前回の日記をアップした翌朝(19日)、母の容体が急変したと兄からメールが来ました。

急いで実家へ向かう準備をしましたが、次の便は12時発です。
もどかしい状態です。

数日分の着替えとスーツを用意して、時間が過ぎるのを待ちました。


平成23年5月19日 午前10時45分、死亡確認されました。


あと1日長くいれば立ち会えたのにね…

仕事へ向かう相方と一緒に家を出て、スーツを入れた紙袋を忘れたことに気付いて相方を呼び戻して申し訳なかったです。
まぁ結局、革靴は忘れちゃったんだけど…

「また来週」どころか「また明日」でした。
前日、地元を離れたのと同じ時間に地元へ戻ってきました。
本当にただスーツを取りに戻っただけでした。

家に帰ると安らかに眠る母の姿がありました。
病院で会った時は本当に辛そうだったけど、痛みから解放されて、ようやく家に帰ってきて安心したのかな。

気のせいかもしれないけど、たまに呼吸してる様に見えてビックリしました。

それからは何人も線香あげに近所の人たちが来てくれました。
同級生の母親が来て事情を説明してる時は少し喉が詰まりました。

小学生の頃からオレは若いときに母を亡くすんだろうな、と思っていましたが実際に亡くなると不思議な感じです。

家を出て、成人して、自立してるかは微妙だけど一人前になるまで育ててくれて本当にありがたいです。

母に恩返し、あんまり出来なかったな。
小学生の時に母の日に渡したCD。
中学生の時に誕生日に渡したお揃いのパーカー。
高校生の時に誕生日に渡したブカブカのジーンズ。

今、思い出せるのは…たったこれだけ。
もちろん物をあげるだけが親孝行じゃないけど、ちょっと少ないよな。


ヤバい、泣けてきた。





母に病気の症状が重いことを隠してるから言いたくても言えなかった感謝の言葉。

察しの良い母は感謝の言葉なんて言われたら自分の死期が近いことを察して、生きることを諦めるかもしれないから言えなかった。

苦しそうにしてたから「もっと生きて、頑張って」なんて言えなかった。

ついにカミングアウト出来なかった。


後悔、後悔、後悔、後悔…


自分の死期が近いことくらい自分が一番分かってそうだから言っちゃえば良かったんだよね?

今さら気づいた。

「今までありがとう、そしてこれからも宜しく」的なことをね?






告別式、火葬も終わったので後は49日で遺骨を埋葬するだけ。
来月末には実家へ帰ります、今は仙台の家へ帰宅中です。

前向きに頑張ろう、って気持ちにはしばらくなれないけど…

ちょっと休もう。

なんか文章にするとスッキリするね。
打ちながら涙ダラッダラ流してたのは秘密。



ありがと、おかん。
母、享年68歳。

=だいさ=