title:「冷夏」



 夏になると、進んで人混みへと向かう。
 別に対した用事はない。
 ただ、その寒さを紛らわす為だけに、カバンと自転車の鍵を持って、私は家を出る。

――ガチャン。

 玄関のスタンドにかかっている、三足のスリッパを横目で見て、玄関のドアに鍵をかけた。
 寒い。口をつくのはそんなセリフ。
 じりじりと焼け付くような太陽、そしてその日差しの強さに白く霞む景色に、目が行かないわけでも、汗が滲まないわけでもない。
 ただ、それでも寒い。
 私は額に浮いた汗を、そっと手の甲で押さえて、エレベーターに乗り込んだ。

「……」

 エレベーターが稼働音をたてながら、窓の外の景色を上に飛ばしていく。その間、私はカバンを抱きしめて、下唇を噛み締め、耐える。
 後ろに女がいるから。

「ィ……ン……ッケ、サ……」

 耳ものとの髪が、震える。後ろの女がぴったりと後ろについて、ぽそぽそと何かを言っている。
 歌のような、呪詛のようなそれに、私は夏の間中、ずっと付き合うのだ。
 顔などまともに見たことはない。身なりなど聞かれても分からない。髪が長いか短いかなど、そんなもの、知っていても口には出せない。出したら、何か恐ろしいことが起こりそうで。

 エレベーターが一階に着いた。
 窓越にうっかり後ろを見ないように俯いて、私は足早にその密室を後にすると、駐輪場へ真っ直ぐ行き、愛車に荒っぽく鍵を差し込み、声から逃れるようにペダルを漕いだ。


 今年の夏も、長い。


 その女の人は、夏の間中は私から離れない。
 バス停や学校の教室で、私が一人になると、それまで存在を主張するように斜め前に立っていたのが、気づけば肩が触れ合いそうなほど近くに腰掛け、体を前に倒して顔だけを向け、凝視してくる。
 人が来ると、少し離れて私を凝視する女の人の目は、顔を覗き込んでくる時のそれよりも、じとり、としている。そんな気がする。

 たまに見当たらないと思って、油断したらいけない。
 振り返って、それから視線を戻すと、ぐっと距離を縮めて立っているから。


――パーン、ポーン。


 駅まで来た。
 改札口の雑踏と、随時流れる一定のメロディに、ようやく私は落ち着く。
 と同時に、行き場を失う。
 別に何をする訳でもなかった。外へ出た理由だなんて、ただ一つしかない。

 二人きりの空間に、私の居場所などなかったんだから。







―――つづかないよ!!\(^O^)/