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佐村河内氏の問題を取り巻くネット上の声から芸術への無理解を感じる

ついに2013年は更新せず。
今後も気が向いたら更新スタンスだろう。


そんなことより本題。
音楽は畑違いだから、もしかしたら検討違いなのかもしれないけど。
でも芸術という共通分野なので。

佐村河内氏の問題を今更ながら調べてみた。
テレビをつまみ食い的に見ていただけだったからよくわからなかったし。

ちょろっと調べてみた結果、個人的にはあれら作品群は佐村河内クレジットで問題ないと思っている。
理由としては新垣氏がそれに抵抗を感じてないことと、新垣氏の感覚では彼との共同作品であり、佐村河内氏がプロデューサーなこと。


さてネット上で結構見かける語調は
問題発覚前に絶賛しているやつは騙された馬鹿共
的な。
直接この言葉を使っていなくても、「騙された」という感覚はなんなのか。

今回の発覚で破壊されたものは、作品そのものではなく、それに付随する物語でしかない。
全聾の作曲家が絶対音感を頼りに作った、という物語が壊されたにすぎない。
そして、偽りの物語で売り出されていたという物語が新たに付随したにすぎない。
もはや物語がアップデートされたにすぎないというか。

つまり作品そのものは変わらない。
音楽を聞いて素晴らしいと思ったなら、関係ない。
仮に騙された、つまり物語に目を眩まされて素晴らしくないものを素晴らしいと思ってしまったなら、それは逆に鑑賞態度の問題でしかないと思う。
作品の責任ではない。

あるいは、演出に騙されたということか。
つまり、全聾が演出だったという。
しかし演出なんてものは現代ではよくあることで、ウォーホルだって青白い顔してなかったら有名になってないかもしれないじゃないか。

そういった物語と作品そのものを分けて考えることなく、物語が虚構なら作品も虚構であるという芸術への無理解、
そして思考を放棄して言いたい放題の野放図的な状態、(たぶんネットはそういうとこなんだろうけども)
それが個人的には腹立たしい。

「純粋芸術」とか「オリジナリティ」といった曖昧な言葉を使わずに、佐村河内名義の作品を芸術としていかなる問題があるのか論じている人を私は見つけられなかった。
個人的には現代において「純粋芸術」「オリジナリティ」なんて死語だと思っている。
あ、でももしかしたらクラシックの分野ではまだ健在なのかもしれないけど。


あと、絶賛した批評家への失笑。
その基本的なスタンスとしては
この物語が嘘でも絶賛できんの?
といったところか。
物語が嘘なのは批評家の問題ではなく、作家本人の問題で失笑の対象を間違えている。

批評家の役割はざっくり言えば第三者として好き勝手言って、作品を評価される土俵に上げることだと思う。
少なくとも、作品そのものから物語を読み解く特殊能力者ではない。
たとえ批評の中で、作品から作家の物語を感じ取って、というような言い回しをしていても、それはあくまでレトリカルにしているだけで、
音楽から「この作曲家は全聾だ!」なんて読み解けるわけがない。
物語はもちろん作家のプロフィール等から知るわけだ。

「考えるな感じろ」的な芸術の神格化。
物語を感じ取るなんて神話以前の妄想だ。

先に触れた鑑賞態度の問題。
物語を知った上でその物語をなぞるように、あるいはそれを見出だそうと鑑賞するのは、作品がおかずで物語がご飯みたいな話だ。
でもそういう鑑賞をしたがる人は多い。
批評家のように、作品そのものから物語を読み解く特殊能力はないから、その疑似体験として物語の正解を知ってからその正解をなぞるように鑑賞したがるというところか。


「騙された」の正体はこれで、つまり
佐村河内氏が全聾で絶対音感を頼りに作曲をしているという物語をなぞるように鑑賞をして素晴らしいと思っていたのに、その物語はそもそも嘘であった。
絶賛した奴騙されたざまぁ、というところか。


もちろん、芸術としての是非と、社会的な是非は別物なので。
作品として問題ないから、社会的に問題がないとは言いません。

始発電車を待ちながら@東京ステーションギャラリー

先月ですが、噂の東京ステーションギャラリーに行ってきました。
パラモデルとクワクボさんが出るだけで私的に見る価値はありました。

東京駅と鉄道というテーマが分かりやすくて、現代美術にありがちな難解さもなく。
かつ、東京ステーションギャラリーの再開に適したテーマで。

展示は凄くよかったので、一部展示替えがあるらしいので、年明けにもう一度行こうと思います。


残念だったのは、まず、パラモデルの出オチ感。
あの展示室いっぱいの≪パラモデリックグラフィティ≫を最初に持ってきたのは勿体ないと思って…。
私がパラモデルが好きだからそう思うのかも。
つかみ的な感じなのか。
ホワイトキューブに言う作家だし、仕方ないとは思う。

あと、私が行った10月頭は東京駅完成したばかりで、かなり観光地化されていたってこと。
アートギャラリーっぼさはない。
なんか見世物っぽくて。
クワクボリョウタ≪lost#8≫とか、監看ボラのおじいちゃんが「左手にご注目ください」とか言っちゃって…。
そういう発見は自分でしたい。


あと、ギャラリーは3階建てなんだが、3階がホワイトキューブで、それより下は東京駅建設当初の赤レンガでできていたり。
重要文化財なんですって。

ガンガン皆触るしフラッシュたくし、大丈夫かよって感じ。
触るなとか書いてあんのに。
そういうのを神経質に気にしてしまうんですよね。

でも次行くときはああいう観光地化も落ち着いて、普通に楽しめると信じてます。
環境は好ましくなかったけど、展示はよかったので。




追記に雑記。
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猛省

放置しすぎました。
ついったーに入り浸ってました。

メモのメモを消そうかなと考えてます。
今はほぼついったーがその役割を担っているので。
結局あんまり活躍しなかったな。

放置してる間に、大学を卒業したりフリーターになってみたり、英語の勉強に頓挫したり、圧倒的時間のなさに愕然としてたりしました。
時間がないのはフリーターだから余計に。
働かなかったらそのまま生活費に直結するため、休日とか減らしたいとかやってたら、美術館には行けないわブログは書けないわ本は読めないわで精神が死にそうです。
働かなかったらお金なくて美術館にも行けないし。
生きていく困難さを実感してます。


卒論の内容も忘れないうちにブログに簡単に書きたかったんだけど、半年以上前の話で記憶が定かじゃない。
読み直しつつまとめたいなぁ。



最近のこと。

■ワタリウムで29日までやってるひっくりかえる展を見て猛烈にたぎりました。

芸術は感じるものだから〜とか抜かす奴らが大嫌いな私ですが、考えさせる展示でとても良いです。
感じるものだと思考停止をしていては、まったく楽しくない展示だと思います。

世界をひっくりかえすためには世界を知らねばならないのですね。
今生きてる社会がどんな基盤のうえに成り立ってるか知るために美術館に行こう!

ちなみにChimPomは食わず嫌いでしたが、とても楽しげな集団でした。
昨日うっかり『芸術実行犯』を買ってしまい、楽しく読んでます。


■昨日は新美に具体展を見に行きました。

めちゃくちゃ空いてますけどめちゃくちゃオススメ。
三種の神器が出てきて喜んでる時代に田中敦子の《電気服》とかなんて格好いいの!
できれば今日中にブログに書きたい。


■美術手帖7月号のデミアン・ハースト特殊がよかったです。

アートの力を信じていて、それによって生死について必死に考えているのが素晴らしいと思いました。
そして冒頭のエディターズノートに共感。
余暇として芸術を消費するのではなく、世界を知る契機として鑑賞したいし、そういうものであってほしいです。



そんな感じ。

イタリア13日間E

いつの話だよって感じですよね。
筆不精すぎてもう…。

というわけで10日目から最後まで。
実質12、13日目は帰るだけなので。



■9月1日 ローマ

午前バチカン市立博物館、午後ボルゲーゼという1日。
大規模美術館を2館回るのはきっつかった。

●バチカン
バチカンは国だとかそんなこと言われましてもというのが正直な感想。
島国住まいな私には国のなかに国ができるのもすごく不自然に感じるし。
行ったらわかるかなと思えど、行ったら余計わからなかった。

そもそも何事もでかいのですよ。
そりゃプロテスタントとか起こるわみたいな。
だから何がどこまでバチカン市立博物館だったのかよくわかっておりません。
なのでバチカンでひとくくり。
システィーナ礼拝堂はバチカン市立博物館内だったの…?

システィーナ礼拝堂は見てて首が痛くなった。
見ていて首が痛くなるのだから、ミケランジェロの苦労なんかもっとだろう。

あとはレオナルドの《聖ヒエロニムス》が素晴らしい。
浅学ながら私の知るかぎりの聖ヒエロニムス主題の絵画作品のなかで、最も格好いいと思う。

彫刻はラインナップが美術史の教科書でしかない。
《ベルベデーレのアポロン》、《ラオコーン》、ミケランジェロ《ピエタ》。
《ラオコーン》格好よかったなぁ…。
《ピエタ》は美しかった。
なめらかな肌の感じとか。

教会がひたすらに大きくて体力を持ってかれた。

●ボルゲーゼ美術館
ベルニーニとカノーヴァに全部持ってかれた。

ベルニーニ《アポロンとダフネ》
美しすぎる。
石で出来ているとは考えがたいほど柔らかい人体の皮膚。
細かすぎる月桂樹の枝。
あれ別の場所に展示しようとしたら破損するだろうなぁ。

ベルニーニ《ハデスとペルセポネ》
ペルセポネの皮膚に食い込むハデスの指。
ハデスの髪が引っ張られることによる皮膚の引きつり。
人が行為の途中でそのまま石になったかのよう。

カノーヴァ《パオリーナ・ボルゲーゼの肖像》
ベッドのふかふかさが石だとは思えない。
シーツが柔らか。
横たわる人体よりシーツが美しく感じた。


その後、一旦ホテルに帰って休憩して、教会巡り。
カラヴァッジオの《ロレートの聖母》《聖ペテロの殉教》《聖パウロの改宗》を見た。
《ロレートの聖母》が好きだった。



■9月2日 ローマ

一日中自由行動の日。
最終日でもあるので土産物なども見つつで、美術館あまり回らなかったです。

●バルベリーニ美術館
18世紀以降のイタリアでは、あまり美術は栄えないんだなぁと。
バロック以降知る画家なし。
ただ、どれも明るい色彩だった印象がする。

カラヴァッジオが好きだなぁ。
《ナルキッソス》とか、本当に美少年だし、絵画そのものも美しいし。


●サンタ・マリア・デッラ・ヴットーリア教会
ベルニーニ《聖テレサの法悦》
ひたすらに美しかった。
もちろん写真でも美しいんだけど、やっぱりその場との調和というものも作品を美しく見せるものなのだなぁと。

これがあまりにも見たくて、ここに行かせてくれとローマ自由行動の予定を立てるときに真っ先に友人に頼んだ。
感激も一入。


メモを見ながらこの記事を書いているのですが、この日はこれしか回ってないようです。
何してたんだっけ?
あ、そうか、迷子になったりしてたのか。


そんなわけで、9月3日にローマ発、9月4日に成田着でした。
防備録どころか忘れつつあるのを思い出しつつという有様。

おそまつさまでした。

イタリア13日間D

8日目9日目。

■8月30日
フィレンツェ→アレッツォ→モンテルキ→サンセポルクロ→アッシジ

マニアックな都市ばかり廻ると思ったら、この日はピエロ・デッラ・フランチェスカ巡り。
こういう普通のツアーでは行けなさそうなとこに連れていってもらって、行ってよかったなと思う。

フィレンツェを早朝に出てアレッツォへ。
●サンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会
次のサン・フランチェスコ教会の予約まで時間があるからと連れていかれたロマネスク建築。
たまたま入ったら中にピエトロ・ロレンツェッティの作品があった。

●サン・フランチェスコ教会
ピエロ・デラ・フランチェスカ《聖十字架物語》。
聖十字架物語自体が珍しい主題。面白い。
アダムの口に樹を植えて、それが最終的に聖材となる的な内容。
ピエロのコの字型の空間にまず圧倒される。
聖材の運搬の場面では木目がやたらときれいに描かれてた。
フレスコの剥落が結構あった。
あと、別作品で作者不明だが、教会内にある受胎告知の絵では、ガブリエルが百合を持っておらず、シモーネ・マルティーニの受胎告知のように百合らしきものを花瓶に入れてたのが印象的だった。
よくある表現なのかしら。

●ドォーモ
ゴシック教会。
ステンドグラスが美しい。
自由行動でたまたま行っただけだが、ピエロの《マグダラのマリア》があった。
でも香油壺がステンレス製にしか見えなかった。


そしてモンテルキへ移動。
●出産の聖母美術館
ピエロ《出産の聖母》
ピエロから有元利夫が影響を受けたという話に納得。
有元利夫作品の明るいとも暗いともいいがたいあの雰囲気に似た雰囲気がすごく。
人物が何考えてるかわからないというか。
存在が先行しているというか。


モンテルキは小さな町でここ以外見るところはなく、そのままサンセポルクロへ。
●市立博物館
ピエロ《ミゼリコルディアの聖母》
親しみやすい顔してる。
すがる対象となってるからか。
背景は中世的な金箔。
ピエロ《キリストの復活》
対角線構図だとか禿山と茂みが対比されていると解説されたが、そういわれてもあんまりよくわからない。
言われてみれば、ああそうかもねとは思ったが。

余談だが、サンセポルクロは空がピエロの描く空にそっくりだった。


一通りピエロ作品を見終え、巡礼の町アッシジへ。
個人的にはすごく好ましく思った町。
中世都市でいい雰囲気だし、巡礼者ばかりだからか穏やか。
サン・フランチェスコ教会はふらっと散歩しただけで、翌日また行く。



■9月1日
アッシジ→ローマ

午前中はアッシジ。
アッシジが今まで行ってきた町で一番好きだ。
人は親切だし、ホテルの食事は家庭的な味だし。
旅の疲れをこの都市で回復したような。

●サン・フランチェスコ聖堂
ジョット、シモーネ・マルティーニ、チマブーエ、ピエトロ・ロレンツェッティと中世後半の大御所勢揃い。
どの作品がどうだとかより、まず何より空間がすごい。
ステンドグラスが美しすぎる。
主題は何かとかどうでもよくなるくらい美しい。
天井から壁までフレスコ画で覆われて、荘厳な雰囲気。

ただ、結構剥落は多い。
国際ゴシックの時代からあるのだから当然だろうけど。
ジョットの《小鳥に説教する聖フランチェスコ》《聖痕を受ける聖フランチェスコ》が見れて良かった。


余談だが、サン・フランチェスコ聖堂内のお土産屋さんが充実していた。
フレグランスを購入。
イタリア語はわからないので何の香りかはよくわからないです。
にしてもイタリアでフレグランスを購入するの3つ目とか…。


アッシジからバスに乗り込みローマへ。
ローマではとりあえず的に市内観光。
トレビの泉だとか真実の口だとかを体験。
先生は退屈そうでしたが、いわく
「せっかくイタリアに来たわけだし、たぶん皆初めてだろうし、観光名所は行かせてやろうと思った」
だとか。

この日は美術っぽいものを鑑賞することがなく、せいぜいバスからベルニーニやボロミーニの彫刻を眺める程度。
脳みそを休憩させました。

ホテルに着いてから希望者だけでローマに初めてできたといわれる教会へ。

●サン・ジョヴァンニ教会
ジョットとかが描いてる聖フランチェスコ伝の《コンスタンティヌスの夢》に出てくる教会。
バロック彫刻が素晴らしすぎて身震いする。
バロックの劇的な雰囲気が大好きなんです。




ローマがイタリア旅行最後の都市。
せっかくなので、今までの町を比較。

ヴェネチア
陽気な人が多くて、原色系の色をよく見た。
下町っぽいかもしれない。

フィレンツェ
ルネサンス色が強くて、古いものが大好きで、いるのは観光客ばっかり。
芸術の都という意味では古都。

アッシジ
宗教色が強くて控えめな町。田舎だし。
修道僧ってマジでああいう服を着てんのかと思った。

ローマ
教科書で見たようなとこが山ほどある。
巨大な彫刻や噴水が広場の真ん中にある。
その広場も路地を抜けると急に出てきたりするマニエリスム的な都市計画。

ヴェローナはゆっくりできなかったので省略。
ジュリエットのイメージしか…。
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プロフィール
Sさんのプロフィール
性 別 女性
年 齢 34
地 域 神奈川県
職 業 フリーター