スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

始発電車を待ちながら@東京ステーションギャラリー

先月ですが、噂の東京ステーションギャラリーに行ってきました。
パラモデルとクワクボさんが出るだけで私的に見る価値はありました。

東京駅と鉄道というテーマが分かりやすくて、現代美術にありがちな難解さもなく。
かつ、東京ステーションギャラリーの再開に適したテーマで。

展示は凄くよかったので、一部展示替えがあるらしいので、年明けにもう一度行こうと思います。


残念だったのは、まず、パラモデルの出オチ感。
あの展示室いっぱいの≪パラモデリックグラフィティ≫を最初に持ってきたのは勿体ないと思って…。
私がパラモデルが好きだからそう思うのかも。
つかみ的な感じなのか。
ホワイトキューブに言う作家だし、仕方ないとは思う。

あと、私が行った10月頭は東京駅完成したばかりで、かなり観光地化されていたってこと。
アートギャラリーっぼさはない。
なんか見世物っぽくて。
クワクボリョウタ≪lost#8≫とか、監看ボラのおじいちゃんが「左手にご注目ください」とか言っちゃって…。
そういう発見は自分でしたい。


あと、ギャラリーは3階建てなんだが、3階がホワイトキューブで、それより下は東京駅建設当初の赤レンガでできていたり。
重要文化財なんですって。

ガンガン皆触るしフラッシュたくし、大丈夫かよって感じ。
触るなとか書いてあんのに。
そういうのを神経質に気にしてしまうんですよね。

でも次行くときはああいう観光地化も落ち着いて、普通に楽しめると信じてます。
環境は好ましくなかったけど、展示はよかったので。




追記に雑記。
続きを読む

ゴヤ―光と影@国立西洋美術館

知ったときからゴヤ展を楽しみにしていました。
サトゥルヌスで衝撃を受けずっと興味を持っていましたが、作品をこれだけ大量に見れたのは初めてです。
個人的にはそれだけで十分って感じなのですが。

作品はほとんど素描です。
油は数える程度。
なので期待しすぎるとよろしくないと評判です。

あれだけ版画作品の素描や版画そのものを出しておいて、何故物販でゴヤの版画集を売らなかったのかが疑問です。
見つけられなかっただけかしら。


感想をざっくばらんに。

ゴヤは人間の内面をえぐりだす画家だとよく言われます。
見たくないような部分を見せ付けてきます。
戦争とか、悪夢とか、教会の圧力とか。

暴力の表現とかが凄くうまいと感じました。
悲惨ですよ、凄惨ですよっていう演出なしに淡々と悲劇を描いていく。
こんなこともありましたけど、と言わんばかりにさらっと絶望的な光景を描かれる。
それが見てる側としてはかなりずーんとくるのです。

演出されたような凄惨な絵は舞台上の出来事のようで、観者は痛ましいと言いながらも安心して見ていられます。
でもさらっと悲劇を描かれると、現実に起こりうる悲劇のような気がしてきて、空恐ろしくなります。


また、信心と断罪―宗教画と教会批判の11章では、ゴヤの宗教画が見られ、彼が宗教に熱心であることがわかります。
彼が信じているのは教会ではなく神であり、だからこそ教会批判を描くわけです。

修道師批判は最後の14章でも出てきます。
それはやはりゴヤ自身の敬虔さによるもので、だからこそ人間の業を、内面をえぐりだすのだろうと感じました。


あと、ゴヤは動物が下手なのかもしれない。
《猫の喧嘩》では猫が2匹、《日傘》では女性の膝に子犬が乗っているのですが、なんとなく絵本的な動物です。
子犬なんて落ちそうなくらい目が大きい。

絵本的というか漫画的というか、そういったような表現は動物だけでないです。
版画集〈ロス・カプリーチョス〉48番《告げ口屋》では、告げ口してる人の口から光線が出て、相手の目に差し込んでいたりと、なんとなく漫画的というか。



29日までです。

東京アートビート
www.tokyoartbeat.com

淺井祐介個展「草の実」@Ongoing/聞き耳パフォーマンス

淺井さんの個展に行ってきました。

去年の夏にあざみ野で制作ボランティアに参加させて頂いたつながりで、今回個展のお知らせが。
ありがたいです。
せっかくなのでオープニングにお邪魔してきました。


淺井さんは、展示をしょっちゅうやっているけど、なかなか関東に帰ってこないためあんまり展示を見れないイメージです。
ちょっと前まで都現美でワークショップやったり、地下のNadiffのとこでちょこっと展示したりしてましたね。
展示だけ見ました。

今は熊本の現代美術館で、蔡國強の隣に展示されてるそうです。
すげーな。
曰く、一人だけ若すぎるそうです。笑


さて、展示の感想ですが。

まず、迫力がすごい。
2階のインスタがすごすぎました。
黒いA5くらいの紙で埋め尽くされた壁全面に小麦粉で描かれてます。
照明の暗い感じとか、絵の雰囲気とか、なんとなく原始美術っぽい。

1階のカフェのところも、淺井さんの世界観に染められ。
東洋的で、原始美術的で、描かれてる世界は桃源郷っぽい。

東洋的なのは画風だけではなく、展示が終わったら見れなくなってしまうという点です。
泥絵シリーズやマスキング・プラントもそうで、展示期間が終わったら消されてしまいます。
今回は紙を繋げているので、その紙が解体されてしまいます。

それは淺井さん自身が残すことより描くことを優先しているからです。
西洋の伝統的な芸術の概念でいえば作品の永続性は芸術に必須条件ですが、日本は生花などの瞬間性の美を重んじます。
その瞬間性が淺井さんの作品の魅力であると思います。



淺井さんと斎藤祐平さんのユニット聞き耳のパフォーマンスも見てきました。
木枠に張った透明シートの両面からドローイングをしていくパフォーマンスです。
これ、すっごく格好良かった!

淺井さんが植物など森的なイメージを描いていくのに対して、斎藤さんは人を描きます。
この東西の対比のような組み合わせ、白と黒で描かれるドローイング、そして偶然でしょうかお二人の服が黒と白のTシャツでした。笑

何よりも対比的だったのはそのパフォーマンスです。
シートの両面から描いているということは、両面から筆圧がかかります。
立てた木枠は左右に傾き、あるいはわざと押し合い、格闘のようでした。
格闘のようですが、やっぱり共同作業で。
その格闘と共同作業という対立するものを内在したパフォーマンスでした。
すごく格好良かった。




会期は5/15までです。
http://www.ongoing.jp/

VOCA展2011 現代美術の展望―新しい平面の作家たち@上野の森美術館

まず、VOCA展とは何かって話からします。
展覧会タイトルからでは何の展示かが推測できないので。

全国の美術関係者(学芸員、ジャーナリスト、研究者など)が40歳以下の若手作家が推薦し、その作家が平面作品の新作を出品するという方式による展覧会です。
なんと今回で18回目だそうな。

これの協賛が第一生命で、VOCA賞、VOCA奨励賞受賞作品を所蔵し本社ロビーや第一生命ギャラリーで展示しているそうです。



さて、展示の感想ですが。
まず全体のレベルの高さに驚きました。
平面作品がただ並べてあるんでしょ、って感じにナメてかかっていたのですが。
かなり多様な作品群で見応えもありました。

私ですら知ってる名前もちらほら。
六本木クロッシング2010に出ていた青山悟さんや雨宮庸介さん、赤坂アートフラワーに出ていたパラモデルなどなど。


受賞した作品で一番好きなのはVOCA奨励賞後藤靖香《あきらめて》です。
船の乗組員が船から身を乗り出し顔を歪めて水のなか何かを探すようにしているのを、後ろから伸びてきた手に押し留められている絵です。
画風は古い時代の漫画のようでした。
(詳しくないですがイメージ的には60年代くらいのガロみたいな…)

印刷物ではその魅力がちっとも伝わってきませんでしたが、実物の大きさやオーラからかなりの迫力を感じました。
こういうのがベンヤミンの言っていたアウラなるものですかね…?



会期は30日まで。
というか明日まで…。

東京アートビート
www.tokyoartbeat.com

高嶺格「とおくてよくみえない」@横浜美術館

会期最終日の20日に行ってきました。
本当は今月の第3週くらいに行くつもりだったのですが、震災の影響で横浜美術館が閉館していたためやむなく最終日に。

横浜美術館が横浜市の中でも停電しない地区なのに閉まっていたのは、職員が出勤できなかったからだそうです。
会期ラスト2日だけでも開いてよかったと思います。
展覧会は1回限りなので。



高嶺さんは去年の六本木クロッシングで《ベイビー・インサドン》を出していて、凄く印象に残っていました。
(今回も出展されていました。)


展示室を丸々使った大型のインスタレーションが2点。
《A Big Blow-job》は生活感あふれる暗い部屋に何か文章が書いてあって、スポットライトが当たったところのみ文字が見えるというもの。
ライトの動きが生きもののようでした。
文章の内容は吉岡洋の「新共通感覚論」という小難しいテキストでした。

もう1つは《とおくてよくみえない》という展覧会タイトルそのままな作品。
スクリーンに写し出されるのはシルエットなのでよく見えない。
あんまりよくわからなかったけど、詩が印象的でした。


今回私が一番気になったのが〈緑の部屋〉シリーズ。
展示室に入ってすぐの《戦争》のような幾何学的抽象画もあれば、《フェルメールの寓意》のようなフェルメールの《地理学者》を模倣したようなものも。
今回唯一の平面作品ですが…

不粋だ野暮だと言われるのを覚悟で言いますが。
これ、去年の夏に市民から募集してた毛布ですよね?笑

最初の方は普通に見てたのですが、キャプションを読めば読むほど胡散臭い。
というか、キャプションが美術史的であればあるほど胡散臭い。


この作品については、色々なことが考えられて面白いと思いました。
以下、私が徒然と考えた3つを徒然と書きますが。

まず、レディメイドの問題。
デュシャンからのかなり正統派な流れだと思いました。
レディメイドで作者は手を加えていないものを美術館に飾る。
そして、いかにも芸術品ですって顔をさせる。
デュシャンは便器にサインを入れることで芸術品面させましたが、高嶺さんはキャプションをつけることで達成しました。

次に、美術館での鑑賞の在り方の問題。
この作品はこれらを「ふーん」とか「へぇ」とかもっともらしいことを言いながら見ている鑑賞者が居てこそではないかと思います。
これはいわば「絵画のまがい物」であって、そのまがい物に気付かない鑑賞者。
つまり、見ている様で見ていないわけです。
私もキャプションの違和感に気付かなければ、あるいは去年横浜美術館が毛布を集めていたことを知らなければきっと、毛布だとか思いもしないでしょう。
よく見れば明らかに生活感漂う毛布だったりするにもかかわらず、「美術館には本物が飾ってある」という先入観故に盲目になるのです。
あるいは、美術史の知識がまるでなければそれっぽいキャプションが付いてるために盲目になる。

最後に、どんなささいな絵でも大なり小なり美術史から影響されているということ。
歴史は現代に至るプロセスですから当然なんですが、忘れがちなので。
この作品ではキャプションが胡散臭いと言いましたが、どう胡散臭いかというと誇大広告っぽい。
それって要は些細な美術史的特徴を拾って堂々と書いているわけですよね。
家庭にある毛布なんて大体が何でもないような絵だったり柄だったりするにも関わらず。
そんなものからも些細ながら美術史的特徴は見当たることが純粋に面白いと感じました。




さて、遅筆なために最終日から結構経ってしまいました。

中谷ミチコ展を横浜美術館内のスペースで同時開催していました。
凄くよかったです。
作品数は展示室1つ分程度ですが、入場無料。
会期が延びて明日で会期終了ですが、お近くの方は是非。
前の記事へ 次の記事へ
プロフィール
Sさんのプロフィール
性 別 女性
年 齢 34
地 域 神奈川県
職 業 フリーター