話題:悩んで迷って立ち止まって、繰り返す現実に。
僕は生きるに値しない糞人間です。
卑下ではない。
一生ついてまわることを犯そうとした。
そして、すべてを終わらせることを日々考えていた。
そういう糞人間。
だから、
ボランティアやってると「偽善者が」って思っちゃう。
ここ一年の違和感。
もう許されたと思ったか。
殺人未遂の罪は大きいぞ。
善人ぶったら許されると思っているのか。
そんな声が聴こえた。
わかっていて生きてる。
それが罪滅ぼし。
罪を感じながら生きること。
君は私を言葉で殺そうとしたから、お互い様って思ってくれるかな。
無理か。
君に罪の意識はないからね。
僕は僕の感情を忘れない。
いや、忘れられない。
結局は自分を許せるかなんでしょ。
名も知らない神様。
自殺だけど他殺。
それは年間件数いくらかな。
死者は人を責めないのかな。
じゃ、命ってなんだろね。
善悪なんて苦しいだけです。
どうでも良い日常に幸せを見いだせというあなた。
その目がラリってるように見えて仕方がないです。
ないものは、どうあがいてもないのだ。
ある人から見れば在るとしても。
まあ、視点の違いだ。
ポジティブが良くてネガティブが悪いっていうのも、どうなんだろな。
視点を変えれば味気ない日常も美しく見える。
どちらの視点が正しいのか考える。
どちらも正解で不正解。
善悪を付けるって、そういうこと。
毎日が美しいって、
やっぱ逝っちゃってるよ。
晴れの日は晴れだし、
雨の日は雨です。
雨の日も美しいなら、
あの日の憎しみと悲しみも美しいというのか。
殺意と空虚に支配された瞳も美しいというのか。
個人的には美しいと思うけれど。
言われた本人からしたら、
殴りかかりたいでしょうね。
汚いと葛藤する様を美しいと言うのだから。
でもね、美しいんだよ。
自分なりの正解があるんだから。
それを真剣に探しているだけ。
ほら、美しい。
だから、休憩時間に適当に作ったお弁当を食べる様も美しい。
そして、美しくない。