あのときに死んでいればよかったのに
と言われた人とどんな顔をして会えばいいのだろうか。
死にかけたことがあって、死なないようにしてくれた人がいた。
だから今生きている。
とてもその人を傷付けてしまって、手紙で別離を告げられた。
私に依存して欲しくなかった。
私がその人に依存したくなかった。
何回こちらから別離を告げてもその人は離れるのを良しとせず、追ってきた。
このままではいけないと思った。
そうして悩みすぎて最悪の方法で傷付けた。
その人はやっと私といてはいけないと気付いた。
私がその人にとって良くない人間だと気付いた。
そうして別れるための儀式的に、あるいは今までの気持ちを吐露するために、手紙をくれた。
人づてに。
相変わらず独りよがりな話ぶりの手紙。
いつまでたっても私たちは結局独りよがりだ。
良いことは書いていないだろうと思った。
わかっていたけれど、読むのが筋だと思った。責任だとも思った。
手が震えた、罵詈雑言が並んでいるだろうから、覚悟をしたかったけれど、いつまでたってもそんな覚悟はできなかった。
だから剥き身のままの心で読んだ。
私があのときに死んでいればよかったという内容、私についての分析、その人自身の今後の身の振り方、等々
私が悪いのだから泣いてはいけないと思った。それは卑怯だ。
だけれども、泣いていた。
死のうかとも思った。
ここ何年もずっと考えていたことだ。
いいきっかけじゃないかと私の中のだれかが囁いた。
けれど、ここで私がなにかアクションを返すのは卑怯だ。
私は自分の責任をとらなければならない。
その人の思いを傷付け、踏みにじったのだから。
あらゆる非難をうけなければならない。そしてあらゆる反撃をしてはいけない。
先に攻撃したのは私なのだから。
けれど、ここでは我がままを言う。
やはり死んでいればよかったと言われるのはキツイ。
全身に力が入らない。
私を生きながらえさせた本人から出た言葉だからこそキツイ。
やっとなんとか生きようとしてきたのだ。
私の未熟な部分が騒ぐ。
ひどいではないか、と。
私の頑張っている部分が騒ぐ。
やっと生きようと頑張っていたのに。
私の諦念の部分が思う。
やっぱり、あのときにちゃんと死んでいたらよかったなあ、と。
私のプライドがいう。
当然の反応だ、これに耐えるのが私の責任だと。
泣きたいけれど、泣いてはいけない。
きっとちゃんと心のどっかで生きたいと思っているから傷付いたのだ。
だから私は大丈夫だ。
そんな言葉を吐かせるまで追い詰めことが申し訳ない。
そうしてその人と会う機会ができた。
数ヶ月後。
きっと私はそれなりに振る舞うだろう。
けれど、よくも悪くも付き合いの長いその人にはバレるだろう。
その人はおそろしく優しいから、私がムリに振る舞っていることに対して責任を感じてしまうのではないか。
それが申し訳ない。
私はその人の顔を見られる気がしない。
死んでほしい人間が目の前で笑うのだ。
その人は私にどんな視線を送ってくるのだろう。
こわい。
自分が招いたことだ。
仕方ない。
こわい。
逃げたい。