混乱に乗じてさらっと連れ去ってきたはいいけど、目を覚まさない。目を瞑ったまま、規則的に息をする彼を横目に、どうしてこんなことをしでかしたのだろう。
発端は、2時間前にさかのぼる。
バディファイトのワールド対抗試合の、決勝戦。その記者会見で、彼は司会をしていた。黄色のスーツを着て、マイクを持って、出場者に声をかけ、場を盛り上げる様は、もはや芸人か何かに見えたが、こう見えて世界的ダンサーの一員である彼は、それなりのエンターテイメントを心得ていた。
可愛らしい顔をして、マイクを片手に話している姿を見かけて、心が高鳴る。堂々とした立ち姿は、経験を重ねている確かな証だ。見るたびに、トークスキルも上がっている。
窓の外を見ると晴れやかな空と、眼下に広がる超渋谷。ここは、臥炎財閥の持つ一つの高層ビルの最上階だ。隠れ家的な用途として使っている。記者会見が途中で破茶滅茶になり、彼が慌てながら喧嘩を止めてる姿が、心優しい性分を思い起こし、くすぐったく感じた。
「会いたい、か」
あの事件の後、鳴り止まないスマートフォンを解約した。電話番号も変えて、連絡は取っていない。世間から切り離されたように生きていた俺は、この生放送をよく見ていた。彼がテレビでファイトしたのは一度、今日は久しぶりにその姿を見た。コテンパンにのされたはずの彼は、素直に笑顔を見せながら登場し、安心した。
ただ、会いたいと思う。
彼が今いるのは都内、有明。バディスキルを使えばすぐにでも向かえる。しかし。今置かれてる状況のことを思い起こすと、そうはいかなかった。ここを出たらどうなるか。考えても、良いビジョンは見えてこない。ややあって、実直な思いに向き合うことにした。
決勝戦が終わったあと、船上でミラージュカードの暴発が起こった。辺り一面が煙に包まれ、見えなくなる。その混乱に乗じて、会いたかったこいつに会いに来た。煙を多く吸ったのか、ぐったりしている彼は、大会後のインタビューで着るはずの、衣装のシャツを纏って、客室の床に倒れ込んでいた。すんでのところで、バディはカードに閉じ込めたらしい。胸に抱えられたカードは何か訴えようと動いていたが、俺を見た瞬間、はたと動きを止めた。
第2ボタンまで開けられているせいで、肌が見え隠れする。肩が震え、思わず荒く息を吐いた。このままここにいては、共倒れだ。なるべく目を向けないように、彼を抱きかかえ、楽屋を後にする。
暴走はじきに止まるだろう。何せあそこには、未門牙王がいるからな。俺はただ、こいつを救おう。と、そのまま会場を後にして、隠れ家の高層ビルへととんぼ返りした。
つまり、混乱に乗じてさらってきたわけだ。
ちなみに、バディは調査をしてくると出ていった。俺のバディも連れて、きっと元の場所に戻るのだろう。目の前で眠る彼は、変わらず眠っている。何が作用したのか、目覚める気配がない。煩わしそうに寝返りを打ったのをみて、ハッとした。シャツのボタンを留めてなかった。
仰向けになったのをいいことに、寝かせているベッドに座り、ボタンに手をかける。普段は襟付きのシャツなんて着ないやつだから、シャツに体があってないのか?体にぴったしか、少し緩いくらいのサイズなため、自由に腕を伸ばせないのが不快らしく、その度に眉根を寄せていた。シャツ苦手なのか、ならボタンを留めるべきでないな。そっと手を離すが、苦手なら脱がせた方がいいのかもしれない。今度は、まだ留まってるボタンに手を伸ばし、一つずつ外していく。そして、シャツを脱がせると、背中に汗をかいていて、苦しかったのだと気付いた。
「おい、テツヤ」
背の下に手を入れて、体を持ち上げる。汗の匂いと混じってほのかな甘い匂いがする。ぐったりしながら眉間にしわを寄せていたテツヤが、扇情的で、思わず舌を這わせた。
煙は肺まで侵食している。俺の手が届かない体の隅々まで届いて、彼を苦しめている。肛門から十数センチだけ入り込んで、下でどうにか口の中を犯し尽くしても、足りない。表面だけでも、肺の辺りを舐める。今ここがひらけば、すぐにでも煙を外に出してやるのに。
「はっ、ぁっ…」
徐々に欲望が高まってくる。
薄く、でも筋肉のついた胸板を摩った。自身が主張していくのを感じて、空いている方の手が勝手にそこに伸びていく。奥歯を噛み締め、荒く息を吐いた。テツヤは、軽く口を開けて、胸を上下させている。妙に艶っぽくて、舌がチロチロと動くのを目で追ってしまう。キスをするだけじゃ足りない……
「わる、い」
テツヤの口に自身を寄せる。息ですでに限界だった。これが、あたたかな口の中に入っていくのだ。煙を吸った口を、消毒するように。腰を打ち込んでその全てを口内に納める。そして、ゆっくりと腰を振った。
目が覚めたら謝ればいい。こいつのことだ、誠意があれば許してくれる。ただただひたすらに欲望を吐き出してやりたい。俺は、はじめての射精よりも深く、多く、大量に白濁を飲ませた。もちろん、飲むつもりなんてないのだから、溢れるし、逆流するしで、辺りは自分の穢れに塗れる。しかし、どこか満足して、俺はそれを引き抜いた。行為に夢中で全然気付かなかった。俺を、貫くような目で見つめる黒岳テツヤ。緑の瞳がやけに煌めいていた。
「久しぶりに会えたのに」
口をゆすいだ彼は、腕で拭ってこちらを睨む。もう言い訳なんて無意味だ。素直に謝っても、今の彼は拗ねてる。面倒臭いやつだよなぁ。
「それで、カオスなんちゃらはひと段落ついたわけ?オレ、あいつら心配だから帰りたいYO」
「まだ連絡は来てない、ここは一応治外法権だから……」
「ちがいほーけん?」
外国と同じだ。外国と同じだから……何が違うんだYO?法律が日本とは違うんだ。ふぅん。つまり、ここでの犯罪は別の国が裁く。
タオル、と伸ばした手にタオルを渡し、俺は冷蔵庫にあるいくつかの缶を取り出した。蓋を開け、コップに注ぐ。そういうことかYO。と呆れ気味のテツヤだったが、その目は少し興味を含んでいた。
コップに口をつけたところで、テツヤがそばに寄って来る。可愛らしかったから、味あわせてやった。
「お酒……?じゃない、YO」
「ただのジュースだ」
「えっ、じゃあちがいほーけんってなんなんだYO!」
ちゃっかりコップを抱え込んで、怒鳴るテツヤはまるで変わってない。自分の不満とか疑問だとかはうるさくギャーギャー喚いて、一人で混乱してる。構ってほしいわけじゃなくて、天性の、性格なんだろうな。聞かずにいられないんだ。
治外法権なのは本当だ。ここは別の国。巨大な窓を挟んで外は日本で、内側は日本から切り離された場所。あちらに干渉するのも、こちらに侵食するのも決して許されない。ようは牢獄で、あるいは隔離だ。境界線を越えて、触れたい相手がテツヤだっただけ。それだけの理由で連れてきた、会いたかったから。
注がれたジュースを飲みきったテツヤは、ハッと思い出したように俺にまた詰め寄る。今度はなんだ、と目線を下に向けると、やけに赤い顔をしていた。
「さっきの……」
「さっき、」
「寝てるおれにシた、の」
体が強張る。何を言う気だ。
「あれ、犯罪かもしれないけど、ノーカンだYO。だっておれたち恋人じゃんかYO!」
この勢いのまま、爪先立ちになり、思い切り顔を寄せてきた。触れるだけのキスだけど、シャツという普段とは違う服装のせいで、また違ったよさを感じる。
「ね、」
テツヤの髪に手を通す。さっき飲んだのがやけに喉に張り付く。いちごなんてやめておけばよかった。レモンか、オレンジか、何か柑橘系のものの方が爽やかだし、もはやいちごの旬は終わってる。ジュースに旬が関係あるか、なんて話はどうでもよくて、ただ、今は別のものを口にしたい気分だ。
「荒神先輩?」
「いや、ジュースしくったな、と」
「いちご、おいしいYO」
いつまでもキッチンで二人、立っているわけにはいかない。テツヤの肩を押して、それとなく促す。
革張りのソファーにはまだ慣れてない。テツヤは退屈そうに座ると、ぼんやり外を眺めはじめた。日本から離されたこの場所で、俺たちは完全に分断されていた。何かあれば連絡が来る、危険があればすぐ逃げれる、願えば外に出ることもできるし、このまま一生ここにいることも可能だ。
テツヤは外を見ながら、何か考えたようにうつむいた後、ふらふらとこちらを振り返った。まだ何か言いたげだし、不満もあるような顔をしていたが、なにか覚悟を決めたように、「ここにいていい?」と聞いてきた。
まるで獲物が罠にかかるのを待っていたかのような感覚と共に、どうしようもない理不尽を与えてしまったような錯覚が襲う。テツヤが頷いた時点で、もう引き返せない。
「俺が連れて来たんだ、離すわけないだろ」
「なにそれッ、犯罪者だYO!」
「こんなところを隠れ蓑にしてるんだ、しかもここは、外国。表に出れる身じゃない」
「確かにそうだったYO、誘拐しても、余罪だね」
ケラケラ笑って、何度か頷く。笑い過ぎたのか、苦しそうに咳をした。
あの白煙はまだ残ってるのだろうか。胸の辺りをじ、とみつめると、テツヤは困ったように、なに?と言った。傍に座り、あごを掴み顔を上げさせる。それから、もう片方の手をテツヤの胸に置いた。
何が何だか、と言った八の字眉のテツヤの唇に噛み付く。
「っん、……ぅ、」
逃げていく舌を追いかける。自身の息にすら興奮してしまう、我ながら余裕がない。相変わらず胸から手は退けない。消えろ、消えてくれ、消えるんだ。こいつを侵すのは俺だけでいいのに、ただの煙で苦しめるわけにはいかない。
「ひっ、は、ぁっ…ァッ…」
どくどくと鼓動が高まる。テツヤは、少し濁った瞳で俺を見上げた。怖くなって顔を離すと、へぇ、と唇を舐める。テツヤの鼓動はとっくにおかしくなっていて、俺はそれに気づけずにいた。焦点も定まらないし、なにより顔色も悪い。
言動ははっきりしてたし、様子はおかしくなかった、ハズだ。怖くなって、テツヤを見ると、口角を上げて、にこにこと笑ってる。何が目的で、何のために、笑ってるのか。
「てつ、や……」
「先輩、お願いがあるんだけど」
テツヤは、肩に手を回す。胸の高鳴りは、興奮でなくて恐怖だった。俺はゆっくり息を吐いて、どうにか落ち着いて、「なんだ」と答えた。もう言葉を発するのもやっとだ。
「アスモダイがね、やられちゃったみたいだから、助けに行きたいYO」
突然変わったテツヤの様子に、ぼんやりと、友であるキョウヤが言っていたことを思い出した。
「最近、どうもバディにおかしなことが起きているらしい。相棒とシンクロしすぎることで、体調を崩したり、感情がセーブできなくなったり、そういうバグが発生してるそうなんだ。バディファイトで人が死ぬなんてことはあってはならないのに、そのバディファイトでの相棒契約が、まさか人間の身に被害を及ぼすなんてことあってはいけないはずなんだけど。
これは僕の推測だ。でも同時に、かなり近い真理かもしれない。地球は幾度か運命を乗り越えてきている、その反動として、うまくいっていたことがいかなくなる。ようは自然な状態に戻ろうとする働きが、いままさに起こってるのではないだろうか、と。だから、ロウガ…お前は強いから平気だろうけど、あまり相棒と近くなりすぎると、突然プツンと糸が切れて、体を放り出されるかもしれない」
テツヤの体調の悪さは、煙のせいなどではない。相棒システムのわずかなバグによったものに違いない。しかし、この症状が出るということは、多かれ少なかれ本当にアスモダイに危機が迫ってるということだ。
なりふり構わずという風なテツヤを見ていると、思わず溜飲してしまう。まるで昔の俺のようで、焦り、今にも食いかかろうとする姿だ。都会に行き、ぬくぬくとした生活をしている普段とはかけ離れている。相棒システムのバグの恐ろしさを思い知らされ、俺は、興奮しきって、アドレナリンをコントロールできていないテツヤを見るのははじめてだった。いや、ソフィアとの戦いでは、少しそういう気があったか。ただ、ここまでではない。ただならぬのだ。
彼が内に秘めてきた本当の、理性的でない部分が出てしまってるのか、単にバグの影響なのか、考えている暇はもうなかった。今にも殺されそうな、鋭く濁った眼光に、すでに射抜かれている。
「先輩、頼むYO」
「わかった……わかっている、」
革張りのソファーから降りたテツヤは、可哀想なくらい不安定で、バランスを崩し座り込む。それから、しばらくしない内にまた立ち上がって、玄関に向かって歩き出した。
「……悪い、離したくないと言ったろ」
テツヤの手首を無理やり掴んで引き倒す。鈍い音が響き、テツヤは目を閉じたまま浅く呼吸をした。
このまま、目が覚めなくていいのに。
面倒な恋人だな、と我ながら思う。会いたいんだ、俺のエゴ。エゴに最後まで付き合ってくれてもいいだろう。ここにはなんでもある。テツヤを抱き上げて、耳を噛む。それから、寝室のドアに足を向けた。