――#6 望まれぬ再会

「なに、アキちゃんの知り合いだったのか?」
 ここにいる皆が皆驚いている。そんな状態で凍結していた場を崩したのは、椎葉とレイの肩に手を置いていた匠だった。
 おじさんは深く息を吐いて片手で顔を覆い、座り直す。
「おじさん?」
 意気消沈した彼の様子に椎葉は声をかけずにいられなかい。返事は得られなかったけれど。
「――匠。扉に鍵をかけてこい」
 暫くそうしていたかと思うと、おじさんは顔も上げずに匠へと命じる。なんだか疲れきった様子だ。
「はい? 鍵? 何でまた」
「今話す」
 手振りでさっさと行けと言われ、怪訝な匠はそれでも言われたことに従い入り口まで戻っていく。匠も大概お人好しだ。いや、彼が尊敬しているからこそだろうか。
「あの……暁さん?」
 今度はレイが恐る恐る口を開く。
 椎葉が知っているのは快活に話してくれるおじさんだ。いつも笑顔を浮かべ、大きなその手で椎葉の頭を撫でてくれる。それしか知らないといってもいい。
 だからこの人は誰なのだろう、そんな錯覚に陥ってしまう。いつも心配される側だったのに、心配する側になってしまう。
「匠に会った以外、何もなかったか?」
 ようやくこちらに目を向けたおじさんはそう尋ねてくる。瞳に宿る和らぎは、椎葉がいつも見慣れたおじさんだ。
「? うん、なかったよ」
「そうか」
 椎葉には問われた意味がわからない。答えたレイと同じように首を傾げた。
「アキちゃーん、閉めたぜー」
 そこへ匠がひょっこり顔を出す。
「何なんだよ急に。知られたくないことでもあんの?」
 おじさんが腰かける机の前備え付けられたふかふかな椅子に、匠は足を組んでどかりと座る。
「匠、私がこれからいうことは他言無用だ」
 匠は眉をひそめ、おじさんを見返した。空気が剣呑になりつつある。
「別に誰にいう気もねーよ。そこまでする徹底ぶり、今必要あんのか?」
「なかったらいっていない」
 不穏な言葉の交わし合い。二人の間に入れないのは椎葉もレイも同じ。
 話題の中心が自分たちだとはいえ、ただ見ているしかできない。
「私がそうまでする理由はただ一つ。この二人が箱庭にいたからだ」
「げ」
 匠は途端に居直り、組んだ足を戻すだけでなく背筋までぴんと伸ばして身を乗り出した。
(『箱庭』?)
 尋ねようにも容易に尋ねられる雰囲気ではない。椎葉は言葉を飲み込んでやりすごした。
「つーことは、間違えて連れてきたってことか? あっちゃー……マジか」
 背中を後ろにもたらせ、匠は天を仰ぐ。
「そりゃ他言できるわけねーわな。どーすんの、オレ、連れてきちまったぜ?」
「起こったことを今更どうこういう気はない。お前に言わなかった私の責任でもあるからな。問題はこれからどうするかだ」
 二人の視線を浴び、その真剣さに椎葉はたじろぐ。後ずさる代わりにレイと繋いでいた手を強く握った。握り返される温かさに僅かながらほっとした。
「――その前に。匠、お前は迎えに行ってこい」
「ですよねー」
 匠はやれやれと腰を上げ、椎葉とレイの頭に手を置いた。
「いきなりでわけわかんねーだろ? んな心配そうにしなくても大丈夫だぜ。アキちゃんが何とかしてくれっからさ」
 同じ高さまで下げてくれた目線に安堵を覚える。誰かの笑顔で改めてこんなにも安心してしまうのだから、知らないうちに緊張していたのだろう。
「じゃ、また後でな。頼んだぜアキちゃん」
「ああ。鍵は閉めていけよ」
「わーかってますってー」
 ひらひらと振られたた手。鍵をかけた音を最後に、匠は部屋から退出していった。

  **

 匠さんが出ていったことで明るさが失せ、途端に気まずい空気が流れた。おちゃらけていそうでその実、この雰囲気にならぬようわざわざ明るく話してくれていたのだと気づく。多少行きすぎた反応もそのためだったのかもしれない。
 レイヤは暁さんに忠告されたことを思い出してしまったせいで、顔を真っ直ぐに見られないでいた。
 約束を破ってしまった。あんなにもいわれていたのに。
(怒られるかな……)
 俯くレイヤの耳まで椅子が引かれる音が聞こえ、びくりと身を強張らせた。近づく気配にますます身を縮こまらせる。
「まったく、あれほど言ったのに」
 ところが、次に聞こえたのはレイヤが予想していたのとは違う、幾分か明るい苦笑混じりの声音だった。
「おじさん、ごめんなさい! 森を抜けようって、私が言い出したの。レイはただ私に付き合ってくれただけだから」
 しぃの弁明を聞いて、沈んでいる場合ではないと思い直す。
「俺が止めれば良かったんだ。ちゃんと止めなかったから、責任は俺にあるよ」
「違うわ。私が強引にレイを誘っちゃったから」
「よせ、二人とも」
 途端に口をつぐむ。
「お互いに罪を被り合うな。私がいったことを守らなかったのは怒るが、お前たちが無事だったことに安心しているんだ。――何事もなくて良かった。匠が連れてきた時は正直肝が冷えたぞ」
 レイヤは匠さんに連れられてここに入った時を思い出す。
 思いがけないにしては異様に驚かれたこと。彼の沈み具合からレイヤたちは歓迎されていないのだと感じ取ってしまったこと。しかしその後かけられた言葉はいつもの暁さんそのもので、今なお態度の違いに戸惑っていること。
「暁さん。俺たち、ここに来ちゃまずかった? 今から戻った方がいい?」
 レイヤは何よりもそれが問題だと思ったのだ。しかし暁さんは首を振った。
「いや、今戻るのは危険だ。ここにいなさい」
 着ている服が会いに来てくれるときと同じ服だから、レイヤは一つの単語と結びつけた。ある種の確信を持って。
「でも……迷惑じゃない? 仕事の邪魔になるよ」
「なに、仕事といっても大したことはしていない。レイヤ、椎葉。今はとりあえずこの部屋から出るな」
「え……っと」
 正直それは困る。
 レイヤの頭に響く声は止まない。その声の主を突き止めるため、暁さん――当初は匠さんいわくのアキちゃんだったが――に許可をもらおうと思っていたのに。
 このままでは見つけることはおろか、探しに行くこともできない。
 けれど口に出すのは憚られた。レイヤのわがままで暁さんをこれ以上困らせるわけにはいかない。
「おじさん、」
「わかった。一歩も外に出ないよ、約束する」
 しぃの言葉に重ねて、レイヤは矢継ぎ早にいった。
 その後ちらりと見たしぃに、いいの、と問いたげな視線を投げかけられてしまい、レイヤは目だけで頷いておく。
 それに、暁さんはいっていた。
(今はとりあえずってことは、後でも行ける可能性はあるよね)
 今が無理なら後でいくらでも探しに行こう。密かにそう決心して。
「ねえ、おじさん。ちょっと聞いてもいい?」
 だからしぃがそういい出した時には、そのことをいわれるのではないかと慌ててしまったのだ。
「ああ、何だ?」
「ちょっ……しぃ、待って」
 割って入ろうとしたレイヤはしぃに押し止められ、ますますパニックに陥ってしまう。
 どうして止めるのだろう。せっかく今はいわないと決めたのに、しぃがいってしまっては元も子もないではないか。
「さっき匠にいってた箱庭ってなに?」
 実際に出てきたのはレイヤが予想もしていなかった内容で、声のことには少しも触れていなかったけれど。
「は……箱庭?」
「おじさんは私たちが箱庭にいたっていってたでしょう。箱庭ってあの森のことなの? 森にあった網が何か、おじさんなら知ってるんでしょう?」
 暁さんを見上げるしぃは必死な様子だった。
 突然どうしたのだろう。
「しぃ? どうしたの」
「ねえ、ちゃんと教えて。おじさんの仕事って何。私たちに森を越えないようにいったのはどうして?」
 レイヤは混乱する。しぃは一体どうしてしまったのか。それはまるで塞き止められていた場所が決壊し、流れ出る水の勢いと良く似ていた。


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