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オルセー美術館展@国立新美術館

先月に行きましてずっと感想は放置…。
金曜の夜に行ってきました。
夜にしては混んでいました。

しかし7月半ばにマン・レイ展に行ったときはオルセー目当ての長蛇の列が。
2時間待ちだとか。
オルセー人気ナメてました。

せめてもの救いは冷房が効いたところだったことでしょうか。
東博や西美のような炎天下だったらと考えると…。



さて初っぱなからドガ、モネ、シスレー、ピサロ。
シニャック、スーラ、セザンヌ、ロートレック、ゴッホ、ゴーガン・・・と続きます。
なんだそれ、豪華すぎだろう。
しかも半分も行かないうちからこんな調子です。

そういえば、初めて知りましたが、モネの《日傘の女》は第8回なんですね。
もっと前かと思ってました。


かなりのボリュームで、章ごとの解説パネルはなく、その代わりに作品リストに解説が書いてあります。

全10章
1.1886―最後の印象派
2.スーラと新印象主義
3.セザンヌとセザンヌ主義
4.トゥールズ=ロートレック
5.ゴッホとゴーギャン
6.ポン=タヴェン派
7.ナビ派
8.内面への眼差し
9.アンリ・ルソー
10.装飾の勝利

4章と9章は章立てしてありながらも2、3点しかないです。


これより前の時代か、これよりちょって後の時代が好きで、実はあまりこの時代詳しくないのですが。
気になった作品をいくつか。


ジョルジュ・レメン《ハイストの浜辺》
これは第2章のスーラと新印象主義に出てる作品です。
新印象主義の点描のなかでも極めて細かい部類ではないでしょうか。
細かい点描だからこそ遠くから眺めたときのグラデーションが素晴らしかったです。

そして新印象主義を見ながら思ったのは、印象主義が感性や感覚による自由な筆触で描いたのに対し、理論に基づいた色彩の配置でとても装飾的でした。
芸術っていうより、装飾というか。
ここには装飾が芸術かという問題が出てきてしまってややこしくなりそうなので深く掘り下げませんが。
端的に言えばお家に飾ることができそうで、飾ってあってもおかしくないような雰囲気。
モネのほぼ抽象画のような睡蓮を飾るのはなんとなく抵抗があるけど、これなら飾れそうというか。

セザンヌ《セザンヌ夫人》
これは去年か一昨年に横浜でやっていたセザンヌ主義展にも出展されていたように思います。
夫人とか言われなければわからないガタイの良さ。
胸より上が男性のようで。
セザンヌの絵画理論(自然を円柱と円錐と立方体のように描く)そのままだと思いました。

ヴァン・ゴッホ《アルルのゴッホの寝室》
やっぱりゴッホが格好いいって話なんですが。笑
パースが狂ってて、空間はものすごく歪んでるんだけど、しかもその空間の歪みを強調するようなタッチだったりするんだけど。
でも意外とモチーフは写実的に描かれていました。
ゴッホ格好いい。

ボナール《白い猫》
ナビ派の章にある絵です。
平坦な色面を使うのが大好きなナビ派。
気持ち悪いくらい手足を引き伸ばされた白い猫の絵です。
しかし独特の愛嬌がある、頭に残る絵です。

フェリックス・ヴァロットン《ボール(ボールで遊ぶ子供のいる公園)》
こちらもナビ派。
フェリックス・ヴァロットンの描く絵はなんとなくジブリを彷彿とさせる絵でした。
わたしはボールで遊ぶ子供がメイちゃんにしか見えませんでした。
赤いボールが差し色になって画面を引き締めていました。

あとはモローの《オルフェウス》がただただ美しかったです。



会期は8/16まで。

東京アートビート
www.tokyoartbeat.com


そういえば出展数115作品のうち114作品が載っている神的なクリアファイルがあります。
買いましたが、載ってない1作品はなんなのか未だにわかりません。

最近、美術の場に興味があります。

そこで何故この場でその展覧会をやる必要があるのか、何故その作家なのか、何故その作品なのか。
それら全てが明確でなければならないわけではないけれど、そしてそれら全てを考えるには私の頭がちょっと足りないようだけれど。
でも、それらが全くちぐはぐだと見ていてなんだか気持ちが悪くなります。
この前のボストン美術館展がまさにそうだと思います。

あんまり美術館だと何故この場で云々は考えませんが、アートプロジェクトとかだとそれは結構重要なのではないかなぁと。
その地域で何故その展覧会をするのかは大事なことで、だから町興しとかの名目で廃墟使ってやるアートプロジェクトが流行ってるんだろうけど。



話は変わりますが、つい今しがた淺井祐介さんのお話をうかがってきました。
2008年の赤坂アートフラワーに出ていらして、旧赤坂小学校の入り口に泥絵とマスキングプラントを展示していた作家さんです。
過去記事さかのぼったらちょろっと感想を書いてました。
作家名って結構すぐ忘れてしまうんですが、あの展覧会で唯一作家名と作品名を一致して覚えていました。
今年の夏秋に行われるあいちトリエンナーレにも出展なさるそうです。

横浜市民ギャラリーあざみ野(どうやら市民ギャラリーの分館的な存在のよう、横浜市は文化事業に力を入れていて羨ましいかぎり)では、夏に毎年こどもギャラリーというのを開催していて。
平たく言えばこども向けワークショップや参加型の展示を市民ボランティアとともに作り上げるといったところでしょうか。
今年は淺井さんが出るとのことで参加したいなぁと思いまして。
今日はそのボランティアさんたちが淺井さんからお話を聞いてプロジェクトを理解するといった趣旨でした。


お話を聞いて思ったのは、場をかなり大切にされているなということ。
もちろん、どの作家さんでもどこに何をどうやって展示するかを考えるのでしょうけれど。
淺井さんは画家でありながら作品形態はインスタレーションのものが多いので、紙やカンバスに描く画家さんよりは場を大事にしなくてはいけないのかもしれません。
泥絵は壁に泥で描いたものだから会期が終わればスポンジで落とされてしまいますし、マスキングプラントもマスキングテープを壁などに貼っていった作品なので会期が終われば剥がされてしまいますし。

今回は子どもを対象にした展示で、しかもマスキングプラントに子どもたちが自由に付け足していくことができるものになる予定です。
そして市民ボランティアが制作まで関わってくる。
ということは作品と場の関係と同時に作品と人の関係も出てきます。

その辺りがうまくいくと、面白いものになるんじゃないかなぁと勝手に期待しています。
あ、なんか全然まとまりませんね。
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自分の将来について本気で考える

将来はアートと社会をつなぐ人になりたいです。

これは前からぼんやり思ってましたが、就活準備とかで将来のことをしっかり考えなきゃいけなくなって、やりたいことが明確に見えてきての結論です。
すっごい抽象的なのですが。

可能であれば学芸員になりたいと思っていましたが、学芸員はちょっと違うんですよね。
彼らは調査研究がメインで、研究発表としての展覧会なので。
フリーでキュレーターをやるなら話は別かも知れませんが、フリーで何かやる度胸も金もないです…。


大学の2年とちょっとの間で得た知識は微々たるもので、自分で多少本を読んだりボランティアに参加したりはしたけど、やっぱり浅学だと思います。
なんていうか、教養って感じ。

先日、アート関係の人間が沢山集まるホームパーティー?に行ってきたのですが、本気の人間はとことん本気で。
私と同い年でも自分で企画立ててキュレーションしてたりして、そこまでの技能と知識が私にはないなと思いました。

節操なく色んなことをやったから広く浅くになりがちだったとも言えるかもしれないけど。


女なんだから資格を取らねばと、司書資格を取るため図書館学を学んだり。
アルバイトに塾講師をしたり。
おかげでボランティアに行く時間が削られたり、課題やレポートが全体的に中途半端になったり。
図書館学は一時期本当に辞めようかと思ったんですが。

ただ、それらが全く無駄だったかというとそうでもなくて。
図書館学は文化・教育でどれだけ予算が削られているか、人々に興味を持たれていないかを色々なところで聞かされたし、結構博物館学と通じるところがありました。
富山の天皇コラージュの問題とかはもろにかぶってるし。

塾講師のアルバイトは、子どもの接し方とか、わかりやすい説明の仕方とか、今の子がどんなこと考えてるかとか、得るものは沢山ありました。


それで単純に思いついたのは主に子どもを対象としたエデュケーターです。

今の日本国内の文化状況はかなり悪いと思います。
地元に美術館があること自体知らない人間が沢山おり、美術館が好きだと言えば「マニアックな趣味」「ネクラ」「人と話すの嫌いなの?」などと言われ、サブカルが好きといえば「オタク」とか言われて「リア充」から偏見を持たれる。
どことなく体育会系な日本社会。

まぁ、スポーツも文化だけど。
盛り上がるのはスポーツと芸能(伝統文化は除く)くらいでしょうか。

こういう状況を正してくれるのは子どもじゃないかと。
正すというとおこがましいけど、子どもがいなきゃ文化は育たない。
なのに今の子は文化の最も基礎的な部分である言語(日本語)ですらあやしい子だっている。
だから子どもを対象にしたワークショップとかしたいなぁ、とか。

しかしエデュケーターを置いている美術館なんてなかなかないですよね。
金沢21世紀美術館とか水戸芸術館あたり?

なんにせよ、私にはそういうところに就職するには熱意が足りないと思います。
そこに就職したい人間は、私なんかよりもっと熱意があるんだと思う。

別に私は就職先は美術館じゃなくてもよくて、エデュケーターでなくてもよくて、どんな形でもアートと社会をつなげたらそれでいい。
究極アートでなくてもよくて、ないがしろにされているような文化と社会をつなげたらいい。
そりゃもちろんアートがいいけど。

そういう事がしたいならNPOも就職口の一つとは思うけど、どこも資金難だろうし採用とかあるのかなぁ。
なんにせよ、この御時世不安になるばかりです。

古屋誠一「メモワール.」@東京都写真美術館

1985年に自ら命を絶った妻クリスティーネを撮影した写真集『Memoires(メモワール)』から始まったら「メモワール」主題の集大成となる展覧会です。
展覧会タイトルにある「.」は文字通りメモワール主題にピリオドを打つためだそうです。


記憶というものは往々にして良いものにしろ悪いものにしろ時間によって美化されるものだと思いますが、本当に美しかった。

あと、少し悲しくなりました。
他人の記憶を覗き見しているような感覚になりました。
自分の懐かしいアルバムを見ているような錯覚を起こたというか。

自分が古屋誠一の視点に立って、自殺した自分の妻を見ている気になってきて、私は彼女のことを何も知らないけれどすごく懐かしく感じたり、悲しくなったり。
写真で泣きたくなったのは初めてです。

展示の構成やデザインでここまで人間の感覚や感情に訴えることができるのかと驚きました。


クリスティーネさんが綺麗な人なんですよね。
息子である光明さんの幼いとき写真はすごく愛らしいし、一緒に写ってる写真はすごく幸せそうだし。
その彼女を年代順に見ていくと徐々に病的になっていくんです。
それら写真がすべて彼女の自殺という一点に向かっていて、それがまた悲しい。


そんなわけで、この展覧会はどこまで古屋氏に感情移入できるかがミソだと思います。



会期は7月19日まで。

東京アートビート
www.tokyoartbeat.com
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プロフィール
Sさんのプロフィール
性 別 女性
年 齢 34
地 域 神奈川県
職 業 フリーター