体を洗いながら思った話(長文注意)



自分の小説にしたい内容の傾向として長編になりがちなことは結構前からわかってた。
それはなんでかなーと風呂で体洗いながら考えてました。

そもそもネタにするものが重いんですわ。
福祉関係の勉強をしていると世の中の暗い部分だったり知らなかった汚い部分だったりを知ることが多いわけです。
例えるなら児童虐待、貧困、いじめ、差別etc...
世の中にはこんな身近だけど水面下に埋もれている問題がゴロゴロしています。
そういうのを題材にしたがるから短編では難しいんです。

もし小説として確立した場合、なんでそんな重いものをネタにしたがるのかを考えるかもしれません。
答えはすぐに出るわけで。
簡単にいえば「簡易的に知ることができるから」「擬似体験をすることができるから」
いちいちいじめに関する本や貧困に対する本を手に取る人は卒論やってる大学生か専門家の人ぐらいでしょう。
知らなきゃよかったなんてことはほぼないわけです。
「気持ち悪い」「ひどい」「あり得ない」「そんなことをするなんて人間じゃない」
そういう感想もあるでしょう。私も実際そうでした。
「私じゃなくてよかった」
それもあるでしょう。私だっていやだ。
そう思うことは単なる感情論であって、知識をつけることは悪いことじゃないわけです。

つまり、そのような事実がある中でわかりやすくフィクションとして咀嚼しやすくしたいわけです。
形にできたらの話ですが。笑

つまり、嫌悪を抱いたことに対してなんで?を考えて欲しいわけです。
「酷い」という感情論だけではなくて、「この人には是非こうなって欲しい」「どうなってたらこの人はこんなひどい目に合わなくて済んだんだろう」という視野を広げて思考して欲しいんです。

だからこそ、少しネタバレになりますが、リムの幼少期は貧困の問題、鬼塚の幼少期は児童虐待をネタにしたいわけです。
謳雅の過去話はそこまで重いことはないんです、しかしその未来に苦難を解決する力をつけることを望んでいます。

ただ楽しいっていうのもいいです。夢小説たのしいですもんね。
実際私も楽しいことが大好きでギャグとかも考えますとも。
でも、それと同等に考えるということも好きなんです。
そんな堅苦しいの夢小説でやるなよ、と思われるかもしれませんが、彼らを絡めることでよりわかりやすくできるのではないかと思うわけです。

少しでも「自分に関係ないや」っていうことではなく「もしかしたら降りかかる問題かもしれない」とか「自分が少し意識を変えればこのようなことはなくなるのではないか」という風に思ってもらえたら幸いです。

小説は異世界への扉です。
別の世界を覗いて見るのも面白いと思います。
そう思いながら私は今も体を洗う。