら、男子って子供っぽいわーみたいな顔してゆったり歩くのを選んでいた。

 ちなみになぜこんな団体で移動してたかと言えば、理由は3つある。
 まず、ウバメの森を通るのには秘伝技の居合い切りが必要な事。秘伝マシンは入手しにくいが、この集団の中じゃヒビキとコトネを筆頭に何人か所持しているから使いまわしもできる。けど手持に居合い切りを覚えられるポケモンが居なければ意味が無いし、秘伝技は一度覚えると忘れさせられないので「養える手持ちが少ない内は覚えさせたくない」って子も居た。ポケモンが技を忘れられるようになるのは8つ目のバッジがある街だ。主戦力にしたくて育てているポケモンに忘れられない技を覚えさせてしまうのは得策ではない。
 現時点では自分のポケモンがどんな技を何レベルで覚えるのかわからない、って子が多い。この世界に攻略本や攻略サイトがないから。
 一応ポケモン毎に攻略本みたいなもん、つうか、育成書とか育て方の参考書みたいなの? は出ているらしいが、今一緒にいる子たちはそんなの持っていなかった。この先もレベルアップする度に4つしか覚えられない技の枠で悩む事になるだろう。その技の枠を忘れられない秘伝技で潰し、選択肢を狭めるのは良くないと判断したのだ。

 2つめの理由は、森の探索に慣れていない子供が多いって事だった。ウバメの森は迷うような複雑さこそないが、湖を大きく迂回する道しかなく、そのためかなり距離がある。加えてそこかしこからポケモンが現れ、種類も多種多様と来ている。1つのタイプ専門など守備範囲の狭いトレーナーは手間取る場所だ。
 最後の理由は、ウバメの森が3日ほど前から夜間立ち入り禁止になっているからだ。公式発表では普段ウバメの森に出ない夜行性のポケモンが出たので、夜間は立ち入り禁止にするとのこと。トレーナー間の噂では、ボスゴドラが出たとかミロカロスが出たとか、いやいや凶暴なギャラドスが湖に住み着いただのリングマが出ただの、セレビィ出たんでヒワダタウンの町長が捕獲しようとしてるだの、どっかの金持ちの家から逃げ出した凶悪で珍しいポケモンを捕獲するため夜間の森でレンジャーが動いてるだの……なんつうか、めちゃくちゃな噂が流れている。こんなイベントなどゲームにはなかったが、そもそも夜の森に入るってのは現実的に考えて危ないだろうし、気にするほどでもないのかもしれない。

 実のところ、こういった諸々は一つの手段でカタがつく。ピジョットバスを使えば、森を通る事なくコガネへ到着できるからだ。でも子供に500円はなかなか高いし、ウバメの森で新しいポケモンを捕まえたい子や、レベル上げをしたい子もいる。
 なので徒党を組んで昼の内にさっさと森を抜けようぜ、と話がまとまった。
 ちなみに例年通りならこんな事しなくて良かった。無理にウバメの森を抜けなくても、コガネに通じる道はキキョウからも伸びているからだ。しかし現在その道は巨大化したウソッキーが塞いでしまっているので、今年はこんな感じになっている。
 それにピジョットバスを使って先に進んだ子の中には、アカネにやられてウバメの森までレベル上げに戻ってきた奴も居ると聞いている。楽するのも考えものだ。

「コトネ遅いなー」
「しゃあんめぇなー。お喋りに夢中になってる女の子の集団はゆっくり歩くのが普通だから」
「ふうん?」

 ヒビキはきょとんと、不思議そうな顔で首を傾げた。



「あのさ、しゃあんめぇなーってどういう意味?」

 軽い衝撃が俺を襲った。え、これって通じないの!?

「しょうがない、って意味。こっちじゃ通じないのかな」
「うんとね、しゃーない、とは言うよ。TVだとしゃーねーべ、とか聞くね」
「ああ、それそれ、そんな感じ。それにしても、方弁だったのか」
「うん。……うん? それ言うなら方言じゃない?」
「そうとも言う。……あれ、方言のこと方弁って言わない?」
「言わないよ」

 俺は二度衝撃を受けた。





* * * * *



リョウは、しゃーねーは通じるのでしゃあんめも通じると思っていました。
私は、方言を方弁と言ってしまう人は案外いると信じています。
前の記事へ 次の記事へ