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箱庭の世界―Closed Garden― #2

 ――#2 些細な疑問点

「もう、レイは心配性なんだから」
 レイの小言を聞き流してキッチンへと入った椎葉は、ミトンを付けてオーブンからパイを取り出した。
 表面は見目さくさくとしていて、香ばしい香りがキッチンいっぱいに漂う。焼き加減はちょうど良さそうだ。
 ナイフで一つ小さく切りわけ、軽く冷ましてから毒味とばかりに口の中に放り込む。中身はまだ熱くて涙目になってしまったけれど、好みの味に仕上がっていて満足した。
「うん、上出来。さすが私!」
 木の実を混ぜて作ったカスタードパイ。何を隠そう椎葉の大好物なのだ。
 レイはおじさんとまだ話しているのだろうか。
 椎葉が二人を呼びにいこうとした矢先、レイがキッチンに顔を出した。
「しぃ」
「レイ、ほら見て。美味しく焼けたよ。おじさんも呼んで、お茶にしよう?」
 一人でやって来たレイに声をかけ、椎葉は残りのパイもわけてしまおうとナイフを持つ。さて、何等分にわけようか。
「暁さんは来ないよ。仕事があるからって、戻ったんだ」
「そうなの?」
 椎葉は切りわける手を止めた。レイがおじさんを連れてこなかったのはそのせいだったのか。
(んー、残念。おじさんにも食べてもらいたかったのにな)
 せっかく美味しく焼けたのに。
 けれど仕事なら仕方ない。またの機会にしてもらおう。
「次に来る時はしぃのパイを食べさせてくれっていってた」
 心の中を読まれたようなタイミングのよさでレイがいった。その何気ない一言は嬉しい。
「そっか。じゃあ次はがぜん張り切らないとね」
 なに作ろうかな、と考えていると、苦笑するレイが視界に入った。
「なあに?」
 何か変なことでもいっただろうか。覚えはない。
「ううん、しぃらしいなと思って」
「そう?」
 理由を聞いても首を傾げてしまう。
「お茶は俺が淹れるよ。いつものでいい?」
「うん、お願いね」
 椎葉は改めてナイフを構え直す。二人だけのささやかなお茶会を開くまで、もうすぐだ。

  **

「そういえばしぃ、暁さんに森の向こうに行くなって釘刺されたよ」
 皿のパイが半分ほど減りティーカップの底が見えてくる頃、レイヤはそんな言葉で先ほど暁さんから受けた忠告を切り出した。
 両手でティーカップを持ったまま、しぃは両目を瞬かせる。
「前からいわれてたことだよね? 何でまた突然?」
「そうなんだよね……。今考えてみると何でだろう」
『森の向こうに行ってはならない』
 それは、今よりもっと小さな頃からいい聞かせられてきた言葉だ。同時に悪戯や危険なこと以外何をしても笑って許してくれた穏和で優しい暁さんが、唯一厳しくなる時だった。
「――もしかして、おじさんが私たちにいえない秘密を隠してるとか」
 冗談めいていうしぃは表情だけでも真剣さを作ろうと必死に頑張っているが、笑っている口許がそれを徒労に終わらせている。
「まさか。単に危険だってこといいたかったんじゃない? ほら昔さ、俺としぃが木に登って落ちかけた時、暁さんにこっぴどく叱られたの覚えてる?」
 数年前のことだ。
 森で囲まれた場所で育ったため、木の実をとったりして昔から木登りの得意な二人だった。しかしある木の実をとろうとしぃが細い枝に足をかけた途端しぃの体重を支えきれなかった枝がぽきりと折れ、危うく取り損ねた木の実同様地面に叩きつけられそうになったのである。
 間一髪、たまたま来ていた暁さんが間に合ってことなきを得たのだが、その後鬼のような形相で怒られてしまった。
「忘れないよ! あの時のおじさん、凄く怖かったんだから」
「しぃってば、ずっと泣いてたもんね」
「もー、思い出させないで」
 それ以来暁さんに面と向かって怒鳴られたことはなかったが、そのたった一回だけでしぃは変なトラウマを植えつけられてしまったのかもしれない。
「あの時危険なことは止めなさいって散々怒られたんだよね。だから今回もきっとそのせいだと思うよ」
 暁さんは根拠のないことで怒らない。危険だったから、また同じことを起こさないよう注意したのだ。
 そこで、レイヤははたと気づく。
(なんか俺、無理矢理こじつけようとしてない?)
 レイヤが考えているのは暁さんが持つ明確な理由ではなく、憶測の域にすぎない。無意識のうちにこうであったらいいと希望を口にしている。
 ――考えすぎだよね。
「おじさんは危ないっていうけど……じゃあ、レイは森の向こうに何があるか知ってるの?」
「え?」
 そのしぃの唐突な問いに、レイヤは続ける言葉がなくなった。
 思考が読まれたかと一瞬焦り、しぃをまじまじと覗き込む。
(――単なる疑問だよね……)
 しぃの表情からは残念ながら何も読み取れない。レイヤは頭を切り替えた。
 危険だ、危ない、暁さんに何度もいわれてきた。では何故危ないのか。何故危険なのか。一度もその理由を聞いたことがないと今更気づく。
「……俺も知らない。暁さんにいわれたから行っちゃ駄目なんだって思ってたけど……」
 どうしてだろう。しぃの疑問が気になる。
 それと同時に、酷く不安になってくる。
「なら、話は簡単」
 急に立ち上がるしぃはにんまりとレイヤの手を引いた。そして森を指したかと思うと、にんまりと宣言したのだ。
「レイ、今から森の向こうまで確認しに行こう!」
 レイヤの開いた口が塞がらない。またしぃは突拍子もないことをいう。
「今から!?」
「ほらっ、行動は急ぐもの。レイも早く立って」
 レイヤは引っ張られる腕に必死で抵抗し、浮かしかけた腰を落ち着けようともがく。
「ええっ、まずいよ! 暁さんにいわれただろ!」
 しぃを見上げて知る。
「いわれたよ。でもね、何もわからないで事実だけ受け入れるのは嫌なの。おじさんとの約束破るのは怖いけど……流されたままで終わりたくないんだもん」
 言葉の真摯さに、抱えている不安に、握り締めていなければ震えたままのその手に。
「レイは、ついてきてくれる?」
 椅子を引いて立ち上がり、レイヤはしぃの手を両手で包み込んでにっこり笑う。
 もう決まっている。レイヤの答えはたった一つだ。
「もちろん。しぃの不安は俺が全部取り除いてあげる。しぃは俺が守るよ」
「ありがとう!」
 照れたのか、しぃははにかんでみせた。


  →#3へ。

箱庭の世界―Closed Garden― #1

 ――#1 しぃとレイ

 昔から落ち着きがないとよく言われる。
 言われなくてもじっとしているのは苦手で、隙を見つけては何処かへ行ってみたり悪戯をしたりするのが好きだ。親という存在は既にいなかったため、その対象になるのはただ一人、血の繋がりのない、弟だった。
「しーい!」
 そんな私が今一番楽しんでいること。それは――
「何処だよ、しぃ! 返事しろー!」
 唯一である家族の彼を、困らせること。
(探してる探してる)
 漏れそうになる声を手で覆うが、こみ上げる笑いは抑えきれない。肩を震わせて、葉の隙間からこっそり覗く。探さなくてもすぐにわかる背丈。今のところ、その背を見失ったことはない。
 肩を落とし、途方に暮れて佇む少年がそこにいた。
「しぃ……何処にいったんだよ」
 先ほどから大声を上げ続けていい加減疲れたのだろう、彼の声に覇気がない。
(さすがに可哀想かな)
 今日のところはここまでにしてあげよう。
 そう思うとすぐさま身を潜めていた木から降り、項垂れる彼の背後へと音をたてずに近づく。その丸くなった背中めがけて勢いよく飛び付いた。
「ばあっ」
「うわぁっ!」
 予想以上に飛び上がられ、思わず強くしがみついてしまった。
「しぃ? もー、驚かさないでよ」
「へへへ〜」
 疲れの滲んだ、しかし安堵も込められた言葉を聞いて地面にすとんと降りる。安心しきって前に回り込めば、仏頂面した少年から非難を浴びてしまった。
「勝手にいなくならないでよ……俺、探したんだからね」
「あれ。なーに、もしかして心配してくれたの? 偉い偉い」
「当たり前だろ! 急に消えちゃって、何かあったかと思ったじゃんか」
 これは、だいぶ心配させてしまったようだ。
「ごめんね、レイ」
 小さい頃からそうしていたように、レイの頭をよしよしと撫でる。触れた手の平に太陽の温もりが残った。
「わかってくれたなら――」
 まだまだ甘い。内心にやりとほくそ笑み、満面の笑顔で応じる。
「次からはちゃんとレイが見つけられるところに隠れてるから」
 今回はどうやら隠れ場所がまずかったようだと反省。
「って、しぃ! 俺のことからかったわけ!?」
 謝罪の意味に気づいたレイが眉尻を下げて訴えてきた。
「失礼ね。第一『勝手に』出ていったわけじゃないわよ。ちゃんと声をかけたのに、本読んでて聞こえてなかったんでしょ」
「う……それは」
「ほら否定できない。勘違いしたのはレイの方。私はなにも悪くないわ」
 読書最中の彼に話しかけても何も届かないと知っていながら実行したのだが、そんなことは口が避けてもいえない。
「でも、それなら何か書き残してくれたって良いじゃん」
「それもそうね」
「しぃー……」
 レイをからかうのは面白い。毎回思った通りの反応を返してくれるからだ。
 けれども拗ねられてばかりではつまらない。
「ほらレイ、帰ろう?」
 沈んでいるレイの手を引いて、『家』のある方へ歩き出した。

  **

 森に囲まれた木の家。一室だけのこじんまりとした家だったが、二人で住む分には困ることはなかった。時折訪れるおじさんが食料を持ってきてくれる他、足りないものは狩りをしたり釣りをしたりして賄っていた。
 二人だけの質素な生活だったけれど、十分満たされていたのだ。
「椎葉、レイヤ」
 手を引かれたまま前を見やる。家の前には見慣れた男性がこちらに向かって手を振っている。
「おじさん!? どうしたの?」
 きっとしぃの顔は輝いているのだろう。レイヤを引いていた手を離し、真っ先に駆け寄ってしまったのだから。
 空いた手に寂しさを感じるも、彼に会える喜びがないわけではない。
「こんにちは、暁さん」
 笑顔でしぃを撫でている男性に近づき、レイヤも挨拶を述べる。
「やあ、レイヤ。二人とも元気そうで何よりだ」
「元気そうって、この前会ったばかりじゃない」
 レイヤは思わず苦笑してしまう。数日前訪れて以来、まだほんの七日しか経っていない。
「そうだったか? いかんな、私も年を取ったか……」
「おじさんはまだ若いよ。ね、レイ?」
「うん」
「ははは、そうか。ありがとうな」
 聞いたところによれば暁さんの年齢は三十後半。正確な年は忘れてしまったが、まだ四十路手前ではなかったはずだ。
「今日はどうしたの? こんなに早く来るなんて、ひょっとして何かあったとか?」
 レイヤはそう切り出す。
 まだ訪問の理由を聞いていない。暁さんは普段なら十日間隔で来るのだが、以前やってきてからまだ七日だ。
「大した用事はないんだ。近くまできたついでに顔を見ていこうと思ってな」
「仕事なの? 大変だね」
「そうでもない。こうして二人に会えたんだからな? 仕事の疲れなんて一気に吹き飛ぶさ」
「おじさんらしい」
 しぃはそんな感想を述べ、ふと思いついたのか暁さんの手をグイと引く。
「おじさん時間ある? さっき木の実でパイを焼いたんだけど良かったら食べていかない?」
 いつの間に。
 レイヤは目を見開く。しぃはさっきまでと言ったが、さっきまでしぃは森にいたのではないか。それをレイヤが探していたのだからそんな時間なかったのではないだろうか。
 レイヤの目線に気づいたのか、しぃはこちらを向いて悪戯っぽく笑う。ある可能性が浮かんだ。
「ねえしぃ、もしかして焼いたまま出てきた?」
「時間は計ってる。問題はないわ」
「危ないよ! 火事にでもなったらどうするの」
「レイがいたから大丈夫だったでしょ? そろそろ焼けた頃かな?」
「しぃってば!」
 しぃはるんるん気分で家の中へと入ってしまう。
「相変わらず椎葉には手を焼いてるようだな」
 片手で顔を押さえるレイヤの耳に、暁さんの苦笑いが聞こえた。
「歓迎はありがたいんだけどな、やらなきゃならないことがあるんだ。悪いが後で椎葉に謝っておいてくれないか?」
 そういえば暁さんは仕事のついでに寄ったといっていたのだ。ここにいられる時間も限られているのだろう。
「いいよ。まだ仕事?」
「ああ、合間にこっちに来たんだ。今度来る時は美味しいパイを焼いておいてくれともいっといてくれ」
「わかった。期待しててよ、きっとしぃも張り切る」
「楽しみにしてるぞ。――ああ、いい忘れるところだった」
 踵を返しかけ、中途半端な姿勢で暁さんは振り返る。その顔にいつものような笑みはなく、厳しい表情を必死で作ろうとしているぎこちなさがあった。
「レイヤも椎葉も、森の向こう側まで行っていないだろうな?」
 それは、幾度となくいい聞かせられたこと。ここに暮らす上で必ず守らなければならないこと。
「うん。俺もしぃも行ってないよ」
 レイヤは神妙に頷いた。
「そうか、ならいいんだ」
 暁さんの雰囲気が和らぐ。先程まで纏われていた、刃に似た空気は跡形もなく消えていて。
「また来る。元気でな」
「暁さんも。無理はしないで」
 レイヤは手を振り、歩いていく彼の後ろ姿を見送った。


  →#2へ。

箱庭の世界―Closed Garden― #0

 ――#0 囲われた場所

 世界を認識する必要はなかった。
 何故なら目に見えていたものが全てで、それが世界と呼べるものだったから。
 平和で穏やか。
 木の葉から落ちる滴も、空を覆う一面の雲も、初めからずっとそこにあるものだった。これからもそうであると、疑いもせず思っていた。
 訪れる変化が好きだった。色とりどりの華やかさが季節の移り変わりを教えてくれたから。
 けれどどうしても誤魔化せない感情があった。止めどなく溢れる涙だけでは表せず、それでもそうすることでしか表せなかった。他にどうすることもできなかったから。
「泣いてるの?」
 唐突な声に、膝へと埋めていた顔を上げる。が、同時に叫び声も上げてしまった。
 驚いたのはその容姿だ。何かに例えるのは難しいかった。敢えていうなら半透明の人間が妥当だろう。とにかく一人、そこにいた。
「一人なの? ……寂しいの?」
 言い当てられてぎくりと強ばる。
「ボクが傍にいてあげる。そうしたらもう、寂しくないよ」
 微笑む。天使のようだと――いや、天使だと思った。
「……ねえ。名前、は?」
 尋ねると、
「――しいは」
 彼女はそう名乗った。

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