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Fragment 09.
「悪いです。6時過ぎますよ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ!どうせ何もないし!」
3時間ここで待てば、一緒に帰れる。長くなんてない。
「でも…」
「何か約束あるの?」
「ないです、けど」
「じゃ、教室で待ってるから!」
佐江の進路は、指定校推薦の枠を取れたからもう決まったようなもの。
あとは来月頭の試験をパスすればOK。それに向けて、一般常識とか何とかいう雑学クイズ番組みたいな問題を解く練習。
自分と同じ境遇のやつらは、部活に顔を出したり、さっさと帰って行ったり。
年明けに入試を控えている友達はホームルームが終わると足早に予備校へ向かう。
受験勉強を始めた宣言したのが嘘みたいに、依然としてチャラチャラしてるクラスの男子たちに「カレシか!?」なんてからかわれながら
「うるせー!」と強制的にバイバイして、教室が静かになっていく音を聞く。
勉強なんて全然してなかったのに、真面目に授業を聞くようになった。
こうして時間をつぶすために授業のノートを見返している。
夏休み前の期末テストから、成績は上がった。今は授業もつまらなくない。
もっと前から頑張っていれば、もっと偏差値の高い大学の推薦がとれたかもしれない。
夏まではいつも由紀が佐江の帰りを待っていたのに、秋になってからは立場が逆転した。
クラスメイトと過ごす時間を割いて、彼女は楽器の練習をしている。
由紀は、バスケ部の後輩たかじょーのクラスのお友達。
ずっと吹奏楽をやっていて、うちの高校の吹奏楽部に入りたくて少し遠くから通っている。
文化祭のステージ演奏を観た。由紀は金色の楽器を肩に担いで、伸ばしたり縮めたりして吹いていた。素人目には華奢なバズーカに見えた。
部長らしい。楽器も上手で、勉強もできる。大人しそうな優等生タイプ。
でも、「教室でアイドルの話をし始めると収拾がつかないんですよ」って、たかじょーが困ってたっけな。
由紀はとても忙しそうで、最近は全然会えていない。メールもしなくなったし、お昼も一緒に食べなくなった。
無理に時間を作らせるわけにもいかないから、佐江がこうやって時間をあわせて待ち合わせ。
今では自分の気持ちのほうが強くなっていることには、気づかないふりをしている。
6月の初めの体育祭。3色対抗戦の青組だった。
たかじょーと由紀がいる2年B組は、佐江のクラスと同じチームだった。
佐江にとっては最後の体育祭。
選抜のチーム対抗リレーはめちゃくちゃ走った。応援はめちゃくちゃ騒いだ。優勝した!最高の思い出。
なにかの種目の時、閑散となっていた応援席で、由紀と初めて話した。
たかじょーの友達だから顔は知っていたけど、確か誰かに呼ばれたたかじょーが居なくなって、2人だけになったんだ。
そのとき由紀に言われた言葉は、妙に鮮明に覚えてる。忘れられそうにない。
「行事があって生徒が集まる時は、いつも先輩のこと見てました。
いつも楽しそうで、みんなに名前を呼ばれてて。
一緒にいたあきちゃに『かっこいいよね』って呟いちゃったんです。そしたら、バスケ部の先輩だよって教えてくれて……すごい偶然です。
先輩なのに、仲良くなりたいなーなんて。ヘンですよね。
ただそれだけなんです。
でも、学年とか部活とか、何か共通項がないと仲良くなれないっていう方が、逆におかしくないですか?」
なんて純粋なんだろう、と佐江は思った。
ウワサばなしや恋バナを囁き合って情報交換を楽しむ学校生活を送ってきていた自分とは、世界が違っていた。
後輩に好かれるって悪いこっちゃない。
むしろすごく嬉しい。
けど、年齢差がこんなにも鬱陶しいなんて。
どんなに仲良くなれたとしても、先輩と後輩でしかいられないのかな。佐江たち。
「お待たせしました」
「んんー…」
顔をあげると、佐江の顔をのぞきこむ眼差し。丸い黒い瞳。
「寝ちゃった…いまなんじ?」
「6時半です」
爆睡しないで済んだ。
頬杖をついたまま寝るのが上手になった。伏せ寝よりもずっと覚醒が早い。
「んーー。もう真っ暗だね」
中庭に面した教室の窓は、もはや黒い壁になっていた。
眠たそうな佐江と、机を覗きこんだ体勢から立ち上がった由紀の姿がくっきりと映る。
手入れされた髪、綺麗な顔、黒いPコートと首元からのぞくブラウスの襟は清楚そのもの。
こんな子が、顔を真っ赤にして話しかけてきたんだ。
今でもちょっと信じられない。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって…」
「いいんだよー気にしないで!」
勉強してたんだよーと机の上に広げてたノートやら何やらを片づけた。
考えてみれば、数カ月でそんな気兼ねなく先輩に甘えられるわけ、ないよなあ。
佐江がフランクすぎた。申し訳ない。
短い髪はくちゃくちゃだし、コートだってカーディガンだって3年目でくたびれてるのに。
なんだって佐江のこと、そんな風に想うようになってくれたんだろう?
戸締りと電気を消して教室を出た。
遠くのほうの空がまだかろうじて青い。すっかり秋半ばだ。
「音楽会、近いんだよね?」
「はい。もう来週です」
「どう?」
「どうにか」
部長になるはずだった退部員のパートの穴も、どうにか埋められたらしい。
夏、佐江たちが部を引退してすぐ。差し入れのアイスを持って行った時のこと。
練習がおわって片付けをしていると、体育館に由紀が入ってきた。
何も話さないまま、由紀はたかじょーに抱きつくと声をあげて泣いた。
由紀が手に持っていた紙の束が床に落ちて散らばった。
誰かの雑な文字の退部届と、文化祭のステージ参加申請用紙だった。
そうして部長候補だった子がやめて、由紀は部長になった。
三年生は引退して、それでも吹奏楽部には60人近くいるはずだ。
緊急で話し合いをして決めたらしいけど、由紀はそんな大所帯を仕切る役が務まりそうな柄ではない。
それは仲良くなったばかりの佐江でも十分察せることだった。
「ソロの友達も頑張ってくれてます」
由紀が引き受けるはずだったソロは、同じパートの別の子が吹くことになった。部長の仕事を任されることになったからだ。
「悔しいね」と佐江が言うと、
由紀は「気持ちが軽くなりました」と答えた。
この世界は引っ込み思案たちで満ちている。
「鞄パンパンじゃん。教科書持って帰んの?偉いわぁー。佐江なんてこんな」
バシバシと右肩にかけた自分のうすっぺたい鞄を叩いてみせた。
ゆきりんは笑ってくれた。
「いいのよ、佐江がお持ちしますよ」
階段をおりる由紀の肩に手を伸ばして、スクールバッグを奪い取る。
重てぇー
「こないだより重い」
こないだっていつだっけ。先月?いや、8月のおわりだ。
体育館で泣いてた日のことが気になって、一緒にマック行った。あん時だ。
「参考書を持って帰ろうと思って」
「中間終わったばっかなのに」
「でも期末があります」
「頑張るなあ。ちゃんと息抜きしてるー?」
笑った。
ごまかした。
してないんだーダメだよー頭パンクするよ?大好きだったアイドルの握手会だって、最近は行ってないんでしょー?
「1人じゃいけませんよ」
由紀は寂しそうに笑った。
部長候補だった子の話、すっかり聞かなくなったなあ。
話を聞けばいつも「まゆ」が出てきて、部活の後にくだらないおしゃべりしたり一緒に遊んだりイベントに行ったりしてすごく仲良かったのに。
「……たかじょーが心配してたんだよ」
バイト代入ったばっかだから、またマック奢ろうか。
きっと由紀も今日はそのつもりだろう、と思いながら駐輪場に向かって歩いた。
でも、夏とは違ってもうすでに7時前だなあ。
何時間、いや、何分、話ができるかな。門限は何時だろう。電車の時間は?
友達同士で二人乗りなんていっつもやってるのに、由紀だとそわそわして落ち着かない。
落としてはいけないものを自分が見えない後ろに乗せて走るだなんて、考えただけでぞっとする。
なんでだろう?
ふと気付いたら、いついなくなったかもわからないような、それくらいにふわふわした脆い存在のように感じる。
「しっかりつかまってよ。ほれ、ここ」
疲れて元気のない掌をベルトみたいに持って佐江のコートをつかませる。寒いだろうからポッケの中に。
チャリっとストラップがぶつかる音がして、ケータイ入れっぱだわって気づく。
でもまあいっか、と聞こえなかったふりをする。
由紀の手がもぞもぞ動いて、小さな暗い空間の中でケータイと距離をとる。
由紀に対するこの気分について考える時、ふと増田が出てくる。
そういえばクラスの河西っていう美少女と仲良くしているらしいけど、どうしてるだろう?
アブナイよ。絶対にアブナイ。
けど、うちと由紀はダイジョーブ。
すごい似てる気がするけど。
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