視点の変え方、視野の広げ方の方法が一つわかった。
何かに悩んでいる時、
自分は駄目だと思ってる時に使える方法。
他人の視点になって自分を見てみる。
他人に相談している気で、自分に相談してみる方法である。
「これがこうだから、駄目で落ち込んでるんだー」
「でも、それって悪意ないよね?
良かれと思って一生懸命考えたのよね?」
自分の他者肯定力を使ってみた。
「なんか、そう悩むって見ていて微笑ましいわ(笑)」
微笑ましい悩みだったみたい。
会話を終えて自分に戻ってみる。
悩みが消えた\(^o^)/
そうか、微笑ましいのか。ニヤニヤ
迷惑かなんて自分じゃ判断つかないしね。
もちろん、自分の中にある視点なので、他人がそう思うかはわからない。
対人関係なんて考えるだけ泥沼。
100%の他人の心なんかわかんないしね。
ぼく自身、あまり他人を責めるのが好きじゃないんだ。
そういう会話を聞くと心が苦しくなる。
ルールや決まりなのもわかるけど、悪意がないならまあ、と思う自分もいて。
昨日、知り合いの方から飛んだブログを見て心が苦しくなった。
そういう怒りと悲しみをぶつけた記事だったから。
全部は読めず、すぐに音楽聴いた。
精神の回復である。
こういうところの精神は貧弱w
でも、それを守って生きたいんだ。
時々、わからなくなる。
どこまでの常識を守れば良くて、どこまで自分を貫けばいいのか。
社会で生きていく以上、ルールは必要で。
まあ、ルールなんか守らなくても死にゃしねえか。
そういうアウトローな人、嫌いじゃないんだよなぁ。
むしろ好き。
自分が大事にしているものを守れていたら、それでいいのかもね。
そういう人って、そんな感じがする。
自分が大事にしているもの以外はどうでもいい、みたいな。
だからこそ、一番大事にしたいものに集中出来るんだろうなぁ。
なんかいいな。
一番大事にしたいものか。
それだけを大事にして生きるってのも、なかなか勇気がいるよね。
それが腹括るってことか。
大事にしたいものなんて決まってる。
なんだ、やっぱり悩みないじゃん。
昨日の夜に思ったのは、無駄な過去の回想っていらねえなー
ってこと。
自責になるなら無駄なだけなんで、さっさとゲームに頭使いますた。
反省さえすれば自責は必要ない。
守りたいものね。
気持ちの言語化は長くなりそうだから、記事変えるか。