轟音と、衝撃はずっと続いていた気がする。
骨がぶつかりあい、脳が頭蓋骨の中で破裂しそうな位振動する。
手足はただ重力の激変に翻弄され、食いしばった歯がガチガチと音を立てた。
鋼鉄の外板が引き裂かれる、身の毛のよだつような音がバリバリと鼓膜に突き刺さった。
視界は衝撃にぶれ、神経は不能になる。
まだ生きている。それは夢か現実か判然としない。
砂埃が大量に流れ込み、まるで火砕流のただ中に飲まれたようだ。
その中でゴキュッという有機的な破壊音だけがはっきりと聞こえた。
音は衝撃に、衝撃は音に変移し、やがて平衡感覚を失う。
そして、視界は暗くなった。

誓は、しばらく耳なりと暗闇の中で微睡んでいた。
意識が重く痛く、何か不快な感覚がする。
口の中に砂と血の味がして、幾度も咳をする痛みで誓は徐々に目覚めた。

ぼんやりした視界に、床一面の赤が映る。ぬるりとした感触が頬にこびり付く。
それは血なのだと、誓は理解した。
全身の感覚から、徐々に神経を探り出す。
冷え切って鈍くても、指先はまだ残っているようだ。
ひどく身体がふわふわする。うまく身体が動かない。

「―――」

誰かの呻き声がした。
ゴツン、ゴツンと何かがぶつかる音がする。
無理やり頭を上げると、目の前でコンバットブーツの足の裏が痙攣していた。
痙攣するたびにそのゴムのつま先が床にぶつかる。
その足が、フライト・エンジニアのものだと認識するまでに、数秒かかった。
ヘリは強硬着陸したのだ。敵はどこに行ったのだろう?陸軍の伍長は?
渾身の力で首を捻ると、キャビンから這いだすような形で誰かの体が横たわっている。
砂に覆われて白いが、それは陸軍伍長であるようだ。また誓は咳き込む。肺と気管がその度に痛んだ。
現実感のないまま、ようやく這いずるように半身を起こす。
ほの暗い視界には、血の幕で覆われたコックピットと、割れたガラスが映った。
頭をコックピットの計器に突っ込んで事切れている副操縦士。
操縦桿を握ったままのフライト・エンジニアは微かに動き、苦しそうな呻き声を漏らしている。
何かぬるりとしたものを感じて額に手をやると、破損したヘルメットのバイザーの破片が突き刺さっていた。

――助けを求めなければ。

誓は、奇妙な冷静さでそう判断した。
映画の中に自分を見ているようで、何も現実がない。
隣の陸軍伍長は動かない。彼の首は有り得ない角度で根元から折れていた。
死という冷徹な事実だけが、誓を納得させる。
折れかけた棒のような身体を引きずり、這うようにコックピットに進む。
副操縦士のヘルメットから伸びるケーブルを辿ると、無線機に接続するジャックが見つかる。
血まみれのコックピットにもはや構わず、誓はパイロットのケーブルを引き抜いた。
その手にぬるりと新しい血が付着する。
まだ電気は生きていた。
自らのケーブルを接続すると、操縦桿の無線送信ボタンを押した。

「レーダー・・・キロ・ファイブ・ワン」
声がかすれ、途切れ途切れに送信する。
すぐさま返ってきた声に、誓は状況を報告した。

「ウィ・ハブ・スリー・KIA、アンド・アナザー・トゥー・イズ・アライヴ」

戦死3生存2。その外に、敵からの銃撃を受けたことを告げる。
ヘリを落としたのは、恐ろしく腕のよい敵だった。機関銃の対空射撃はそう当たらない。
あるいは、この機がアンラッキーだったか。
肌がひりひりして、呼吸が苦しい。がくりと落ちた膝が震える。
スリングと呼ばれる吊りベルトで体に提げられていた機関拳銃を握り直した。

誓は捕虜にはなれない。

最悪の場合は、自分の命を処分しなければならなかった。
軍用の改造を受けた、半分人工の身体を持つからだ。
特殊任務のために拡張された脳と、最高機密の技術をつぎ込んだ身体。
その機密を欲する者はどこにでもいる。
引き金を引けるか。自らに問う。
不思議と冷静な心で、誓は目を閉じた。

毎日増える幾多の戦死者のひとりになるのか。
御守りをくれた友達は気に病むだろうか。
母親が軍の使いに掴みかかるかもしれないのが気がかりだった。
こんな日がまさか今日来るとは。

フライト・エンジニアが、咳き込んで意識を取り戻す。
薄目を開いたフライト・エンジニアは、肩で息をしながら、その黒い瞳で誓を見た。
何かを言おうと唇を動かすのを、誓は遮る。
この場でまともに動けるのは誓だけだ。現実感が喪失したことが、神経を冷静に保った。
裸眼で、動かない敵を見つけることは難しい。
機体から離れて救助を待てば、敵に見つからないように思えた。
軋む頭で必死に考える。機体自体も敵からは少なくとも数キロは離れている。墜落した機体を敵はすぐには発見できないだろう。
邪魔な航空ヘルメットを投げ捨て、誓は目に入った血を拭った。
些細な決断の誤りが、遅さが、生死を分かつ。すべては今自分の手のなかにあった。
機体には発煙筒や救急セットがあるはずだ。ぼんやりと残る、講習で受けた記憶を引きずり出す。
まずフライト・エンジニアを機体から降ろそう。優先するべきは生存者の安全だ。
誓は考えを整理した。
フライト・エンジニアを見捨てれば逃げられるかもしれない、という考えを振り払う。
決断できるのはひとりだ。世界には誰もいない。
フライト・エンジニアの身体を掴むと、そこには生者の体温があった。
月光に、そのネームタグが照らされる。
成田。フライト・エンジニアの名前は成田だった。
名前のあるその命は、引っ張り出すとひどく重く、転倒しそうになる。
どうにかして立とうとする成田の肩を支え、誓自身も肩で息をしながら歩き出した。
ヘリから降りると、ザクザクと砂礫が音を立てる。
月面に立つような浮遊感の中で、必死に自立を保つ。
孤独と、敵の存在感が身体を締め付ける。
生き延びたい。
その本能の声が、身体を震わせ、呼気を乱す。
墜落していくヘリの中で見た成田の後ろ姿。貸した肩に持った左手には、堅い指輪の感触。
強く誓をつなぎ止めるそれらが、逃避を望む怯えと引き合う。目を上げれば美しい砂漠の月が、冴え冴えと冷たく輝いている。
成田の身体は信じられないほど重かった。
数十メートル離れた場所まで歩くのに、何分もかかる。
汗まみれでようやく成田を降ろすと、その左足の膝から下は不自然な内側に向いていた。
砂漠の夜は凍てつくほどの寒さになる。
成田の負傷の程度によっては、生命に関わるだろう。負傷が骨折のみだとは思えなかった。

ヘリに戻ると、誓はすぐに救急セットと発炎筒を見つけた。
陸軍伍長のオーバーと、小銃を剥ぎ取る。それから、操縦士の拳銃。
拳銃は血に濡れていたが、すでに冷たかった。
孤独と戦慄に心が震える。
砂漠は地の果てまで続く。敵と、成田と、誓だけがそこでせめぎ合っている。

無言、静寂。

砂を含んだ風が、コックピットにパラパラとぶつかる。
誓は、風に首筋をすくめた。空気が流れる音だけが響く。
その時だった。
堅いものが金属の上を転がるような音が、誓の耳に届いた。
それは瞬く間に、バーナーのような音に変わる。
コックピットガラス越しの割れた満月を、何かが横切った。
誓は、無線がキロ・ファイブ・ワンを呼んでいるのに気付いた。

「こちらラプター隊、ウィリー・トゥー・トゥー・フォーメーション」

無線機に日本語で男の声が入る。ウィリー22フォーメーションと名乗ったその男は、2機編隊のF22ラプターのパイロットだった。
風を切り裂く戦闘機は、全天を震わせる。世界最強の誉を持つ、幾何学的なフォルムの機体。

「キロ・ファイブ・ワンを捜索中。これより救出を支援する、応答せよ」

男の声は落ち着き、力強かった。
それはまるで、命綱そのものだった。
息が詰まる。
それから、失われていた命の感覚が、蘇る。頬に血色が戻るのを感じた。
死のモノクロの世界に、突如として色彩が爆発したように見えた。
誓は震える手で無線機を取った。もどかしい指先は、なかなかうまく掴めない。

「こちらキロ・ファイブ・ワン。ウィリー・トゥー・トゥーを前方に視認。なお、墜落時に付近から敵の射撃を受けた」

誓の声は掠れて、最後は裏返っていた。叫びたいのを必死で留め、誓は熱い脈を感じる。

「ウィリー・トゥー・トゥー了解。頑張れ!救援はすぐに来る。絶望するな」

ラプターが来てくれた。そのことは、誓の命を再び蘇らせた。
発炎筒。
その光は敵からも、味方からも発見されるだろう。
だがしかし、今ならば、ラプターがいる。信ずるに足る、その強い翼。

誓は発炎筒を握った。震える膝で、覚束ない足取りでヘリから転げ落ちた。
命懸けの賭けだった。
勇気なのか、愚かなのか。誓は、発煙筒の蓋を外した。
肺いっぱいに息を吸い、蓋の着火材で火薬をこする。
瞬く間に、炎が火薬の表面を舐めた。花火のような目を潰すまばゆさが、砂漠の中に強い陰影で誓自身をも照らし出す。
立ち上る煙が浮かび上がり、発炎筒は天に突き刺さる。
気が付けば、叫んでいた。
身体の底から、腹の力いっぱいに、獣のように。
声帯が切れそうな程に、野蛮な生命の迸りをラプターにぶつけた。

ここにいる。

炎の光を全身に浴び、誓は叫びつづけた。
誓の存在自体を、全て声に変えて。
声は闇に吸い込まれ、闇に溶けていく。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
叫びに応えるように頭上を通過したウィリー22は、高度を下げて地上近くを飛行する。
数秒後、地上に小さく光が出現する。
ラプターの機銃で、射撃をした敵の車が爆発したのだ。
誓はまた叫んだ。身体が千切れるほどに、魂の限りに。
息を吸い、声と共に吐き出す。顎が限界まで開き、肺はビリビリと震えた。
生きたい。
すべての叫びは、その衝動だった。
やがて発煙筒の輝きは消え、再びラプターの爆音が空間を包む。
そうして、誓はようやく叫ぶのをやめた。


「大丈夫です、私達助かりますよ」

誓は、ただただ黙って息をする成田の目を見た。
ウィリー22から与えられた希望が、誓を再起させる。
彼の足に添え木を当て、包帯でしっかりと縛った。
見上げれば自分たちを守るために、ウィリー22は事故現場上空を旋回している。
白銀に輝くラプターの翼は美しかった。
青白い軌跡を残すメスの刃先が、空を切り裂く。
心が震えるようなパノラマ。
成田の応急処置をしながら、誓はその音を聴き続けていた。
生と死の境目の綻びを、ラプターが再び繕う。
その力強さと確かさが、目頭を熱くする。
不意にこみ上げそうになった熱い塊を、誓は飲み込んだ。


ウィリー22のパイロット、守谷少佐と誓が対面するのはその後のことである。



《Phase0 END》