「他人の歓声がうるさい
…ライブバージョンなんて
意味がわからない」

先日
お呼ばれした友人宅で
そんな話になった。


…確かに
今はデジタル映像の影響もあり
画質も音もクリアだし

インチキ編集やレコーディング技術も
格段に向上してるから

現実的に
ライブにあしげく通うような
現場の音を知るような
コアなファンでない限り

そう感じるかも知れない…。


ちなみに俺は
ライブ盤もライブ映像も好き

今更さすがに
めったには無いが
音を聴いただけでは

『…??!』

となるような
奏法すらわからない演奏を
ライブでまざまざと魅せつける
そんな
怪物プレイヤーが居たり

アルバムには収まりきらない

『現場にほとばしる
緊張感と躍動感
そして感性』

を少しだけ味わえる

ライブ盤には
そんな魅力がある。


実際
ライブ盤が出世作になった
そんなミュージシャンも
昔はかなり多かったし


現代では
野外フェスでの演奏一本で

毎回ライブに
50人はいらなかった
そんな【人間椅子】が

今は毎度ファンで
会場がいっぱいになっている

そんな
【プチ・シンデレラストーリー】
を掴んだオジサン達もいる。


『CDが売れないから
ライブに特化して
集客で稼ぐ』


逆に音楽業界は
先祖がえりしつつあるのかも知れない。



俺の好きなライブ盤

オジー・オズボーンが
87年に発表した

【トリビュート
〜ランディ・ローズに捧ぐ】



今は亡きギタリスト
ランディ・ローズの
偶然発見されたという
生前のライブ音源。

楽器もできないオジーの
音楽界への完全カムバックを果たしてくれた
偉大な立役者(作曲家)で親友の
ギターヒーロー
【ランディ・ローズ】
に先立たれ

誇りも自信も失ったオジーが
死語数年経って
未だ失せない悲しみを

まるで埋め合わせるかのように発表した一枚。



生前ランディは

「ギター少年達の心を掴むのは
結局
派手なプレイなんだ」

と語る


クラシック音楽由来の
構築美に溢れた
(様式美ではない)
積み上げるような楽曲は
実はライブには不向き

…で
ランディがとった方法論は

いわゆる
【インプロビゼーション】
要は
感性の赴くまま
激しく弾きまくる

…彼はライブで
アルバムの再現には
走らなかった。


脚に病気があった(との噂)
細身のランディには
決して
派手なアクションも出来ない

だからこそ
その【音】で勝負に出たのだ


今聴いたら
本作品に於ける
ランディのプレイは
正直粗いし
リズムも
チョイチョイずれている。

でも
そこには
迸るような感性に満ち溢れ

まだまだ上を目指す若者の
誠実な向上心と

穏やかなランディからは
決して結び付かない

「負けてたまるか!」

なガッツが
本作品には梱包されている。


あの
魂を開放するような
ハーモニクスを聞くと

ついつい俺も
また自宅で
真似をしてしまうんだよね…。