こんばんは。
なんだか無性にさみしくて、心細くて、眠れません。
大きな事件は起こらないけど、毎日少しずついろんなことで神経がすり減っていく。
自分に向けられた言葉や態度じゃなくても拾って傷ついてしまう。
ばかだなあ。
もっとつよい気持ちを持てたらいいのに。
傷つかないつよい心。
このさみしい気持ちは、誰かのそばにいてしあわせだった記憶があるからなんだろうな。
それは恋人であったり、友だちであったり、家族であったり。
ひとり暮らしを初めて、わたしは圧倒的にひとりになった。
それは自分で望んで選んだこと。
ひとりになりたかった。
誰かと、つながっているのがこわかった。
大好きな人がいること、その人たちがわたしから離れていってしまうことが怖くて、自分から離れた。
過去は変えられない。
未来は変えられるのかな。
わたしはどうしたらいいんだろう。
弱い、わたし。
ひとりには慣れていたはずなのにな。
小さな子どもの頃のほうがずっと強かった。
大人になっていくわたしは、誰かの肌の手触りや声の温度を、涙が出るくらい笑うことを、不意に合わさる言葉のしあわせを、もう知ってしまったから。
誰かとつながることの怖さもよろこびも。
目をつむろう。
優しい気持ちになれるように。
訪問、拍手、購読者さま、
いつもありがとうございます。
こわい。
疲れているのに、眠いのに、眠れない。
眠れないことが日常だったときがある。
でも最近はずっととてもよく眠れていたから、薬も手放しているから、
眠れないことがこんなに怖いことだなんて忘れていた。
わたしはひとりぼっちなのではないか。
誰もわたしのことを知らない。
このまま何もしなければ、わたしはベッドの上で衰弱して、ゆっくり近づいていく。
お腹は空くし、喉は渇く。
それでも動けない、動かない。
そうしたら、きっと。
こわい。
人はこういうときにリストカットするのだろうか。
自分が在ることの確認?
わたしは怖いとベランダから降りたくなります、いつも。
それが怖くて、ベランダにはあまり出ない。
わたしは軟弱で、すぐに引き寄せられてしまいそうになる。
でもそうしたいわけじゃない。
自分をなくしたくなんかないのに。
私の手の中には、きっとたくさんの素敵なものがあるのに。
それを忘れてなんかいないのに。
眠れない、ただそれだけなのに、普段蓋をしている気持ちが溢れてしまいそう。
こわい。
こんばんは。
またぐずぐずなわたしです。
身体も気持ちも、
調子が下がり気味。
身体と心はつながってるからしかたない。
最近は目眩と頭痛、気持ちの悪さにくらくら。
目眩や頭痛には慣れてるけど、気持ちが悪いのは本当に苦手。
吐くのが本当に苦手で怖いので、気持ちが悪いと動くのが怖くなる。
同期の友達の多くは働いていて、がんばっている様子を聞くたびにうれしくて苦しくなります。
わたしもがんばろうと思う。
でも同時に出来るのかな、と思ってしまう。
まだ、やってもいないのにね。
自分を信じることはすごく難しくて、わたしはいつも自分を低く考えてしまう。
自分のために休むことと、サボること。
全く違うのに、すぐごっちゃになる。
「無理をしない」
家族にも友達にもカウンセラーにもお医者さんにもたくさん言われるけど、それがいちばんわからないです。
働いている人はもちろん、学生だって子どもだって、少なからず無理をしている。
程度の問題だということはわかるけれど、どこからが「だめな」無理なんだろう。
それがいつもわからなくて、無理をしている自分にも鈍感で、くるしい。
全て言い訳のような気もするし、みんなこういう気持ちを乗り越えて毎日過ごしているのかな。
生きることは考えることじゃなくて、生きることよ。
そう言われたことがあります。
生きることはくるしい。
すごく、くるしい。
生きることが、生きていることが、ものすごく喜びにあふれるときがある。
しあわせな時間がたしかにある。
なのにくるしいとき、その時間はわたしの中でリアリティがなくなる。
知らない人の思い出を見ているみたい。
あんなにすてきな時間だったのに。
毎日をすごすこと。
時間は過ぎていきますね。