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自分の成長

聲の形が公開してますね。
地元だからということで漫画も映画もみました。
そして感じたことがあったので言葉にしたい。
長文になるだろうから、久々にブログ。


まえにもかいたかもしれないけど
中学生のころいじめられてました。
それで、人が怖かったし
わたしは気持ち悪い、うざい、死んだ方がいいんだと思ってた
学校も嫌で、よくしらないから家族も行かないと怒るし、もう自分の未来なんて真っ暗だとおもってた頃。

今の私があるのは、
そのしんどい経験のおかげでもある。
感謝するのっておかしいかもしれないし
じつは感謝っていう言葉ではあてはまってないのかもしれないけど
あの経験があってよかったとおもうのは事実。


翔也が家族以外のものにをつけていたのは
見ようと聞こうとしてないってことで
それは向き合うのが怖いし
向き合おうとしたところで意味が無いと
思ってしまったからだと思う。
それは、自分が原因でひきおこしたことであると同時に、周りの接し方のせいでもあると思う

わたしもそう思ってた
なにをいってるかわかんなくても、
わたしをみてなにか喋ってたら
気持ち悪いだの、しねだの、いわれてるんだろうと
いない方がいいんだろうと思ってた。


いじめられていたのが中二のころ
色々あって解決したとおもったら、
中三になってやっぱり周りが怖くなった
結果クラスにいけなくなって、保健室登校で。

だけど、保健室の先生や
クラスの子でも同じ立場だった友達
あそびにきたよって、なんでもない趣味の話を楽しそうに話す
そんな姿みたり、隔てなくひとりのひととして接してくれてる人がいることを感じて
わたしのままでいいんだと思えて

それで、強くなれたんだと思う

卒業間近、恐恐いった教室には
わたしを疎むこえなんてなくて、
ふつうにはなしてくる子もいて
それは周りを見よう、話を聞こうとおもえた私がいたからだとおもう


そンなことあったなぁっておもいだした
そんな思い出や経験があるから
人の気持ち、見えない気持ちの部分や
考えすぎて病みそうなときもあるけれども、

だからこそ、感謝できること
家族やものや、だれかにたいする愛情や
思いが
わたしは強いんだろうと思う

なにも知らずうすっぺらい人間になるより
深い部分のあるにんげんになれたと思う

だから、私って幸せだなあと思う。

ちゃんと生きよう。
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