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2020

話題:おはようございます。

あっという間におわってしまう、2020年。年々、倍速で1年が過ぎていく。歳をとると1年がはやく感じるというのはどうやらほんとうのようだ。

ことしは劇場で映画をわりと観れた。去年から劇場で岩井俊二作品以外も観てみようとおもって、観るようになったらすっかりと魅了されてしまった。劇場で、あの大きなスクリーンで観るべき作品があることを肌で感じた。因みに観たのは、ラストレター、SHIROBAKO、fate HF3章、鬼滅、海辺のエトランゼ、ヴァイオレット・エヴァーガーデン、きみの瞳が問いかけている、ジョゼと虎と魚たち。映画は劇場で観るよりも家で観るほうがおおいけど。

30日、レディースデイで映画を2本観た。そのうちの「きみの瞳が問いかけている」はほんとうによくて、もう一度観たいって家に帰ってからもずっとおもっている。余韻がすごく心地よくて、一度目は物語を把握することに集中してしまうため、細かいところまで観られないし、なによりも純粋に何回も観たくなる。恋愛ものはすきでよく観るけれど、いままで観たなかでもトップに入るすてきさ。感想は長くなるのでまた今度。

アニメの感想を書くアカウントをつくった。趣味の友だちでもできたらいいなとおもったものの、そんなおもいとは裏腹に、アニメ感想アカウントのひとたちは感想を書いて、イイネをもらうことが目的なのがおおく、順位付けやランキング、評論家のように批評をしているのであった。それがわるいこととは言わないけれど、個人的におもってたものとはちがっていた。

祖母が亡くなった。会わない間にも時間は確実にながれていることを知る。あたしの1年と祖母の1年は速度がちがう。もっとはやく会っておけばと後の祭りは後悔だけを胸に沈殿させる。いつだって会えるなんてうそ。ひとはいつか死ぬ、止まってしまった時間はもう動かないし、巻き戻らない。会えるときに会っておく。いつも会えないひとたちに、こんな時代ならなおのこと。

実家が変わったこと。生まれてからずっと住んでいた地元から母たちが引っ越し、地元にはそれ以来訪れていない。地元は特別な場所に変わりないけれど、実家がなくなれば訪れる理由は失われる。結局は実家があるから長年住んでいたから慣れていただけで、あたしはどこにいても慣れてしまえば都になってしまうのかもしれない。

そんなこんなで2020年もおわりへ。ことしもこんなブログを読んでくださりありがとうございました。また来年もよければ読んでくださるとうれしいです。では、みなさん、よいお年をお迎えくださいませ。

あたしはスキを守りたい

ただおもうことを、つらつらと。

話題:ひとりごと

時代とともに増えていくものがある。飽和してしまうのは仕方なく、そのなかで新しさやおもしろさを作り上げてくひとたちをあたしは尊敬している。すなおにすごいと思うし、感謝さえする。すてきな作品に出会えたときのうれしさ、救われるくらい人生の支えになることだってある。アニメ、映画、ドラマ、本、漫画、音楽、これらの存在に何度救われてきたことか、すきなものが増え、恋するくらいにすきになるものができたり、20年以上そうやって寄り添ってきたものだからこそ、消費されていくことがかなしい。

毎クール、かなりの数のアニメやドラマが放送する。あたしの学生時代の倍くらいは地上波で放送しているのではないだろうか。制作会社の大変さを(描いた作品をいくつか見た上で経験はしたことないけれど)知ってからは、毎クールの作品たちにいとおしさが湧いた。すべての作品を見れるわけではないし、好みもあるから見ないという選択をするものもある一方、自分が見たいと思った作品を深く愛すようになった。流行りやひまつぶしにながされて見るのをやめ、自分で選ぶということの大切さ。その作品一つ一つを愛することの尊さ。量より質、人生の一部にしていきたいという意志。あくまでもこれは個人的な話だけれど。

感想を書くひとたちが増えた。うれしいことだし、参考にさせてもらうことも多い一方で、つまらないとか面白くないとか、駄作だのクリエイターさえも傷つける暴言の数々にこころが痛くなる。つまらないと感じる作品もあるでしょう。期待していたものが期待値を越えないことも、受け入れられずに落胆することも。そこには自分の感情や感覚、好みの問題も多少あると思う。現代はなにかしてもらうことを待っているひとが多いのかもしれない。たとえば、感動させてくれないから駄作、感動は与えてもらうものだと疑わない。一度ヒットしたものに期待する気持ちも、期待値が高まるのもわかるし、その重圧からいいものが出来上がることもある一方で比較され酷評されることもある。常にトップを走ってるひとたちはすごい。

見てもらうものであるから評価されるのは仕方なく、つまらないと感じるもの、期待とちがうものもあるけれど、それをただ一言、つまらないや面白くないと言うのは簡単だけれど、ならどこがどんなふうにつまらなくて面白くなかったと説明できて初めて批評と呼ぶんじゃないかなって。

ことばは、自分が思っているよりも簡単にひとを傷つけてしまう。だからこそ扱うときはちゃんと考えていきたいって、他のひとの感想を読みながらそんなことを考える。

プロセスより結果がすべての世の中でマイナーだとか少数派だと言われても、すきなものをすきだと言う勇気をわすれたくない。そして、作品にかける想いやリスペクトは大前提だとあたしは思っている。

スピーディー師走

話題:ひとりごと

12月になってからの日々のスピード感、自分が予測していたよりもはやい。このままではあっという間に年末年始を迎えそう。今年は全体的にスピード感のあった1年だった。大体10月くらいから日々の速度が加速する気がする。誕生日を過ぎたころにはもうクリスマス、年末年始となり1、2月辺りまでぴょんぴょん進んでく。気づいたときには30歳になってそう。特に30歳になることを嫌だとはおもわないけれど、体力の衰えは職業柄つらい。不眠症なのに携帯をついつい見てしまうのそろそろやめないと明日のあたしはしんどくなるとわかっているのに寝る前の携帯ってどうでもいいことでも読んだりしてしまうのなぜだろう。



携帯といえば、最近はわりとがんばってSNSを更新している。趣味の友だちでもできないかなと淡く期待しながらアニメ、ドラマ、映画、本の感想や日々思うこと(もはやポエム)のようなものを書いている。セルフプロデュースなんていったら大げさだけれど、アイコンや文章の感じをどういう系統にしようとかフォローしたりフォローされるにはどうしたらいいのかと試行錯誤している。だんだんと気づいていくのがおなじ趣味でつながっていくとひとつの輪になっていくということ。大体、みんなおなじひとたちをフォローしている傾向がある。けれどなかにはかなり一緒なこともあるというか、あたしのフォロワーをフォローしてるのかわからないけれど、ある女の子と逐一フォローしてる人が一緒なのである監視でもされているのかなとおもうくらい。見られることを前提にしているとはいえ、ちょっとした恐怖。ネットにさえ疲れを感じてしまうのは悩みである。人間関係はリアルだけでなくネットもたいして変わらない時代になってきているのかもしれない。

28

話題:誕生日

28歳になりました。1年に1度のこの日をあたしはずっと待ちわびている。特になにかすることがあるわけでもなく、仕事して帰って家事して録画したの見ておわる毎日となんら変わらない1日なのに特別だと感じてしまうのは、むかしからお金のないわが家流の誕生日だけは祝うスタイルが影響している。いくつになっても根強くあたしのなかで、誕生日は特別な日となっている。家族には先週祝ってもらい、プレゼントをたくさん抱えて帰ってきたあたしを見て彼がおどろいていた。こういうとき姉弟多いといいよね。得したきもちになる。まあ、あげるのも多いから出費も多いけど。結婚してから妹の旦那さんもこの誕生日祝うスタイルに強制参加させられているのはちょっと可哀想、まあ内心どう思っているのかはわからないけれど、あげれば誕生日にみんながちゃんと返すのでマイナスになることはないと思うし。

世間には記念日やらイベントやらいろいろとあるけれど、あたしは誕生日だけを祝うスタイルでいいと思う。記憶力があまりないというか興味ないことをおぼえないというか記念日をおぼえられなくて、あたしと彼には記念日がない。つきあった日さえも互いにおぼえていなくて、なにか区切りがついたときを記念日にしようと言ったりしているくらい、大したことない日になっている。彼はあたし以上に無頓着ゆえ、あたしの誕生日さえ最初の数年おぼえなかった。そういうところが合うのかもしれないけど。

きょうくらいは、誕生日だからとケーキを買って帰るくらいのご褒美を。なにか誕生日プレゼントを自分にもと思ったけれど、意外とほしいものはその都度買っていたりしているからなかったり。高いからと諦めていた香水を買ったけれど、自分的予算は余っている。日ごろ、買うには勇気がいるものがほしくなるまでは保留にしておくことにした。大人になると自分でほしいものをいろいろと買えてしまうからプレゼントとしてほしいものがすぐに思い浮かばなくなるさみしさを感じながらもいくつになっても誕生日は特別でたのしい日であることはこの先も変わらないような気がする。

特になにか変わることもないけれど、28歳のあたしもよろしくお願いいたします。

足りないものでできている

話題:ひとりごと

いろいろと思うことがある日々、身動きとれず生きている。いつからか閉じこめられている。出口を知りながら出られないと思っている。これは甘えで、打算。結婚するということはそのひとのマイナスな部分も含めて受けとめられることだと聞いたことがある。だめなところも含めて、あいしていると。あたしはまだまだ未熟ゆえ、そんなふうにおおらかに受け入れられる度量がない。すべてを信じ、託し、許し、世界をふたりで完結させることができたらいいのに。あたしにはどれも足りない。彼だからあたしは身動きとれなくなるのか、だれといてもあたしはひとりのままなのか、それはよくわからない。

転職をしたいと漠然と思っている。それよりも先に、この部屋を出たほうがいいのだろうかとも考える。あたしに必要なのは働きやすさなのか、安心して帰れる場所なのか。細かな計算をしては挫折する。純粋なきもちだけですきだと言えていた頃がなつかしい。傷つけあうためにことばがあるわけではないのに、あたしたちは傷つけあうためにそれをつかう。かなしいことだ、愛をささやきあうことを忘れたあたしたちにことばは情報で、連絡で、暴力でしかない。時たまに語る、すきなことのはなし。すきなものをたべて、眠る。あたしたちはそんな些細な日常に救われてつなわたりのように生活している、ふたりで、白昼夢のように。
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