――#1 しぃとレイ
昔から落ち着きがないとよく言われる。
言われなくてもじっとしているのは苦手で、隙を見つけては何処かへ行ってみたり悪戯をしたりするのが好きだ。親という存在は既にいなかったため、その対象になるのはただ一人、血の繋がりのない、弟だった。
「しーい!」
そんな私が今一番楽しんでいること。それは――
「何処だよ、しぃ! 返事しろー!」
唯一である家族の彼を、困らせること。
(探してる探してる)
漏れそうになる声を手で覆うが、こみ上げる笑いは抑えきれない。肩を震わせて、葉の隙間からこっそり覗く。探さなくてもすぐにわかる背丈。今のところ、その背を見失ったことはない。
肩を落とし、途方に暮れて佇む少年がそこにいた。
「しぃ……何処にいったんだよ」
先ほどから大声を上げ続けていい加減疲れたのだろう、彼の声に覇気がない。
(さすがに可哀想かな)
今日のところはここまでにしてあげよう。
そう思うとすぐさま身を潜めていた木から降り、項垂れる彼の背後へと音をたてずに近づく。その丸くなった背中めがけて勢いよく飛び付いた。
「ばあっ」
「うわぁっ!」
予想以上に飛び上がられ、思わず強くしがみついてしまった。
「しぃ? もー、驚かさないでよ」
「へへへ〜」
疲れの滲んだ、しかし安堵も込められた言葉を聞いて地面にすとんと降りる。安心しきって前に回り込めば、仏頂面した少年から非難を浴びてしまった。
「勝手にいなくならないでよ……俺、探したんだからね」
「あれ。なーに、もしかして心配してくれたの? 偉い偉い」
「当たり前だろ! 急に消えちゃって、何かあったかと思ったじゃんか」
これは、だいぶ心配させてしまったようだ。
「ごめんね、レイ」
小さい頃からそうしていたように、レイの頭をよしよしと撫でる。触れた手の平に太陽の温もりが残った。
「わかってくれたなら――」
まだまだ甘い。内心にやりとほくそ笑み、満面の笑顔で応じる。
「次からはちゃんとレイが見つけられるところに隠れてるから」
今回はどうやら隠れ場所がまずかったようだと反省。
「って、しぃ! 俺のことからかったわけ!?」
謝罪の意味に気づいたレイが眉尻を下げて訴えてきた。
「失礼ね。第一『勝手に』出ていったわけじゃないわよ。ちゃんと声をかけたのに、本読んでて聞こえてなかったんでしょ」
「う……それは」
「ほら否定できない。勘違いしたのはレイの方。私はなにも悪くないわ」
読書最中の彼に話しかけても何も届かないと知っていながら実行したのだが、そんなことは口が避けてもいえない。
「でも、それなら何か書き残してくれたって良いじゃん」
「それもそうね」
「しぃー……」
レイをからかうのは面白い。毎回思った通りの反応を返してくれるからだ。
けれども拗ねられてばかりではつまらない。
「ほらレイ、帰ろう?」
沈んでいるレイの手を引いて、『家』のある方へ歩き出した。
**
森に囲まれた木の家。一室だけのこじんまりとした家だったが、二人で住む分には困ることはなかった。時折訪れるおじさんが食料を持ってきてくれる他、足りないものは狩りをしたり釣りをしたりして賄っていた。
二人だけの質素な生活だったけれど、十分満たされていたのだ。
「椎葉、レイヤ」
手を引かれたまま前を見やる。家の前には見慣れた男性がこちらに向かって手を振っている。
「おじさん!? どうしたの?」
きっとしぃの顔は輝いているのだろう。レイヤを引いていた手を離し、真っ先に駆け寄ってしまったのだから。
空いた手に寂しさを感じるも、彼に会える喜びがないわけではない。
「こんにちは、暁さん」
笑顔でしぃを撫でている男性に近づき、レイヤも挨拶を述べる。
「やあ、レイヤ。二人とも元気そうで何よりだ」
「元気そうって、この前会ったばかりじゃない」
レイヤは思わず苦笑してしまう。数日前訪れて以来、まだほんの七日しか経っていない。
「そうだったか? いかんな、私も年を取ったか……」
「おじさんはまだ若いよ。ね、レイ?」
「うん」
「ははは、そうか。ありがとうな」
聞いたところによれば暁さんの年齢は三十後半。正確な年は忘れてしまったが、まだ四十路手前ではなかったはずだ。
「今日はどうしたの? こんなに早く来るなんて、ひょっとして何かあったとか?」
レイヤはそう切り出す。
まだ訪問の理由を聞いていない。暁さんは普段なら十日間隔で来るのだが、以前やってきてからまだ七日だ。
「大した用事はないんだ。近くまできたついでに顔を見ていこうと思ってな」
「仕事なの? 大変だね」
「そうでもない。こうして二人に会えたんだからな? 仕事の疲れなんて一気に吹き飛ぶさ」
「おじさんらしい」
しぃはそんな感想を述べ、ふと思いついたのか暁さんの手をグイと引く。
「おじさん時間ある? さっき木の実でパイを焼いたんだけど良かったら食べていかない?」
いつの間に。
レイヤは目を見開く。しぃはさっきまでと言ったが、さっきまでしぃは森にいたのではないか。それをレイヤが探していたのだからそんな時間なかったのではないだろうか。
レイヤの目線に気づいたのか、しぃはこちらを向いて悪戯っぽく笑う。ある可能性が浮かんだ。
「ねえしぃ、もしかして焼いたまま出てきた?」
「時間は計ってる。問題はないわ」
「危ないよ! 火事にでもなったらどうするの」
「レイがいたから大丈夫だったでしょ? そろそろ焼けた頃かな?」
「しぃってば!」
しぃはるんるん気分で家の中へと入ってしまう。
「相変わらず椎葉には手を焼いてるようだな」
片手で顔を押さえるレイヤの耳に、暁さんの苦笑いが聞こえた。
「歓迎はありがたいんだけどな、やらなきゃならないことがあるんだ。悪いが後で椎葉に謝っておいてくれないか?」
そういえば暁さんは仕事のついでに寄ったといっていたのだ。ここにいられる時間も限られているのだろう。
「いいよ。まだ仕事?」
「ああ、合間にこっちに来たんだ。今度来る時は美味しいパイを焼いておいてくれともいっといてくれ」
「わかった。期待しててよ、きっとしぃも張り切る」
「楽しみにしてるぞ。――ああ、いい忘れるところだった」
踵を返しかけ、中途半端な姿勢で暁さんは振り返る。その顔にいつものような笑みはなく、厳しい表情を必死で作ろうとしているぎこちなさがあった。
「レイヤも椎葉も、森の向こう側まで行っていないだろうな?」
それは、幾度となくいい聞かせられたこと。ここに暮らす上で必ず守らなければならないこと。
「うん。俺もしぃも行ってないよ」
レイヤは神妙に頷いた。
「そうか、ならいいんだ」
暁さんの雰囲気が和らぐ。先程まで纏われていた、刃に似た空気は跡形もなく消えていて。
「また来る。元気でな」
「暁さんも。無理はしないで」
レイヤは手を振り、歩いていく彼の後ろ姿を見送った。
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