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三成襲撃事件

慶長4年(1599年)閏3月4日

今日は清正、正則達武断派が三成を襲撃した日なのだそうだ


ちなみに昨日は利家が亡くなった日



朝鮮出征の際に、武断派は「自分たちの働きが不当に低く報告された」と三成を恨んでいた。

中でも清正は三成による秀吉への報告が元で謹慎させられてしまう。謹慎中に伏見を大地震が襲った時、謹慎の身でありながら真っ先に秀吉の下に駆けつけた清正はそのおかげで謹慎を解かれますが、この件で三成を「一生許してやるものか!」とますます嫌いになってしまうんですね。

秀吉が亡くなってからは、利家がストッパーになっていましたが、3月3日に利家が亡くなるとついに清正たちの恨みが爆発して三成襲撃事件が起きてしまった。

襲撃された三成は家康に助けを求め、これがきっかけで佐和山に蟄居させられてしまう。




まあこれが通説ですよね

でも一説には清正と三成は元々仲が悪いわけではなかった、なんて話もあるそうですから、代表的に名が上がる清正が、本当に三成を嫌っていたかはわからないなぁ…なんて思います。
むしろ清正と小西の方が関係悪いみたいですし…

だから無双での清正と三成の関係、キャラクターズ真書での三成襲撃の小説の解釈もありだな、と思います

まあこの小説がきっかけで私は清三に走るわけですが(´∀`;)

それは置いておいて


歴史って実際に起きたことですけど、残っている史料だけで全てがわかるわけではなくて、史料には書かれない、わからない部分も多い
そういう部分は私達が想像するしかないんですよね
歴史の創作物はそうやって作られていく、と



…なんか書いててよくわからなくなってきたぞ(=ω=;)


ま、史実と創作は全く違うものですけど、逸話から独自に解釈したり、歴史って面白いですよね!!
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