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グリーン・キル ※ニルリオ


いっそ清らかなほどに潔く、線は引き千切られる。



視界いっぱいに深い緑の凪ぐ小高い丘へ座り、何の気なしに空を見上げようとして。そうしてとんと背に触れた木の幹へ凭れかかり、薄い欠伸を一つ噛み殺す。町の賑わいを少し遠く離れたアニマルランドには、今日も今日とて喧騒など程遠い、草原のような風景が広がっているだけだ。だが、嫌いではない。騒々しいよりはずっとましだと、いつだったかそう零したらベースを抱えた姿とはあまり結びつかない台詞だと、そう笑われたこともあったものだが。

「……なんだ、お前。今の主人はあっちだろ」

そういえば、ベースを持ってくれば良かったかもしれない。手持ち無沙汰にふとそんなことを思って、けれどきっと、実際に持ってきたところでそうそう弾かないだろうなと思い直して擦り寄ってきた羊に手を伸ばす。綺麗に手入れのされた毛を撫でながら丘の彼方、先ほどまで金色の髪がちらちらと揺れていた辺りを指して言えば羊はメエと鳴き、柔らかい草を探して食んだ。そういえば姿が見えなくなったな、と思い、目を離すとどこへ行ったか分からなくなるだなんて、まるで主人のほうが野生動物ではないかと一人ため息をついた。まあ、そうは言ってもどうせ、そこらの草の陰にでもいるだけに違いないのだが。人に聴かれるのは居心地が悪い。

「結構、慣れてきたんだな。あいつも」

なので結局はこうして、アニマルランドの整備をしたり連れてきた動物を構ったり、そんないつもと変わらない時間を過ごすことになる。傍らの羊をぼんやりと見てそんなことを呟けば、返事のように耳を動かした。ふわりと手触りよく整えられた毛並み。初めの頃はどこをどう切っていいか分からないなどと喚きながら個性的に毛刈りした羊を玄関先まで連れてこられて頭を抱えたこともあったが、そんな話も今では懐かしさを覚えるような、過去の笑い話になってしまったらしい。

「――――――……」

ふとそんなことを思い出して、けれどあのとき、俺はそんな彼女に何と言っただろうかと考えたところで思い出せないことに気づいた。思考を辿っても手繰ることができない、つまり、さして考えずに何かを言ったのだろう。意識するほどでもなく、恐らくはどこをどうしたらこうなるんだとか、分からないなら初めから一人でやるなだとか、自分のことだからそんな類のことを言ったのだろうと思うのだが。
だが、今なら何と言っただろうか。憶えているはずだ、同じようなことを言おうと、全く違ったことを言おうと。意識した言葉は、鮮明に記憶に残る。何やってんだよ、馬鹿だな。仕方ないから、今回は俺がやってやるよ。今回だけ、なんてそんな言葉は忘れたふりをして何度使ったことか。

「……ああ、三時だな」

今回だって、同じ。アニマルランドに着く直前、預けられた目覚まし時計を横目に見て拾い上げ、立ち上がって服の裾を叩く。不思議そうにこちらを見上げた羊の頭にぽんと手を載せ、お前の主人はすごい奴だよ、と心の中で告げる。牧場の仕事を少し残してしまったからいつもより早めに帰りたいと、ふいに凛とした顔で言った、そんな一瞬を思い出す。だから呼びに来てね、よろしく、と時計を押し付けられて、俺がまたそれを仕方ないなと受け入れる前の、ほんの僅かな瞬間の横顔の記憶。

「リオ。時間だぞ」
「あ、ニール。ありがとう」
「ああ……、ってか、お前こんなところで寝てんなよ」

丘を下りて探しに行った彼女は、予想通り案外近くの草むらにいた。もっとも、その状況は想像通りでも何でもなかったが。あの一瞬の様子など微塵も感じさせない、大の字に寝転んだ女を見下ろして腕を引っ張る。唸るが起き上がらない。お前な、と呆れて気を抜いたところで、逆に引っ張られて至近距離に膝をついた。昨夜の雨の名残か、かすかに湿った草が膝を濡らしてひやりとした染みを作る。

「踏んだらどうすんだよ」
「怒るところそこなの?」
「煩い。いいから立て、帰るんだろ?あと背中拭け」

三時だ、ともう一度、彼女の前に彼女から預けられた時計を突き出せば、針が光を弾いたのか眩しいと言って目を細めた。時計を退ければ、空色の目がじっとこっちを見つめてくる。なんだよ、と言えば別に、と言って、けれども彼女は結局自分から口を開いた。

「……動物じゃなくても結構面倒みてくれるんだね」
「お前は同じようなもんだ」
「そこは、お前は特別だ、って言うんじゃ」
「誰が言うか」
「あはは。あのさ、ニール」
「あ?」

空色が、ふと柔らかくなる。こいつのことだ、どうせまたくだらないことを言うのだろうと思うのに、なぜだか目が離せなくて。瞬きを、ひどく長いものに感じた直後、彼女は息を吐くように滑らかに言った。


「―――好きだよ!」


いっそ清らかなほどに潔く、まっすぐな手で。言葉を幾重にも囲むように覆っていた線は引き千切られる。何を、と理解するよりも先に聞き返してしまって、それからすぐに思考が追いついていきなり何言ってんだと吐き捨てた。彼女はやけに楽しそうに、草の上に転がったままからからと笑っている。鼓動を、素手で掴まれたように心臓が熱い。

「っ、笑うな」

何とも言えず悔しくなって金の髪の上に伸びている手首を掴み、覆い被さるようにしてそう言えばようやく笑い声が引っ込んだが、驚いたかのように見えたのも束の間。やけに濃い草の匂いが言葉を詰まらせ、光を遮られて曇天のように翳る空色が、にやり、と笑う。
策に嵌められたような感覚に精々これ以上からかえないようにしてやろうとその唇を塞ぐ寸前、引っかかったな、と囁いた声には聴こえないふりを貫いた。




グリーン・キル

(手のひらの上の反乱)
▼追記

やがては灰となるように ※セルリオ


まるで言葉にし損ねたものだけ、真実であるかのように。



「セルカさん」

いつもの通り、朝食の片づけを済ませてから玄関の掃除をしようと掃除道具に手をかけたところで、屋敷の扉が少し遠慮がちに開いた。そうして覗いた想像通りの顔に、リオさん、と無意識に微笑めばようやく足を踏み入れる。そんなふうに様子を窺いながら入ってくるくらいなら、いっそノックでもしてくれれば自分が開けに行くのにと思うのだが、どうやら彼女からしてみるとそれこそがノックをできない理由のようだから仕方ないのかもしれない。招待客でもないのだから、わざわざ仕事の手を止めて自分の相手をしてくれる必要はないと。そういうものらしい。

「今、掃除の時間でしょ?」
「あれ、お話したことがありましたか?」
「そういうわけじゃないけど。でも、この時間に来るとセルカさん、いつも箒持ってるから。……手伝っていい?」

座りっぱなしは落ち着かないの。私が何か言うよりも早くそう言った彼女に、私もくすりと笑って、それじゃあと予備の箒を差し出した。人が働いている前で、じっとしているのはどうにも居心地が悪い。その気持ちは、私も比較的よく分かる部類の人間だ。
とは言え、彼女の本業はメイドではない。すでに自宅での仕事を一通り終えてのことだろうと思うと、ここへ来てまで力仕事や水仕事は回したくないというのも本音であり。
そんな私情により、屋敷ではこの時間に掃き掃除と決まっている。彼女に話したことなど、当然あるわけもなし。彼女がここへ立ち寄る頃に私がいつも箒を持っているのは、本当のところは偶然でも何でもないのだけれど、それを奇遇という言葉で片づけてささやかに喜び合うのもまた、一方的な私の楽しみであり、日課の一つなのである。

「何度見ても広いわね。私、ここにはもっとたくさんの人が住むんだとばかり思ってたのよ。管理、大変じゃない?」
「そんなこともないんですよ、楽ではありませんが。……それに、ほら」
「?」
「最近は、気の利く手もあることですし」

ね、と言い聞かせるように、箒を抱えて瞬きをした彼女を見つめれば、空色の目が驚きを映したように丸くなった。そうしてそれから、すぐに首が横に振られる。

「嘘」
「いえ、本音ですよ」
「私、掃き掃除くらいしかしたことないのに。これだってお喋りのついでみたいなものだし……、気をつけているけど、大雑把な自覚はあるもの。見てられなくない?」
「いいえ?」
「……優しいんだから」

ふい、と。視線が背けられ、私の目に映るのは彼女の目ではなく横顔になる。わずかに俯いて影を帯びたその頬が微かに赤く見えて、ああ浮かれているな、と心の中で自分に呆れた。嘘ではないのだ、実際に。彼女は気が回るし、そこそこに器用で危なっかしさはあまり感じない。ただ、それ以上に。

「駄目だよ、あんまり私のこと甘やかすと」
「何故です?」
「つけあがっちゃうかもしれないでしょう」
「貴女が、ですか。それは少し、見てみたい気もします」

彼女は、知らないことだろう。私が一日の中で、この僅かな時間を感情の中心において動いていること。整ったスケジュールの中で動く身体の奥にある心臓は、彼女と出会ってからというもの全く別のサイクルで動いている。何それ、と笑った彼女に何も言わず笑みを返してから、声に出さずにそっと繰り返した。貴女は知らないでしょう、それがどれほど、私に一個人として生きている実感を与えていることか。

知らないでしょう、と。心の中でその部分だけが、反響する。徐々に重なり合って聞き取れなくなっていくその言葉に、当たり前だろう、潜めているのだから、と、そんな思考を重ねて打ち消した。口にしてきた言葉に、嘘はない。ただ、それでも。


「――――――……」


まるで言葉にし損ねたものだけ、真実であるかのように。後悔というにはあまりに幼く、真珠のような重みを持って胸へと沈む。底で光り続ける。本当に大切なことほどそうして沈殿させていく自分を、嘲るかのように。忘れられなくなる、伝えきらずに残したものほど。

「……ああ、綺麗になりましたね」
「あ、そう、だね」
「リオさん」
「何?」
「……いいえ。助かりました、有難うございます」

光を映して揺らめく床に、もう行き先のない箒が二つ、薄い影を伸ばしている。差し出されたそれを受け取り、また明日、の言葉さえ思いつかない素振りをした。それじゃあ、と背を向ける直前、彼女の笑みが寂しげに見えただなんて我ながらどれほど。また一つ、胸に真珠が沈むのを感じて目を伏せた。
鳴かぬ蛍が何とやら、とは、よく言ったもの。それでも彼女の灯した火に長い時間を経て焼かれるのなら、それはそれで、一つの恋であるのかもしれないと思った。




やがては灰となるように

(忘れるが先か、焦がれるが先か)
▼追記

エリタヤ ※チハヒカ


夢に見るほどの憧れを抱けるほどの、記憶さえない。



「……ぱ」
「そうそう、惜しいね。もう一回」
「……あのさ、何してるの?」
「え?あ、チハヤさん」

昼食の支度をするために、今朝採れた野菜を少し持ってこようと外へ出て。多分、五分かそれくらいだと思うのだけれど、室内へ戻ってきたらヒカリが娘を抱いてこそこそと何か話をしていた。ぱちぱちと、彼女によく似た顔立ちの中心で二つ、アメジストが瞬く。この不思議な融合、もとい平たく言えば遺伝なのだけれど、それを見つめることには未だ何となく慣れない。

「言葉を、教えてみようかなって思いまして」
「え、もう?」
「どうなんでしょうね。でも、この間ウォン先生にも勧められたんですよ。喋れなくても聞いているから、色々話しかけるようにって」
「ああ……、そういえば僕も似たようなこと、言われたな」

君によく似た女の子がほしい、だとか。古ぼけたお話の中にだって出て来るもんじゃないようだと思っていた台詞を、素で吐いてしまった、そんな僕のあまりに正直な願いを天の神様とやらは聞き届けたのだろうか。生まれた子供を初めて見たとき、なんだずいぶん見慣れた顔が生まれたなと思って、そしてその中に当たり前のように組み込まれている紫を見て。溢れた何かは感情と呼べるような形を成すこともできなかったけれど、僕はきっと、とても嬉しかったのだと最近になってよく思う。色素は年を重ねるにつれてゆっくりと変化を起こすこともあるようだけれど、できればずっと、その目を手放さないでいてくれたら。

なんて、将来の話を考えてしまうのは親の性だよと、話をすることの重要性を説くのと一緒に医者は言った。あの時点ではそんなことを言われてもまるで分からなかったけれど、今ならまた少し、違って聞こえることだろう。家族というものの在るべき形をろくに知らず大人になった僕でも、他者の目から見れば、確かに父親と呼べるだけの何かを持っているように見えるのかと。そういう意味なら嬉しいと、少し素直に思うかもしれない。

「お昼、何ですか?たまねぎ?」
「あのね、僕がそんな豪快な出し方すると思う?丸かじりさせてるみたいな言い方しないでよ、スープにするの」
「わあ、美味しそう。いいですね」
「それと、オムレツかな。玉子、あったよね」
「はい」

娘を抱いているせいか、彼女はあまりキッチンに近づかずに頷く。ちらとその腕の中を見て、小さな手が興味深げにあちこちへ伸びるのを目の当たりにし、僕も苦笑した。彼女もそんな僕の言わんとすることに気づいたのか、目が離せませんよね、と言って笑う。網膜は、大人になるころ日に焼けるものだという。こうして見たもののうちいくつのものが記憶に残れるのかなど分からないとしても、その目に映る世界は今、どれほど綺麗なのか。きっと、手を伸ばしたくなるだけのものがたくさんあるのだ。

「あ、あ」
「ん?どうしたの?」
「え、ああ何、僕?どうし―――」
「……ぱ、ぱ」
「……え?」

ふいに、いつになく一生懸命に伸ばされた手がエプロンを掴んだ。どうしてもというような様子に僕の傍まで歩いてきたヒカリが、その手と僕とを驚いたように二度、三度と見比べる。そうして、短い沈黙を気にも留めずに。小さな声は、言った。

「―――ぱぱ」

驚きに、手にしていた玉子を落としかけて反射的に握り直す。その意味が分からないほど、僕も馬鹿ではない。だがしかしそうは言っても衝撃に変わりはなく、せっかく選んだ玉子を今度は握りつぶしそうになって、結局そっとキッチンに転がした。白い楕円が、ころころと視界の隅を転がって止まる。アメジストは、あまりにも迷いなく僕を見つめて、いる。
やがて堰を切ったようにヒカリがくすくすと笑い、よくできましたと言って娘の髪を撫で。僕はようやく状況を把握し直して一人、驚きやらその他諸々、説明しようにも言葉の探し方さえ分からないような感情を一気に持て余して、何も言えずに思わず目を逸らした。


夢に見るほどの憧れを抱けるほどの、記憶さえない。僕にとって家族とはそんな、誰かの見た夢や通りすがりの話し声のような、現実味のある他人事。ずっと、長いことそうだったのに。

「ね、チハヤさんもいい子いい子してあげてくださいよ」
「……っ、後でね、後で!」

気づけば何だか、我が身の話、だなんて。出来すぎた幸せはどうにも瞼に凍みて、手が汚れているからという理由をつけてシンクに向き直った僕を、ヒカリがきょとんとした顔で見て、それからやたらと悪戯っぽく微笑んだ。




エリタヤ

(いつか君と語るために過ぎる日)
▼追記
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