「………シェリル」
アルトは慌て立ち上がり閉じられない様にドアを手で押さえた。
シェリルがビクリと震えて、視線を反らした。
長い沈黙。
お互い口を開く事が出来ぬまま時間ばかりが過ぎる。
「?」
「あっ」
沈黙を破ったのは、キャッキュッと床を踏みしめる足音。
「見回りだわ」
「あぁ」
ここは病院だ。看護師が定期的に患者の様子を見回っているのだろう。近づく足音に急かされる様にシェリルは、アルトの腕を引っ張り室内に入れた。
「シェリル?」
「しっ!」
「………」
「靴を脱いで、ベッドに入って!」
「は?」
「いいから!」
シェリルの低められた声の迫力に負けて、アルトは大人しく指示に従った。
シェリルは、靴をベッドの下に押し込んで、転がるアルトに頭からスッポリと布団で覆い隠し仕切りのカーテンをきっちり閉じて。
アルトの隣に滑り込んで来た。
シェリルの甘い香りと柔らかな体温を密着した体で感じて、思わず叫びだしそうになるのをこらえた。
足音が扉の前で止まりそっと中に入って来る気配がする。
懐中電灯の光が踊り、やがてカーテンをそっと開く音がする。
アルトは一気に緊張して、バクバクする心臓の音が静かな室内に聞えはしないかと不安になる。
隣でシェリルはピクリとも動かずに静かな呼吸を繰り返していた。
女は強い!
痛感しながら看護師が去るのをただただ待つしかない。
やがて光が床に落ちて、足音が遠ざかる。
ドアが閉まってもしばらくアルトは呼吸を止めていた。
「アルト…もう大丈夫よ?」
シェリルが布団を上げてくれると、新鮮な空気が流れ込んできて。むせる様に呼吸を繰り返した。
「…もしかして、息止めてたの?」
「悪い…かよ」
憮然と答えるアルトにシェリルはクスクスと笑い出した。
「シェリル…」
「……朝早くグレイスが着替え持って来るから。グレイスと一緒に帰るといいわ」
今帰るのは、危ないから。
そう言って、パタリとベッドに寝転んだ。
小さなベッドにシェリルと二人きり。アルトは今度は別の意味で、心臓が騒ぎ出すのを止められなかった。
「ねぇ。アルト」
「なんだ?」
声が上ずりそうなのを必死に押さえて、平静を装う。
「聞かせて…」
「……何を?」
「アルトの家族の事」「なっ…」
「お願い」
「…………」
きっとシェリル以外の願いなら…どんなに聞かれても話すハズがないのだが。
「面白くねえぞ」
「いいから。聞かれて」
「…分かったよ」
どうせシェリルの隣じゃ眠れるハズもない。なら俺の過去なんて暇潰しにちょうど良いではないか。そう思う事にして、とつとつと話し出した。シェリルは呼吸をするのも煩わしいとばかりに、アルトを見つめる。
そうして、柔な時間は過ぎる…………………………………。
「あらあら」
数時間後。
着替えを持って来たグレイスが目にしたのは。
ベッドに散らばる青とピンクの髪の波と。二人の穏やかな寝顔だった。
「仕方のない子達ね」グレイスは優しいく笑って。
二人の上掛けをなおした。
.
腕の中で震えるシェリル。過去の嫌な出来事を夢で見たのだと言う。ラストが見えなくて、思い出せなくて。怖いままで何度も目覚めるのだ…と。
俺のシャツを指先が白くなるほど握りしめて。カタカタ震える肩が痛々しくて。
ただ、慰めたかっただけなんだ。
ただ、シェリルを過去の柵から救い上げたかったんだ。
だから俺は、柔らかな髪を撫でながら、耳元で驚かさないように小さな声で
「思い出せなくていい事だから思い出さないんだろう?過去なんかに縛られるのは時間の無駄さ」
と囁いた。
笑って、肯定してくれると思ったのに。
その綺麗な青の瞳には悲しみだけが揺らめいて。いっそう俺を虚しくさせた。
「…それで……あの子は…納得したの?」
「シェリル……」
「馬鹿ね。過去があるから今の貴方が居るんじゃない。自分を否定しないで」
「違う…シェリル」
ただ、俺は
「傷を舐め合いたいだけなら……………あの子の所に」
行きなさい。
いつもの命令口調。でも、いつもと違ったのは俺を拒絶してる事。俺の中にランカを見てるのか?
「シェリル話しを聞け」
ただ、俺は
「もう帰りなさい。面会時間は終わりよ」
そう言うとベッドに潜り込んでしまった。
流れる沈黙に耐えきれず。重い足を引きずって、部屋の外に出た。
扉が閉まる寸前に声を抑えた声が聞こえて。
ただ、慰めたかっただけなのに…泣かせてしまった。
ズルズルと壁際に座り込んで。壁一枚の隔たりさえも今の俺にはどうする事も出来なかった。
.
「どう?」
シェリルがニッコリ笑って、クルリと回る。
「………どうって言われても…」
アルトは赤面して黙り込みグレイスは苦笑するしかない。
「アルト君呼び出してごめんなさいね。シェリルが浴衣を着てお祭り行きたいってわがまま言って」
「はあ……浴衣…ですか」
浴衣を誤解しているかの様な着付けは、グレイスの困った感じからすればシェリル1人で着たのだろう。
胸元が開いて、大きなバストを惜し気もなくさらして、細いウエストを強調する様に帯を前で結び胸前でリボンを作っていた。
まあ、斬新な着方と言えば言えなくもないが、このまま外には出せないだろう。
「グレイスさん着付けは?」
「和装はちょっと…アルト君なら着せられるかと期待してたの」
何でも出来そうなグレイスにも苦手があったとは。
「はあ、まあ」
大掛かりな舞台着付けなら1人では無理だが、浴衣くらいなら昔取ったなんとやらで、問題はない。
「え〜何かダメなの?」
1人蚊帳の外なシェリルが不満げに頬を膨らませる。
「いや…ダメ…」
と言うか、ダメだろう。開いた胸元から視線をそらして言葉を濁す。
「アルト君は本職だったんだもの。アルト君に任せた方が安心じゃない?」
「……そうかしら?」
グレイスの助言に納得したのか、シェリルは大人しく頷いて両手を広げた。
「……?」
「何、ボーってしてるのよ!帯ときなさいよ」
「はいはい。姫の仰せのままに」
帯に手をかけたアルトだが、赤面して止まる。
「シェリル…お前…和装下着」
「やだぁ!何でわざわざある胸を潰さなきゃならないのよ!」
そんな事を胸を張って主張されても。
「…グレイスさん」
「用意はしたのだけれどね」
「…俺後ろ見てるので、和装下着着せてもらえますか?」
「えーペチャンコな胸なんて嫌よ」
「わがまま言わないの」
グレイスが宥めている。こんなに疲れる着付けは初めてだ。
アルトはため息を付いて、完了を待った。
.
シェリルの心の叫び声が聞こえるようだ。
グレイスはグレイスで毎回来て欲しいわね。感心して見守っている。アルトはシェリルのわがままを聞いて言いなりになっている様に感じるが、シメる所はシメる性格らしい。手のひらで転がされているのはアルトではなくシェリルかもしれない。
「良く出来ました」
「あんたバカにしてん……?甘い」
大きく開いたシェリルの口内に今度は茶色な物体を放り込む。
「ご褒美だ」
可愛いらしく一粒一粒包まれた色とりどりのチョコレート。
「これ……」
「前に食いたい言ってただろう」
並ぶの恥ずかしかったんだそ。
照れくさそうに答えてソッポを向く。
「覚えててくれたのね!ありがとう!!!」
シェリルは感激して、アルトに抱き付いた。「えっ…あっ…待て待て」
勢い付いたシェリルごとアルトが盛大にひっくり返る。とっさにシェリルを守る様に包み込んで。
バラバラバラ
二人の上から甘い甘いチョコレートの雨が降る。
「あらあら」
私は打ち合わせだから。チョコレート拾うのよ。言い聞かせてグレイスは部屋を出た。
後には赤面するアルトと、ニコニコご機嫌のシェリルだけが残された。
.
「シェリル…好き嫌いしてたら良くならないわよ」
グレイスが飽きれぎみにため息を付く。
「食欲がないのよ」
「……そう?」
1人で食べる病院食は味気なく不味い。アルト達とワイワイ学園で食べた食事はおにぎり1個でも美味しいく感じたのに。
しかも…今日はシェリルの嫌いな人参がたんまり入ったスープだ。食欲も失せる。スープだけ飲んで人参だけが打ち上げられた魚の如く乾いていた。
パンもデザートも手付かずだから食欲が無いのは確かなのだろう。
コンコン
「シェリル入るぞ」
ノックと共に男の子の声がする。シェリルは途端に瞳を煌めかせ鏡で身だしなみをチェックする。
分かりやすい。
「入りなさいよ」
恋する女の子だわね。もう少し可愛いくなれないのかしら?シェリルらしいと言えばシェリルらしい。
マネージャーとしては当然注意すべき事だが、早乙女アルトと言う存在がシェリルにとってマイナスになるとは思えなかった。
「…あっ。わりい昼飯中だったか?」
「大丈夫よもう食べないから」
「もうってほとんど食ってないじゃないか?……お前、ニンジン嫌いなわけ?」
アルトがバカにしたように鼻で笑う。
「なっ…そんなわけないじゃない」
シェリルがカッとなって反論する。
グレイスは微笑みながら見守っている。
「ふーん。じゃニンジン食ってみせろよ」
いつもの逆襲とばかりにアルトが突っ込む。シェリルがどうにか回避したいと青くなったり赤くなったりして、
「ホークが重いのよ!!!」
とわめいた。
どう聞いても苦し紛れだ。
アルトはきょとんとして次に獲物を発見した顔になった。
グレイスはクスクスと笑っている。
1人シェリルだけが不機嫌にむくれていた。
「…アルト?」
アルトがホークを持ち上げて、柔らかいニンジンを突き刺す。
「ガギじゃないもんな。嫌いじゃないんだろ?」
「…も……もちろん…よ」
声が震えピンクの唇が一向に開く気配がない。アルトはため息をついて、シェリルの下顎を引いた。
ピンクの舌が見える。なんとなく変な気分になり赤面しつつもホークのニンジンを口内に押し込んだ。
「!!!」
アルト覚えてなさいよ!!!