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箱庭の世界―Closed Garden― #8

 ――#8 氷の少年

 匠が戻ってから次にやってきたのは予測もしなかった轟音。耳に響き部屋を震わせるその大きさに、椎葉は大きな猛獣でも突進してきたのではないかと思ってしまった。
 しかし煙も晴れぬ間に姿を現したのは飾り気も何もない白い服。驚いたのは服装よりもその容姿だ。彼は椎葉よりもレイよりも少し背の高い、しかし匠までは及ばない一人の少年だった。
(今の、この子が?)
 腕は枯れ木みたいに細く、それでも貧弱に見えないのは無駄なくついている筋肉のせいか。肌は雪を思わせるほど白い。
 何というか。
(綺麗)
 男の子にこの表現を使うのは相手に嫌がられそうであるが、椎葉はあえてそんな感想を抱いた。他の、といわれてもそれ以外に思いつかない。
 触れれば容易く壊れてしまう薄氷のよう。
 開いた彼の口からは感情のこもらない言葉が流れ出てきた。
「タク、そいつらは誰だ」
(やっぱり綺麗。澄んだ水みたい)
 ここにつれてこられる前、椎葉は手を入れたあの時の温度を思い出す。
 彼の声は冷たいけれど心地良い。いつまでも聞いていたくなった。
「お前が知る必要はねえ。アキちゃん探すなら下行きな、ここにはいないっていったろ」
「聞いた。けどこちらが先だ。後ろにいるそいつ、俺と同じ匂いがする」
 その必要はないと思いながらも椎葉は指差された先を追う。
「え、俺?」
「おまえ、何者だ」
「何者っていわれても……」
 椎葉はいい澱むレイの前へと出、レイを睨み付ける彼の双眸を真正面から受け止めた。
「レイはレイよ。何者でもないわ。少なくとも、初対面のあなたに失礼なことを言われる謂われなんてないもの。そもそも、あなたこそ何者なのよ。名前くらい名乗ったらどう? それとも礼儀も知らないの?」
「し、しぃ、それは言い過ぎじゃあ……」
 一気にいってやると、慌てたレイが後ろから肩を突っついた。
「言い過ぎなんかじゃないわ。私は当たり前のことを言ったまで。大体部屋の扉を壊して入ってくるなんて、非常識にもほどがあるわよ。そう思わない? 棚だって壊れちゃったし、直さないと」
「――っはっはっは! おいおい天然か? おっもしれーなー、椎葉は! まー、ほどほどにしてくれるとこっちも助かる。無闇に喧嘩売るなよ、あっちは挑発されてると思ってるぞ」
 大笑いがしたと思えば、浮かんだ涙を指で拭う匠がそこにいた。
「ちょっと。それ酷いわ、匠」
「悪い。あまりにも可愛くてな。おまえら良く似てるよ。姉弟みてえ」
「『きょうだい』って……しぃと俺? そんなに似てる?」
「ああ」
 客観的に眺めたらこの部屋の惨状は凄まじいことになっているであろうにも関わらず、匠を中心に和やかな雰囲気が生まれた。そこへ、空気を凍結させるような、絶対零度に近い一言が投げ掛けられる。
「変な女。うるさいし」
 和やかさに椎葉が頬を緩めるとほぼ同時、ぼそりと呟かれたのが聞こえた。
 椎葉は彼をき、と睨み付ける。
「しぃ、危な――!」
 レイの焦りが聞こえたが、構わず彼の元につかつかと歩み寄る。
「何だよ」
 怪訝に問う彼を見上げ、椎葉は両手を伸ばした。

  **

 匠さんが作り出した空気に浸ってしまったおかげで、気づくのが一瞬遅れてしまった。
 恐れもせず近づいていくしぃは、何をしようとしているのだろう。
 レイヤが咄嗟に上げた制止の声はしかし中途半端に切れていた。
「い゛っ!」
「どの口がそんなこと言うの? 人のこと変って言ってるけど、あなただって十分変なのよ。そのことわかってる?」
 理由は、開いた口が塞がらなくなったから。繰り広げられている光景に、レイヤは呆気にとられてしまった。
 しぃは、手を伸ばしたかと思えば彼の頬をつねり上げたのだ。あれは地味に痛い。
 それよりも彼がちゃんと人語を発せているのが凄い。なんとかして人の言葉にしたのだろう。レイヤは一種の感動を覚えた。
「てっめ、放せ! この、暴力女!」
 しぃに頬を掴まれ、哀れにも標的となった彼は必死になってもがいている。両手でしぃを引き剥がそうとしているのだが、どこにどんな力を入れているのかしぃの指はびくともしていない。
 木登りで鍛えられているだけはある。
「い、や。謝ったら放してあげてもいいけど」
「誰がっ」
 彼の頬をあっちこっちに引っ張っているのは、もしかしたら攻撃を避けるためなのだろう。しかし……痛そうだ。
「ついでにその尊大な態度も直したらどう? なによ、無理して大人ぶった喋り方して。まだ子どものくせに」
「んなの、てめえだって同じだろ。いいからとっとと放せ!」
「だから謝ったらって言ってるじゃない。人の話、ちゃんと聞きなさいよね」
 見ているだけで彼が哀れに思えてきた。
「あーあー。口調バレてるぞ、氷優」
「黙れタク、この女どうにかしろ」
「自分で何とかしたらどうだ?」
「できないから頼んでる!」
 匠さんの苦笑にも反応するとは、随分と地獄耳だ。
「しぃ、そろそろ止めてあげたら? 痛がってるから、ね?」
 もういい頃だろう。見かねたレイヤは助け船を出してやった。
「わかったわ、よ」
 最後の『よ』でしぃは彼の頬を思いきり横に引き延ばして放した。
「い゛って! 少しは手加減しろよ馬鹿力女」
 赤くなった頬が目立つ。両手で押さえながら抗議してくる彼が、睨み付けてはいるが若干涙目なのは気のせいではないだろう。
「まだ言う気? もう一回引っ張ってあげようか?」
「丁重に遠慮する。おまえあっち行ってろよ! もう、俺に近寄るな!」
「あなたに言われなくてもね。頼まれたって近づかないわ!」
 売り言葉に買い言葉。本当に初対面かと疑いたくなるくらい、互いの嫌いようが凄まじい。
 会えば喧嘩が絶えない仲とは、まさにこれを言うのだろう。
(でも、顔を合わせる度っていうのは嫌だな……)
 考えるだけでレイヤの神経が持たなくなりそうだ。
「で、氷優。今回は何やらかした? アキちゃんも暇じゃないんだからあまり呼び出してくれるなよ」
 匠さんが近づけば苦々しく舌打ちをし、あからさまに顔を背けた。
「氷優」
 ごまかしは許さない。鋭い一言には逃がさない響きが含まれていた。
「あいつらが、勝手に変なものをつけようとしてきたから逃げてきたんだよ」
「変なもの?」
「俺にも良くわからない。他の奴らにも使おうとしてて、何か嫌な感じがした」
 そうして彼、氷優は自身の腕を抱え込んだ。
「先に手を出してきたのはあっちだ。だからあいつらを動けなくした。……正当防衛だろう? タク」
「正当か?」
「これが正当でないなら他の何を言う。自分の都合だけで俺たちを縛り付けようとしたんだから、抵抗して当然だろう」
 言い分としては間違っていない。それどころか氷優の意見が正しいと思える。
「縛り付けるって、何をされたの?」
 レイヤが問うと、氷優はしかめ面で吐き捨てた。
「名誉のために言っておくが俺は未遂だ。……何人かは助けられなかったけどな。あいつらは、俺らを閉じ込めようとしたんだよ。ここの地下に、永久にさ」
「助ける……?」
 言葉が浮かぶ。
 ――タスケテ
 幻聴ではない。水の波紋に残る微かな余韻のように、それはレイヤの心を震わせた。

 →#9へ。


箱庭の世界―Closed Garden― #7

 ――#7 招かれざる訪問客

 椎葉ははっとして口を閉ざした。
 いってから後悔してももう遅い。止めようと思っていたのに、口を開いたら出てきてしまっていた。椎葉の意志を嘲笑うかのように止まらなかった。
 説明をしてほしい。現状も何もわからない状態が不安でたまらない。ただ知りたい、それだけだ。
 何故、どうして。疑問だけが浮かび、椎葉の心を締め付ける。今ここにいて、こうして話している理由すらわからないのに。
 一言もいわないおじさんが怖い。笑顔も消え、ただ見られているだけで後ずさりたくなった。
(やっぱり、いわない方が良かったかもしれない)
 こんなふうに困らせるつもりはなかった。迷惑をかけている自信はある。一瞬でも欲に負けてしまった自分が今更ながら悔やまれた。
「どうしたものかな……」
 やがておじさんが口を開く。頭をがしがしと掻き、椎葉に困った笑みを向けてきた。
「隠すつもりはなかった。ただ、いえば余計お前たちの不安を煽ると思って教えていなかっただけだ」
「やっぱり、あの網の中が箱庭なのね?」
「ああ。箱庭というのはあの森につけられた単なる名称だ」
 それにしても変な話だ。森に箱庭と名付けるなんて、まるで誰かの所有物ではないか。
(あの森が庭だったってことかしら。でも、庭の中に家も川もあるって変なの)
 椎葉が知っている庭とは家の前にある芝生の敷き詰められた小さな囲いを指し、広くても眺め渡せる範囲にあるものだ。そこで遊んだり植物を育てたり、そういう場所だと思っていた。
(でも、広い庭だってあるよね。じゃあ、おかしくはないのかな……?)
 おじさんはあの森自体が箱庭だという。ならばその通りなのだろう。
 考えてみれば椎葉たちはよく遊んでいるし、芝生はなくても木はある。木の実を採りに行くのは日常茶飯事だ。
 行き慣れた場所だから迷うこともない。見渡せなくても戻れるから問題はないだろう。
(だよね?)
 少々強引なこじつけではあったが、そういうものだと思うことにした。
「でも箱庭なんて、おかしな名前! ねえ、レイもそう思わない?」
「え? あ、うん。そうだよね」
 考えに耽っていたのかレイの反応が遅い。答えは返ってきたものの、どこか上の空だ。
 おじさんにここから出てはいけないといわれたし、きっと先程の声が気になっているのだろう。早く探しに行けたらいいのに。
「おじさんが考えたの?」
「……いや、私じゃない。誰かがそういっていただけだ」
 随分歯切れの悪いものいいをする。では誰が考えたのだろう。
「不思議な名前をつける人もいるのね」
 物思いに沈んでいるのか二人からの返答はなかった。
 リリリリリ……
 突如響いた機械音に、おじさんがいち早く反応する。机のところまで戻ると四角いものを取り上げて耳に当てる。
「私だ」
 誰と話しているのだろう。椎葉の耳に微かな音が聞こえるだけで、内容はまるでわからない。
「ああ、そうだ。――なに? それは本当か?」
 しかしみるみるうちにおじさんの表情が険しくなっていき、何か良くないことが起きているのだとは予測がついた。
「被害は? ――わかった。私もすぐに向かう。――了解した」
 そういい終えると、持っていた四角いものをすぐに下へと置き元通りにした。
「椎葉、レイヤ」
 おじさんは椅子の背にかけられていた白い上着を羽織り、袖を通しながら話しかけてきた。
「悪い、急用が入った。匠が戻ってきたら下へ出掛けていると伝えてくれないか」
「うん。わかったわ」
 答える椎葉を眺め、急ぎ足で部屋を横切っていく。棚で姿が見えなくなる直前におじさんは振り返った。
「何度もいうが、この部屋からは出るんじゃないぞ。守れるな?」
「大丈夫、迷惑かけたりしないわ」
「――行ってくる」
 少しだけ目を細めていい聞かされ、おじさんの後ろ姿が部屋の外へと消える。匠の時と同じ、最後は扉の閉まる音が聞こえた。

  **

 タスケテ
 初めはその一言だけだった。精一杯の声量で懇願する、その声だけが聞こえてきた。
 ドウシテ
 いつからだろう。その声に、微かな疑問のような憎悪が加わったのは。
 ドウシテ……
 がんがん響く頭を抱え、侵食される意識と薄れていく現実の音に恐怖を覚えた。少しでも気を抜けば根こそぎ奪われそうになる。レイヤはそれを必死に繋ぎ止めていた。
 やめて。やめて。これ以上呼ばないで。俺を消さないで。
 ――ユルサナイ。オマエダケハ、ケッシテ……
「レイ? おーい、起きてるー?」
「――しぃ」
 澱んだ声を割ってきたのは懐かしい香り。目の前で振られる手に、レイヤはようやく我に返った。引き込もうとしていた気配が遠ざかる。
 しぃが覗き込んでいたことにも気づいていなかった。
 汗ばんだ手を握り込む。引かれたままでは駄目だ。抗わなければいつか負ける。あの声にはそんな執念深さを感じた。
「ねえちょっと、大丈夫? 顔真っ青だよ」
「っえ、ちょっ、わっ」
 両手で頬を挟み込まれ、近い距離に恥ずかしさを感じながらもその温かさに安堵する。レイヤは目を閉じ、暫し温もりに浸った。
「さっきいってた声?」
「うん……」
 染み渡る。しぃの声に満たされていくのがわかる。温かく優しい、いつも耳にするしぃの声だ。
「大丈夫?」
 こつんと当たる額。
「――うん」
 レイヤの口元に自然と笑みが浮かんできた。
 覆い隠されていた現実が戻ってくる。自分は彼女の隣にいるべき存在なのだと自負してしまう。
(違うな。俺が必要なんだ)
 しぃがいなければ、きっと簡単に負けていた。誰かじゃない。しぃがいることがこんなにも心強い。
「うん、大丈夫。ありがとう、しぃ」
「どういたしまして」
 レイヤが礼を述べると、離れたしぃは満面の笑みを向けてきた。
「あれ、暁さんは?」
 やっと周りを見る余裕が出てくる。ところが、確かに先程までここにいた暁さんの姿が何処にもない。
 置かれている棚のせいかこの部屋はあまり広くない。しかし一人いなくなったそれだけでも、がらんとしたように思えた。
(匠さんがいなくなった時もそうだったな……静かだ)
「話してて、用事ができたっていって行っちゃったわ。レイ、それも気づいてなかったの?」
 レイヤは答える代わりに俯く。
 二枚の絵のように切り替わっていた場面。その間が全くといっていいほどない。覚えていないではなく、ないのだ。
 ぽんぽんと頭を軽く叩かれる。
「おじさんがここから出ないようにっていってた。二人ともすぐ戻ってくるよ。ね? 中を見て回れるか、おじさんが戻ってきた時に聞いてみよう?」
「うん」
 レイヤが答えると、入り口から扉の開く音がした。
「匠さんかな」
 迷路に似た棚の横から顔を出したのは予想通りの人だった。
「アキちゃーん、いなかっ――あれ、アキちゃんは?」
「いないわ。さっき出てって、下に出掛けてくるって」
「下? そういってたのか?」
 匠さんは眉をひそめる。
「ええ。匠にそう伝えてくれって」
「了解。アキちゃん、他に何かいってたか?」
「ううん。この部屋から出るなだけ……」
「――そっか、ならいいんだ。椎葉、レイヤ、絶対にオレの傍から離れるなよ」
 何故と尋ねる間も与えられず、それを訊こうとしたレイヤの耳に爆発音がした。
「何!?」
 棚の向こうから煙がもうもうと上がる。今なおも破壊されこちらにやってくることが音だけでわかる。
 誰かいる。
 煙幕に映された人影は一つ。
「お前のお探しの人物はここにはいないぜ、氷優」
 その様子を眺めていた匠さんがおもむろにいった。
「なら、何処にいる」
 舞う煙の向こうから現れた人物は何事もなかったかのように問う。そこにいたのは、小柄な少年だった。

  →#8へ。


箱庭の世界―Closed Garden― #6

 ――#6 望まれぬ再会

「なに、アキちゃんの知り合いだったのか?」
 ここにいる皆が皆驚いている。そんな状態で凍結していた場を崩したのは、椎葉とレイの肩に手を置いていた匠だった。
 おじさんは深く息を吐いて片手で顔を覆い、座り直す。
「おじさん?」
 意気消沈した彼の様子に椎葉は声をかけずにいられなかい。返事は得られなかったけれど。
「――匠。扉に鍵をかけてこい」
 暫くそうしていたかと思うと、おじさんは顔も上げずに匠へと命じる。なんだか疲れきった様子だ。
「はい? 鍵? 何でまた」
「今話す」
 手振りでさっさと行けと言われ、怪訝な匠はそれでも言われたことに従い入り口まで戻っていく。匠も大概お人好しだ。いや、彼が尊敬しているからこそだろうか。
「あの……暁さん?」
 今度はレイが恐る恐る口を開く。
 椎葉が知っているのは快活に話してくれるおじさんだ。いつも笑顔を浮かべ、大きなその手で椎葉の頭を撫でてくれる。それしか知らないといってもいい。
 だからこの人は誰なのだろう、そんな錯覚に陥ってしまう。いつも心配される側だったのに、心配する側になってしまう。
「匠に会った以外、何もなかったか?」
 ようやくこちらに目を向けたおじさんはそう尋ねてくる。瞳に宿る和らぎは、椎葉がいつも見慣れたおじさんだ。
「? うん、なかったよ」
「そうか」
 椎葉には問われた意味がわからない。答えたレイと同じように首を傾げた。
「アキちゃーん、閉めたぜー」
 そこへ匠がひょっこり顔を出す。
「何なんだよ急に。知られたくないことでもあんの?」
 おじさんが腰かける机の前備え付けられたふかふかな椅子に、匠は足を組んでどかりと座る。
「匠、私がこれからいうことは他言無用だ」
 匠は眉をひそめ、おじさんを見返した。空気が剣呑になりつつある。
「別に誰にいう気もねーよ。そこまでする徹底ぶり、今必要あんのか?」
「なかったらいっていない」
 不穏な言葉の交わし合い。二人の間に入れないのは椎葉もレイも同じ。
 話題の中心が自分たちだとはいえ、ただ見ているしかできない。
「私がそうまでする理由はただ一つ。この二人が箱庭にいたからだ」
「げ」
 匠は途端に居直り、組んだ足を戻すだけでなく背筋までぴんと伸ばして身を乗り出した。
(『箱庭』?)
 尋ねようにも容易に尋ねられる雰囲気ではない。椎葉は言葉を飲み込んでやりすごした。
「つーことは、間違えて連れてきたってことか? あっちゃー……マジか」
 背中を後ろにもたらせ、匠は天を仰ぐ。
「そりゃ他言できるわけねーわな。どーすんの、オレ、連れてきちまったぜ?」
「起こったことを今更どうこういう気はない。お前に言わなかった私の責任でもあるからな。問題はこれからどうするかだ」
 二人の視線を浴び、その真剣さに椎葉はたじろぐ。後ずさる代わりにレイと繋いでいた手を強く握った。握り返される温かさに僅かながらほっとした。
「――その前に。匠、お前は迎えに行ってこい」
「ですよねー」
 匠はやれやれと腰を上げ、椎葉とレイの頭に手を置いた。
「いきなりでわけわかんねーだろ? んな心配そうにしなくても大丈夫だぜ。アキちゃんが何とかしてくれっからさ」
 同じ高さまで下げてくれた目線に安堵を覚える。誰かの笑顔で改めてこんなにも安心してしまうのだから、知らないうちに緊張していたのだろう。
「じゃ、また後でな。頼んだぜアキちゃん」
「ああ。鍵は閉めていけよ」
「わーかってますってー」
 ひらひらと振られたた手。鍵をかけた音を最後に、匠は部屋から退出していった。

  **

 匠さんが出ていったことで明るさが失せ、途端に気まずい空気が流れた。おちゃらけていそうでその実、この雰囲気にならぬようわざわざ明るく話してくれていたのだと気づく。多少行きすぎた反応もそのためだったのかもしれない。
 レイヤは暁さんに忠告されたことを思い出してしまったせいで、顔を真っ直ぐに見られないでいた。
 約束を破ってしまった。あんなにもいわれていたのに。
(怒られるかな……)
 俯くレイヤの耳まで椅子が引かれる音が聞こえ、びくりと身を強張らせた。近づく気配にますます身を縮こまらせる。
「まったく、あれほど言ったのに」
 ところが、次に聞こえたのはレイヤが予想していたのとは違う、幾分か明るい苦笑混じりの声音だった。
「おじさん、ごめんなさい! 森を抜けようって、私が言い出したの。レイはただ私に付き合ってくれただけだから」
 しぃの弁明を聞いて、沈んでいる場合ではないと思い直す。
「俺が止めれば良かったんだ。ちゃんと止めなかったから、責任は俺にあるよ」
「違うわ。私が強引にレイを誘っちゃったから」
「よせ、二人とも」
 途端に口をつぐむ。
「お互いに罪を被り合うな。私がいったことを守らなかったのは怒るが、お前たちが無事だったことに安心しているんだ。――何事もなくて良かった。匠が連れてきた時は正直肝が冷えたぞ」
 レイヤは匠さんに連れられてここに入った時を思い出す。
 思いがけないにしては異様に驚かれたこと。彼の沈み具合からレイヤたちは歓迎されていないのだと感じ取ってしまったこと。しかしその後かけられた言葉はいつもの暁さんそのもので、今なお態度の違いに戸惑っていること。
「暁さん。俺たち、ここに来ちゃまずかった? 今から戻った方がいい?」
 レイヤは何よりもそれが問題だと思ったのだ。しかし暁さんは首を振った。
「いや、今戻るのは危険だ。ここにいなさい」
 着ている服が会いに来てくれるときと同じ服だから、レイヤは一つの単語と結びつけた。ある種の確信を持って。
「でも……迷惑じゃない? 仕事の邪魔になるよ」
「なに、仕事といっても大したことはしていない。レイヤ、椎葉。今はとりあえずこの部屋から出るな」
「え……っと」
 正直それは困る。
 レイヤの頭に響く声は止まない。その声の主を突き止めるため、暁さん――当初は匠さんいわくのアキちゃんだったが――に許可をもらおうと思っていたのに。
 このままでは見つけることはおろか、探しに行くこともできない。
 けれど口に出すのは憚られた。レイヤのわがままで暁さんをこれ以上困らせるわけにはいかない。
「おじさん、」
「わかった。一歩も外に出ないよ、約束する」
 しぃの言葉に重ねて、レイヤは矢継ぎ早にいった。
 その後ちらりと見たしぃに、いいの、と問いたげな視線を投げかけられてしまい、レイヤは目だけで頷いておく。
 それに、暁さんはいっていた。
(今はとりあえずってことは、後でも行ける可能性はあるよね)
 今が無理なら後でいくらでも探しに行こう。密かにそう決心して。
「ねえ、おじさん。ちょっと聞いてもいい?」
 だからしぃがそういい出した時には、そのことをいわれるのではないかと慌ててしまったのだ。
「ああ、何だ?」
「ちょっ……しぃ、待って」
 割って入ろうとしたレイヤはしぃに押し止められ、ますますパニックに陥ってしまう。
 どうして止めるのだろう。せっかく今はいわないと決めたのに、しぃがいってしまっては元も子もないではないか。
「さっき匠にいってた箱庭ってなに?」
 実際に出てきたのはレイヤが予想もしていなかった内容で、声のことには少しも触れていなかったけれど。
「は……箱庭?」
「おじさんは私たちが箱庭にいたっていってたでしょう。箱庭ってあの森のことなの? 森にあった網が何か、おじさんなら知ってるんでしょう?」
 暁さんを見上げるしぃは必死な様子だった。
 突然どうしたのだろう。
「しぃ? どうしたの」
「ねえ、ちゃんと教えて。おじさんの仕事って何。私たちに森を越えないようにいったのはどうして?」
 レイヤは混乱する。しぃは一体どうしてしまったのか。それはまるで塞き止められていた場所が決壊し、流れ出る水の勢いと良く似ていた。


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箱庭の世界―Closed Garden― #5

 ――#5 導かれた場所

 レイがいっていたように、匠に導かれて着いたそこは建物だった。
「大きい……」
 見上げるほどに大きい。首を上向かせなければ上まで見えない。今までこんな高いものは木でしか知らなかったから、これだけ高い建物があったことに驚いた。椎葉の中で建物といえば自分達が居住に使っているあの家くらいだ。
 入り口には制服で身を固めた人物が一人、特に何ということもなく立っていた。一体何をしているのだろう。
「ごくろーさん」
 匠がその人に話しかけると訝しげな視線を寄越した。
「若狭様こちらの方々は?」
 通りすぎようとした匠を呼び止め、椎葉とレイをじろじろと見てくる。
 いっそ不躾だといいたい。不審人物とでも思われているのだろうか。
「アキちゃんがいってた奴だよ、許可はもらってるから心配すんな」
「それは失礼しました。どうぞお通り下さい、東条様がお待ちです」
 匠の一言だけであっさりと道を譲られた。
 申し訳ございません、と頭を下げた彼に恐縮しつつ、椎葉とレイは足早に中へと入る。
「うわ……」
 一歩中に入ると別世界が広がっていた。
「しぃ、上見てみなよ」
 天井は高く、遥か上の位置にある。吊り下げられた豪華な電気はきらびやかな装飾で見事だった。
「すごい、上まで見えるんだ」
 ここからでも上階の様子がわかる。吹き抜け、という造りだろうか。
 辺りを見やれば人がまばらに動いており、全員が全員同じように白い服に身を包んでいた。違う服装である匠や椎葉たちは自然と目立つ。晒される視線に居心地の悪い思いがした。
「ねえ、匠って偉いの?」
 受ける視線を思考から追いやり、椎葉は話題を見つけて匠に話しかける。
 時折通りすがる白い服の人たちは匠に頭を下げて行く。匠もそれに応えてはいるが、片手を上げたり肩を叩いたりとどう見ても匠の方が立場は上だ。
「さーね。オレはここにいるわけじゃねーから、オレというよりアキちゃんに対してだろ」
「じゃあアキちゃんって人が偉いんだ。匠はアキちゃんって人と知り合いだからみんな挨拶してるの?」
「そーいうこと。要は上に気に入られたいんだよ。そうすれば自分のやりたいこともできるし、結果も残せるってわけ」
 投げやりな調子で説明される。
「匠さんは嫌いなの?」
 歩いたまま匠はレイを振り向いた。
「まーな。取り入りたいって気持ちもわからなくはないが、オレは自分で上がる主義なんでね。他力本願でやろうとする連中見てると反吐が出る」
 そう軽やかに言われたが、内容まで軽くはない。
「その点アキちゃんは尊敬してるよ。あの人は自力で上り詰めた人だからさ」
 一度振り返った匠は本当に嬉しそうだった。
「すごい人なんだね、そのアキちゃんって人。俺たちがこれから会う人なんだよね?」
「そうだぜ。もう少しで着くからな」
 匠が再び前を向いた時、椎葉はレイの腕をこっそり引いた。
「ねえ、あの声まだ聞こえてる?」
 レイは頷いて小声で返してくる。
「うん。ここに入ってから強くなってるんだ。きっとここのどこかにいると思うんだけど……」
 これだけ広いと場所の見当もつきにくいのだろう。
「変ね。森の声なのに建物の中でも聞こえるなんて。それとも森に囲まれてるから聞こえるだけ? うーん……森の声じゃないのかしら」
「違うよ。ここから聞こえてくるのは間違いないんだ。いつもの声なんだけど、俺に語りかける声が強いっていうか何ていうか……いつもとは違う気がする。ずっと俺を呼んでるんだ」
 独り言のように呟いていたのだが、レイに聞かれてしまったようだ。
「レイを呼んでるの? どんなふうに?」
 挨拶をされたり遊ばれたりするならよくあったらしいが、呼ばれるというのは初耳だ。
「助けて、って」
「助けてか……」
 つまりはレイに助けを求めている。理由はわからないけれど、切羽詰まった状態にあるという解釈をしてもいいのだろうか。
(私の思い違いなら良いんだけど)
 椎葉は顔を曇らせるレイを横目にし、声の聞こえない自分がもどかしいと感じてしまう。何もしてあげられず、ただレイを見ているだけなんて嫌だ。
「後で匠にこの中見れるか訊いてみよう? いいっていわれたら一緒に探しに行こうよ」
 レイを困らせるのは楽しいけれど、やはりどんな時でもレイには笑ってほしかったから。

  **

「着いたぜ」
 同じ扉が並んでいる廊下。匠さんはその中の一つの前に立ち止まって二回扉を叩いた。こんな目印も何もない扉に、よく間違えずに着けるものだと感心してしまう。レイヤだったら絶対に迷う自信があった。
「アーキちゃーん、新人の奴ら連れてきたぜー」
 匠さんはおそらく中から返ってくるであろう返事も待たずに、さっさと扉を押し開けて戸口から叫ぶ。
(叩いた意味ないような……)
 レイヤは思ったが口には出さなかった。
「アキちゃーん、いねえのー? おーい、アキちゃ」
「聞こえてる、さっさと入ってこい匠!」
 怒鳴り声が返され、匠さんが首を縮こまらせる。怒られる時の仕草と良く似ていた。
(あれ、そういえば今の声)
「こえー……椎葉にレイヤ、中に入りな」
 レイヤの疑問が答えになるより早く、匠さんに促される。
「おじゃましまーす」
 彼の後に続いて二人は扉をくぐった。
 入り口から中が見えなかったのは、空いた空間を全て占めるかのように置かれた棚のせいだった。中からの声が遠くから聞こえたと思ったのはこうなっていたからか。
(迷路みたいだ)
 ぎりぎり人一人が通れる隙間を進み、匠さんの背中を追う。部屋は意外にも広い。先程の声を上げた人物はまだお目にかかれないのか。
「アキちゃんお待たー。ただいま戻りました」
「遅い。出ていってから何分経ったと思ってる」
「そこはほら、休憩時間も兼ねてたわけよ。アキちゃんがここぞとばかりに酷使してくれたもんだから?」
「……まあ、間違いではないからな。そういうことにしておいてやる。それで、連れてきたのか?」
「もち」
 先に着いた匠さんが話している。
 と、前にいたしぃが後ろを向いた。
「レイ、アキちゃんってもしかして」
 どうやら同じことに思い当たったようだ。
 レイヤが頷くより早く、二人は匠さんに引っ張り出されてしまった。突き出された、といっても過言ではないかもしれない。
「はいよー、ご到着! ってアキちゃん?」
 目が合うと同時に、アキちゃんと呼ばれていた人は勢い良く椅子から立ち上がった。
 やっぱり、アキちゃんは――
「っ! 椎葉、レイヤ!?」
 今まで喋っていた冷静さはどこへやら。驚きを露にレイヤたちを呼んだのは、アキちゃんこと暁さんだった。


  →#6へ。


箱庭の世界―Closed Garden― #4

 ――#4 呼び声

 穴が下にあったものだから椎葉は地面を這い、なんとか通り抜ける。椎葉は後からくぐってきたレイに手を貸して立たせてやり、改めて穴を見た。
 もともと小さくはないその穴。土で服が汚れてしまったけれど、途中引っかけて破けるよりはましだ。
 二人して汚れた服を払うと、パラパラ音を立てて土が落ちていく。全部綺麗には取れなかったが、当面はこれで大丈夫だろう。
 椎葉はさっきまで届かなかった川に走り寄り、手を入れて暫しその冷たさに浸った。
「気持ち良いー」
 歓声を上げ、手招きでレイを呼ぶ。後ろで椎葉と同じように服を払っていたレイはその手を止めると、すぐに椎葉の元へとやってくる。椎葉の隣にしゃがみ、川を覗き込んだ。
「ここの水綺麗だね。小さいし、遡れば湧き水でもあるのかな」
「湧き水かぁ。ありそうだね」
 レイがいうように川はあまり大きくなく、椎葉が簡単に飛び越せるくらいの幅だ。
 こちら側に来てみたのは良いのだが、さてこれからどうしたものか。
 指から伝う冷たさが頭の芯まで鮮明にしていく。椎葉は目を閉じ、その深層まで潜り込む。
「しぃ、建物がある」
 椎葉を呼び覚ましたのは、いつの間にか立ち上がっていたレイの声だった。
「どこ?」
「あそこ、ちょうど木の間から見える白いやつだよ」
 自然のものではないとわかるけれど、それが建物であるとは断定しづらい。椎葉の目に見えたのはおそらくほんの一部、角張った白い何かとしかいえなかった。
「レイ、あれ建物なの?」
「多分そうだと思う……」
 聞き返したことでレイもはっきり知っているわけではないとわかる。
 その一言で椎葉はぴんときた。レイは根拠がなくても、そう『わかって』いるのだと。
「森が騒いでるんだ。あの建物を指してざわめいてる」
 椎葉が言うより早く、レイはどこか緊張した面持ちを浮かべて葉を一枚拾い上げた。
「いつもの声?」
「うん。あそこには近づくなって、森が怯えてる気がするんだ。単なる気のせいだといいんだけど」
 昔からレイは森の声が聞こえる。
 特別だからではない。そうした特性があるのだと、レイは人ではなく精霊と呼ばれる種族だと聞いたのは、もう随分と前になる。
 レイの左手首に巻かれた白い布。今は隠されているが、そこに精霊の証である紋が描かれているのを椎葉は知っている。
「じゃああまり近づかない方がいいね。あそこじゃない他のところに行ってみよ?」
 椎葉は身体を両腕で抱きながら立つレイの背中をぽんと叩いた。
「ん……。ねえ、しぃ――!」
 言いかけたレイが唐突に椎葉を背へと庇う。片手で椎葉を制するレイが緊張している。
「レイ?」
 強張る肩に手を置こうとしたその時だった。
「誰かいる」
 小声で答えるレイが見据える方向から、葉を踏む音が近づいてくる。規則正しい音。人か獣か、あるいは他の何か――?
「おあ? お前ら、ここで何してんだ?」
 椎葉たちの前に現れたのは、一人の青年だった。

  **

 キテハダメ。
 網を潜り抜けたレイヤに語りかける声があった。微かで弱々しく、今にも消えそうな言葉で。
 カエリナサイ、モドッテ。オネガイ。
 拒絶する響きに隠されて、懇願する叫びを聞いた。
 ――タスケテ。
 レイヤを呼ぶ声。あの白い建物から、確かに聞こえたのだ。
 しぃは他の場所に行こうといったけれど、聞こえた声が気になって仕方なかった。だから声に気を取られ、近づく気配に気づくのが遅くなってしまった。
 レイヤは対峙する男を睨み付ける。目の前にいるのは得体の知れない人物。椎葉を逃がすべきかどうしようか、悩むレイヤに男が語りかけてきた。
「なあお前ら、この森に迷い込んだのか?」
「いえ、違います。えーと……」
 果たして何と答えればいいのだろうか。
(森にある家から出てきたっていったら怒られるかな……)
 脳裏に浮かぶのは暁さんからの忠告だ。勝手に出てきてしまったことを咎められるのではないかと気が気でない。
 答えあぐねるレイヤに何を思ったのか、男は突然納得した風情で手を打った。
「ああ、ひよっとしてアキちゃんが今日から来るっていってた新人か! 何だ、それならそうと早く言えっての。スゲー探しちまったぜ」
 肩をバシバシ叩かれたレイヤは、ただ唖然とするしかない。
「初日だからってんな堅くなんなくていいからな。ほら、リラックスリラックス」
「はあ……」
 込められる力が痛い。リラックスどころか余計に痛めている気がする
「レイ? 大丈夫?」
 見かねたしぃが後ろから覗き込んできた。
「へえ、お前はレイっつーのか。後ろの子は?」
「椎葉といいます」
 ずいと前に出て話すしぃはレイヤよりよほど度胸が座っている。
「俺はレイヤです」
 慌ててしぃの後から付け足すように訂正する。
「椎葉にレイヤか、覚えたぜ。オレは匠。呼び捨てでもなんでも好きに呼べよ」
 そういって匠と名乗った彼は右手を差し出してきた。
「握手。知らねーの?」
「あくしゅ?」
「アキちゃんがいってた世間知らずって本当だったんだな。ったく、こうするんだよ」
 レイヤが戸惑いながら見ていると、呆れたように右手を取られた。そのまま彼の右手に握られ、上下にぶんぶん振られる。
「はい、あーくーしゅ。よろしくな」
 言い終わると同時にレイヤの右手は解放された。
「握手ってのは挨拶のひとつだ。これからも仲良くやろうぜ、っつー意味で交わすもんなんだよ。言っとくけど逆の手でやるんじゃねーぞ」
「どうして?」
 左手でやることの何がいけないのだろうか。ただ単に手が変わるだけなのに。
「お前とは仲良くしたくねえっていう別の意味を表すからだ。覚えとけよ」
「へえ、そうなんだ……」
 レイヤは両手を見比べる。誰かに握手するときは気を付けないとならない。
「よろしくね、匠」
「おう。こちらこそ」
 匠と椎葉が握手するのを眺めると、確かに右手で交わしている。ただし上下には振っていなかったけれど。
(『あくしゅ』は右手でやるもの。うん、覚えた)
「よし、じゃあ行くか」
 先頭を切って歩き始める匠。
「行くって、どこに?」
 レイヤはその背に追いつき問いかける。
「行くっつったら一つしかねーだろ。まずはアキちゃんに挨拶しに行くんだよ、あそこまでな」
 匠が親指で示す先にあったのは、やはりというか例の白い建物だった。
 レイヤは建物がある方向を無言で見上げる。と、腕に抱きついてくる気配があった。
 ぎょっとして横を見ると、そこにはしぃがいた。
「大丈夫、私もいるからね」
「うん」
 ――タスケテ。
 レイヤを呼んでいる。その声の主は誰だろう。


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