いまを生きていない人間が死にたい人間に説教するからヘドが出る。
カルト宗教、自分の価値観、所有、正解、不正解。
なんで生きづらいかって、
大多数の正解で世界が出来ているから。
俺にとっての正解じゃない。
大多数ってのも認識なだけで、本当は一部のバカが作ったのかもな。
結局、死にたいってのは、生きていた自分を知っているからで。
夏の匂いを嗅いで、そう思った。
いまの自分が生きていないと気付いたから。
そういえば、そうだった。
ずっと、過去ばかり見ていたな。
学校なんかに行ったから、自分が汚れたと思っていた。
よくよく考えたらおもしろいな。
人の悪意や嘲笑が当たり前だと思ったんだ。
その瞬間に俺は死んだんだ。
いや、世界が死んだんだ。
ころしたのは自分だ。
それを生き返らせる方法を、世間では宗教と呼ぶのかもしれない。
誰だって生きたい。
依存もまた自分をころすこと。
それなら、やはり根本を見つめることが大切だと思えのね。
俺でいえば、なぜ悪意や嘲笑が嫌なのか。
世間的にそれが駄目なことだから?
それは世間の基準であって、俺の基準じゃない。
だから、俺が嫌悪する真っ当な理由にはならない。
だって、嫌悪しない人だっているもの。
人間の本能的な問題でいうなら、それが未知のものだからとかね。
そもそも、悪意レベルだと赤ちゃんですら嫌悪感抱くかと。
人間の仕組みだ。
結局は等価交換なのかもと思ったよ。
自分の価値観と相手の価値観。
短所が魅力に映るみたいに。
悪意がなければ良いって、そういうことなのかなーってぼんやり。
とりあえず、生きるのクソだりぃから休むことにした。
休めし思考。