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欠片の花嫁

 双子は殺せ。丙午に生まれし子は殺せ。瞳に色を持つ子は殺せ。
 忌み子は、増やすべからず――。

 生まれ育った里の風習だ。外の国ではもう迷信とされているものまでこの里は恐れ、惰性的に言い伝えに従っている。
 父は里の長だった。
 鎖国状態の里から抜け出してはふらりと帰ってきて、外交の話を持ってくる父も、かつては双子の片割れで、選ばれた方だったらしい。それも相まって里の民には囁かれるのだ。「親宝珠様は誠に風狂なお方だ」と。
 本家の長の呼び方をわざわざ選ぶあたり、民も大概だと思えてしまう――ここまで考えて、私はいつも心が塞いだ。

 忌池(いみ)の水面がぼやけている。
 霧雨はいつの間にかその粒を微かに大きくして、竹林の葉に降り、傘に振り、鼓膜を優しく震わせる。

「嫁に行くのは嫌か」

 湖の辺でしゃがみこみ、ぼんやりと景色を眺めていると、隣でゆったりと徳利を傾けては煽るを繰り返していた父が、そう問いかけてきた。
 横目で顔を見ようとしたが、自分で差した番傘で遮られて表情は伺えない。きっと、いつものたおやかな笑みを浮かべているのだろう。そんな声を反芻して、私はまた水面へと視線を戻した。

「……。貴方は嬉しそうだ」
「良い相手だからな」
「神が荒れ狂っているのを郷の立地のせいとは気付かずに、人を捧げ続けていた一族が……良い相手ですか」

 父からの返答はない。それが気後れの類ではないことを知っているから、余計に湖の果てから目が離せなくなる。父のいつもの微笑み顔が脳裏にちらつく中、話し続けた。

「忌み子には忌み子たる名を与えかの湖に撒く。それが里の習いでは?」
「忌み子などおらぬよ」
「されば何故叔父上は、民に殺されねばならなかったのですか」
「誤りであった」
「……」
「お前の爺様は誤りを正すべく、叔父貴を生かした。壱琉(いちる)よ、俺がお前にその名を与えたのは同じ意味だ。ただ、今の俺が出来るのはそれきりでな」

 すまぬ、と零された声に傘を傾けた。
 父は微笑んでいる。飄々とした色はそこになく、雨に霞みそうなほどの儚さに、それでも私は真っ直ぐ顔を突き合わせる勇気などない。再び傘で視界を遮って、水の境を見下ろした。

「子を好き好んで殺める親などおらぬよ」

 ややあって父はぽつりと呟く。

「お前の婿は見目はみすぼらしいが良い男だ」
「人柱を捧げた男がですか」
「捧げた故の見目だ、許してやれ。親兄弟を見送り続け、それでも荒御霊が鎮まらずに自らの命も捧げんとしたが、俺が少し神に話をして、男と誓約を交わした。これでもう人柱などいらぬわけだ。……嫁になる、お前がな。不憫ではないかと心配しておったぞ」
「……。」

 語気が思いがけず強まり、息が止まった。

「……。申し訳ございませぬ」

 父は、何も言わない。
 傘が弾く雨がうるさく感じるのを、どこかで安心してしまう自分が恥ずかしい。恥ずかしくて、それまで怒涛の如く吐き散らしてしまう思っていた言葉はどれも場違いで見当違いのように感じて、知らず草履に張り付いた草を見つめていた。

 江戸の終わりと明治の境を知らずに、私はその場所へ、嫁に行く。

 夏の始まりの日のことだった。



Finn

話題:創作小説
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