先週末に、私の母校で文化祭があったようです。
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それはファンタジー。 【※閲覧パスはプロフを参照!】
α
Fragment 05.
最後の文化祭当日。休日にかぶせた2日目。
学内の生徒だけでなく、普段学校にはいない一般のお客さんも多く来るとだけあってひと際賑わう。
「今年も来るのかなぁ」
主語はなくとも、彩佳が言いたいコトは何となくわかった。
“何人くるか”を楽しみそうにしてる様子が、ニマニマとした笑みによく出ている。
「最後のチャンスだもんね」
校内の男子生徒たちが智美に告白しに、様子をみてやって来る。
それだけじゃない。連絡先を書いたメモを渡しに来る男性の来校者までいる。
かわいい女子生徒を見つけ次第声をかけるチャラチャラした人もいるし、毎年のようにやってくる一途な人もいた。
今ほど仲良くしていなかった2年の時、喫茶店をやっている教室の片すみで男性客がうわずった声をあげていたから、目立っていた。
まだはっきり覚えている。
そういう人たちが全部どうでもよくて、「めんどくさい」と開催時間中にはどこかへ行方をくらましてしまうのも智美らしい。
こんな日はいつもの渡り廊下に座っていても危うい。
来客がピンと思いついて訪れそうにない場所に身を潜めている。
もちろんクラスの出し物の手伝いはするけど、クラスの人たちも“河西さん事情”には理解がある。
私は体育館前の通路に配されたバスケ部の屋台に顔を出した。
後輩にモテモテの佐江が、ねじりはちまきをして鉄板の上で焼きそばをジュージューやっていた。
仲間への激励として1人前を買った。
OGだから部の出し物には縛られていないし、私の店番は初日に終わっている。
ソースの香り漂うパックと割り箸を慎重にもって教室に戻ると、黒髪のきれいな女性が1人。
受付にいる峯岸の横で、椅子に座っていた。
私が戻ってきたのに気付いた峯岸はこっちに向かって手を振って、座っている彼女は私のほうをチラッと見た。
私が聞くのより先に、峯岸が紹介してくれた。
「智美ちゃんの知り合いの方」
もしかして。
「明日香さん…ですか?」
その女性は少し驚いたようにうなずいた。
「智ちゃんのお友達?」
肯定の返事をして、私は軽く会釈をした。
明日香さんは膝に乗せていたバッグを椅子の上に置いて、手に飲みかけのミルクティーのパックを持ったまま立ち上がった。
購買部の自販機で買ってきたようだ。
峯岸は私が彼女を知っているとわかると、
この後の文化祭の流れを実行委員の生徒と打ち合わせなきゃいけないことがあると言って、その場を外した。
第三者として話にきいていた人と初めて顔を合わせる時、
まるで芸能人に会ったかのようにワクワクするのはどうしてだろう。
嬉しい気がしたのは確かだけれど、私にはどこか澄ましたような愛想笑いしかできなかった。
明日香さんは「はじめまして」と丁寧に返してくれた。
「おひとりですか?」
「うん。智ちゃんと一緒にまわろうって約束したんだけど……来るのがちょっと早かったかな」
明日香さんは腕時計に目を落とした。
私は「連絡してみます」と言って、智美にメールを入れた――「きたよ。」
「私のこと、知ってるの?」
「智のことなら“何でも知ってる人”だって聞いてます」
「そんなこと言ったんだ」
明日香さんのパックを持ったままの手が口元に運ばれて、手の甲がその微笑みを隠した。
薬指にシルバーのリングをしている。まっすぐの長い髪が揺れた。
校内一の美人は、その友達まで美人らしい。
「本当に全然、会ってないんだよね」
「突然メールが着たんで、どうしたんだろうってびっくりしてましたよ」
「最後に会ったのいつだったっけ。智ちゃんがまだ中学生だったもん」
「3年ぶりくらいですか」
「早いな…。智ちゃんは専門かな?」
「はい、美容の学校を受験するみたいです」
智美のお母さんはずっと美容師の仕事をしている。
「大学受けたら絶対いいところ受かると思うんだけどな」
「そうなんですよね。羨ましいですよ」
智美のことを誇らしく思う、幼なじみと、高校の友達。
どこか張り合ったように笑顔を作っている自分がいた。
明日香さんには柔らかさがある。
賢い人の余裕、貫禄みたいな落ち着きが、滲み出ている。
2歳の差。
私も大学生になったらこんな大人の女性になっているのだろうか。
なれる気がしない。
手元のケータイが震えた。――「明日香からもメール着てた。今行くー」
「元気にしてる?」
明日香さんは尋ねた。
素っ気なく口にしたけど、声のトーンがひとつ低くなったのを感じた。
「それなりに生きてますよ」
「ならよかった」
明日香さんは教室の前に広がる階段の踊り場のどこかを眺めながら、
少し側面がへこんできた紙パックのミルクティーを啜る。
「それならよかったよ」
智美はまだしばらく来ないだろう。
メールの返信がきたことを伝えてそう仄めかすと、
明日香さんはどうするか少し考えた後に「写真部の展示が気になるんだよね」と言った。
文化祭のパンフレットで教室の位置を確認して、隣の校舎にあることを伝えた。
小一時間ほど出歩いた後で、明日香さんが3年B組の教室に戻ってきても、
それでも智美はまだ顔を出していなかった。
ようやく智美がクラスに戻ってきたのは、出し物である劇の開演時間が迫った頃だった。
もうあと2時間もしないで文化祭が終わる時刻である。
のだけど、
その登場のしかたからして一同が呆然とすることになる。
教室いっぱいに観客が入って賑やかさが一段落した廊下に、聞き慣れない高い声。
「あすかー!」
驚いて、廊下の向こうにみんなの視線が動いた。
そこにはどこからか戻ってきた智美がいた。
午前中は宣伝(という名の放浪)の当番で一緒に校舎を歩きまわっていたけど、今までずっとどこにいたんだろう?
クラスTシャツの上に羽織ったカーデガンの端をなびかせて走ってくる。
「あー!智ちゃん!」
満面の笑みを浮かべて、手を振る明日香さん。
まーたきれいになっちゃって。
彼女が小さな声でそう呟いたのを、隣に立っている私は聞き逃さなかった。
「うわっ」
通常の学校生活では見ない速さで走ってきた智美は、そのまま明日香さんに抱きついたのだった。
何の戸惑いもなく明日香さんの背中の上で智美の両手が交差して、指先が彼女の服を掴んだ。
智美の表情は隠れてみえない。
教室前の廊下で、一瞬、時が止まった気がした。
私だけじゃなくて、その瞬間を目撃していたクラスメイト達みんなそれぞれの時間が静止したのを感じた。
主人の帰りを待ちわびていた犬みたいに、明日香さんにすり寄って、感極まった声がくぐもって聞こえてくる。
「ひさしぶりい!」
「久しぶりだねえ」
「行こ!じっとしてるとやばいから」
智美はすぐに抱きついた明日香さんから離れて、彼女の左手をパッと握ると、足早に行ってしまった。
前進しながら、明日香さんは私たちに振り向いて、
「あ、ありがとう!」
と言い残し、腕をひっぱられていった。
「あんな智ちゃん、みたことない」
「河西さんってあんな人だったっけ?」
場に居合わせたクラスメイト達は驚きに顔を見合わせて口々にそう交わした。
驚きにバグを起こして止まっていたみんなの時計は、動き始め、現実に戻り、
最後の文化祭の最後の劇の上演が始まった。
けど、私はどうしても帰ってこれなかった。
私の時計だけ、中の大切な歯車がひとつ、外れてどこかへ転がっていってしまったようだった。
もしかしたら、ずっと存在していなかった小さく大きな歯車の存在に気付かされただけかもしれない。
私は智美のことを全然知らなかったんだ。
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